第65話 妄信者の末路
光乃宮学園三階にいた人間たちがアドラシア王国に飛ばされたのは、今から一ヶ月ほど前のことである。
それは光乃宮ファンタジーランドと融合した二階同様に、校舎が異界化してからしばらく経った後に起きた。
タイミングは二階よりも後。
界魚の力を制御しきれず、遊園地との融合を止められなかった郁成夢実が取った、苦肉の策であった。
本来、
しかし彼女の場合、ネムシアが自分の肉体を使うというイレギュラーが発生したために、アドラシア王国との“繋がり”が生まれていたのだ。
だが、それでも異世界との融合はかなり強引な手法だ。
加えて、アドラシア王国はすでに死んだ世界。
繋げた際に時空の歪みが生じてしまった。
そのせいで、1階や2階とは時間の進みがズレてしまったというわけだ。
見知らぬ世界に飛ばされ、当然、生徒たちは困惑した。
だが教師たちは比較的落ち着いていた。
その日、曦儡宮降臨のための儀式が行われることを知っていたからだ。
そして自然の溢れる草原を見て、誰もがこう思った――『私たちはついに、真の世界にたどり着けたのだ』と。
その日、3階には光乃宮学園の校長、
校長ということはつまり、戒世教の中でもそれなりの地位ということになる。
なので自然と、彼が生存者たちを取りまとめる立場となった。
そして彼は全員に告げる。
『ここは真の世界である。たどり着いた人間はみな救われたのだ』
『何も恐れることはない。ここにいるだけで全ての苦しみから解放される。幸せだけを感じて生きていける。我々は選ばれた』
もちろん、そんなことを信じるのは戒世教の人間だけだった。
生徒たちから抗議の声があがる。
すると教師たちは激怒した。
『なんと罰当たりな子供たちだ』
『真の世界に到達しておきながら曦儡宮様を信じないとは』
『許されることではない、そのような人間は存在してはならない』
教師たちは逆らう生徒を囲み、私刑をはじめた。
当然、生徒側も反発し、両者は衝突した。
そのとき、少なくない死傷者が出た。
戦いを続けるうち、教師たちは城に立てこもり、生徒たちはアドラシア王国に点在する教室を拠点にした。
数時間も経つと、人々はこの世界の致命的な欠点に気づく。
ここには食料が存在しない。
また、ゾンビもいないため、他のフロアのように壊疽を倒して能力に目覚めるということもできなかった。
一日も経たないうちに、飢えが人々を襲う。
一方のその頃、教師たちは城の地下にて巨大な少女と、その少女に引きちぎられ苦しむ黒いスライム状の生命体を発見する。
その悪夢じみた姿を見て、彼らは『これこそが曦儡宮だ』と気づき、崇拝した。
しかし夢実にとってみれば、そんなことはどうでもよかった。
というより、界魚の核となった彼女は人間と異なる次元の存在である。
“見よう”としなければ見えないのだから、存在にすら気づいていなかった。
彼女はただ、憎き曦儡宮を、時間の許す限り痛めつけていただけである。
教師たちは、勝手に千切られた破片に手を伸ばした。
すると、腐った曦儡宮の破片は、壊疽としての特性を発揮し、彼らの体にまとわり付いてその特性を変化させた。
すなわち、人を殺し、界魚の餌とするための力。
強靭な身体能力。
そして曦儡宮に由来する光を操る力。
この二つを、教師たちは『神からの恵み』と呼び喜んだ。
自分たちは曦儡宮に歓迎されている――そう勝手に思い込んで。
力を得た教師たちは、すぐさま生徒たちの拠点に攻め込んだ。
そこで行われたのは、蹂躙と虐殺。
『真の世界を信じない人間は、魂が汚れている』
『汚れた魂は、この神聖なる場所に存在してはならない』
『これは正義の鉄槌である。我々は正しいことをしている』
行き過ぎた信仰は、彼らから罪悪感をも奪った。
担任として、多少なりとも生徒への愛情を持って接していただろうに。
一方的に子供たちを屠る教師の顔に浮かぶ表情は、一様に笑顔。笑顔。笑顔。
阿鼻叫喚の地獄絵図も、価値観の壊れた教師たちには、花が咲き乱れる美麗な風景に見えていたに違いない。
こうして、教師たちは平和を手に入れた。
真の世界は完全になったのである。
しかし――いくら肉体が強化されようとも、腹は減る。
食料が無いのは彼らとて同じこと。
食料を作る能力が無いのも同じ。
ならば何を食らう。
草か。
いや、この草は食えない、腐っているから口に入れる前に崩れ落ちる。
木か。
いや、木すら食えない。
土も、何なら石だって、腐ってしまえば存在は価値を失い、胃袋を満たすという役目すら果たせない。
ならば、肉か。
こうして、教師たちは平和と食料を手に入れた。
真の世界は完成したのである。
何も問題はない。
真の世界を信じないということは、異教徒である。
異教徒には救済が必要だ。
救済とは同化である。
同化のためならば、食べても問題は無い。
それにほら、首を落として天井からぶら下げて血抜きをして、腹をかっさばいて内臓も処理してやれば、どこからどうみても畜肉じゃないか。
つまり異教徒もそうなることを望んでいるということだ。
何も問題はない。
何も、問題は。
食料がある。
力がある。
神がいる。
全ての責務から解放され、日々を楽しく遊んで過ごすことができる。
子供のようにはしゃいで、走り回って。
教師たちは幸せだった。
◆◆◆
玉座の間には、今日も教師たちの楽しげな声が響いていた。
今はドッジボールで遊んでいるらしい。
広くて装飾も豪華な部屋を使った、贅沢な遊びである。
ボールは生徒の頭を加工したものだ。
脳を取り除いて布でぐるぐる巻きにすると、ちょうどいい重さになるのだ。
四十代の男性教師がボールを投げる。
真正面にいるのは、校長の石暮だった。
白髪の彼はボールを受け止めようとするが、うまく抱えきれずにこぼれ落ちてしまう。
「はい大輔くんアウト!」
「ははは、さすがに強いなあ。でも外から絶対に当ててやるからなー!」
無邪気な子供のように振る舞う彼の姿は、かなり痛々しい。
しかし他の教師たちも同じなので、特に目立つことはなかった。
外野に移動する石暮。
そんな彼の元に、部屋に入ってきた瀬田口が近づく。
「石暮校長、お話よろしいですか」
「……」
「校長?」
何度か声をかけるも、石暮は反応しない。
そしてその表情は、頬を膨らました不機嫌なものだった。
「僕は校長じゃないもん。僕を校長って呼ぶ
「……石暮さん」
「ふんっ」
「大輔くん、お話いいかな」
瀬田口が諦めてそう呼ぶと、ようやく石暮は彼の方を向いた。
「やっと呼んでくれたね。何かな、丁くん」
「真恋と日屋見についてです。追跡に向かった人間が戻ってきましたが、意図的な崩落に巻き込まれたとかで見失ったそうです」
「そっかあ、大変だね!」
「あの様子だと、近いうちにまた攻撃を仕掛けてくるでしょう」
「でも僕たちは負けないよ。だって曦儡宮様がついてるから!」
「すでに一人殺されています」
「それは仕方ないよ。信仰が足りなかったんだ」
「……」
「何か問題あるかな? 僕たちみんなで力を合わせれば、絶対に負けないと思うんだけどな!」
瀬田口は眉をひそめた。
彼もまた、戒世教の幹部であり、曦儡宮を信仰する一人ではあるが――石暮校長たちの“ごっこ遊び”には、正直付き合いきれないと思っている。
ここは真の世界、全てが浄化された美しい場所。
だから人の魂も浄化されなければならない――そんな理屈で、子供時代に戻っているらしいのだが。
瀬田口は思う。
果たしてここは、本当に真の世界なのだろうか、と。
(思えば最初からおかしかった。なぜ戒世教の関係者以外までここにたどり着いていたのか。大木からの連絡も途絶え、その直後に現れた真恋と日屋見――報告を聞く限りでは、倉金依里花と郁成夢実が行動を共にしていたなんてとんでもない話まである)
加えて、真恋たちは界魚がどうこう、という話もしていた。
自分たちよりも、彼女たちの方がこの世界についての情報をより深く知っているのではないか――瀬田口はそう疑わずにはいられない。
加えて、さらに大きな問題があった。
「ねえ丁くん、もういいかな? 僕、ドッジボールで忙しいんだ!」
「もう一つお聞きしたいことが。残る食料についてなのですが――」
「食べ物がどうかしたの?」
「そろそろ補充を考えた方がよいかと。そう遠くない未来に肉は底をつきます」
人肉も有限だ。
この階層で生き残っている教師の数は十人程度だが、彼らは子供であるがゆえに遠慮を知らない。
今のまま行けば、二週間後には食料調達が危うくなってくるはずである。
「だったら異教徒を捕まえてくればいい」
石暮はあっさりとそう言い放つ。
瀬田口の頬がひくついた。
「ですが相手は――」
「曦儡宮様のご加護があるんだから大丈夫だよ。あと僕にばっかり言わないでほしいな」
「石暮こうちょ――いえ、大輔くんがリーダーだったはずですが」
「でも丁くんは司教だよね? 僕より位が上だよね? それにお父さんは大司教だ」
「……それはあくまで戒世教内の」
「そんなに心配なら丁くんが考えてよ。僕、本当に忙しいんだ。本当は構ってる時間なんて無いんだ。もう戻っていいかな。いいよね?」
そんなことよりもドッジボールの方が大事だ、と石暮は急かす。
瀬田口は大きくため息をつくと、「どうぞ」と投げやりに答えた。
そして部屋を出て、壁に背中をあずける。
誰もいない廊下には、室内から聞こえてくる大人たちの無邪気で痛々しい声だけが響いていた。
「いくら何でも平和ボケしすぎだろ、クソジジイが。一人死んだんだぞ。俺らと同等に戦える人間が現れた意味、わかってんのか……!?」
“絶対”が揺らいだ。
少なくとも瀬田口はそう認識していた。
「俺らが手に入れた“これ”が曦儡宮様の、神の力だって言うんなら、なぜ負ける? あいつらはどこから来た。何であんなにも戦える。真恋が逃げてるときもそうだ、やけに戦い慣れていた。他の場所で経験してきたのか? どこで? 真の世界はどこと繋がっている? いや、どっかと繋がってる時点でこの世界は完璧じゃない。つまり真の世界じゃないってことだ!」
動揺する。
そして、その動揺を誰とも“共有”できない。
その状況が余計に彼を焦らせていた。
すると、廊下の向こうから女性教師が歩いてくる。
「おかしいなあ、おかしいなあ」
人差し指を咥え、首をかしげながら歩く彼女は、ちょうど瀬田口の前を通りがかった。
「どうしてみんないないんだろ。どうやって鍵を開けたんだろ。おかしいなあ、おかしいなあ」
それを聞いて、彼はさっと血の気が引いた。
通り過ぎようとする女の肩を掴み、強く問いただす。
「何がいないんだ? どこの鍵が開いてたんだ!? 答えろ!」
「びっくりしたあ。丁くん怖いよ」
「答えろと言っているッ!」
「う、うえぇ……うえぇぇえええっ!」
「ガキの遊びをしている場合じゃないんだよクソアマがァッ!」
瀬田口は怒鳴りつけながら女の頬を殴った。
倒れ込んだ彼女は、殴られた場所に手を当てながら、呆然と彼を見上げる。
「え……あ、え……?」
“冗談ではない”。
そう理解したらしく、ようやく女は“子供ごっこ”をやめた。
「早く言え、何が起きた」
「あ、あの、地下牢の……鍵が空いてて。閉じ込めてた生徒たちが、いなくなってたんです」
「いつそうなったッ!」
「わかりません……ちょっと前に見たら、そうなってたので……」
「チッ!」
瀬田口は舌打ちすると、地下牢に向かって一直線に走った。
そこには確かに生存者の姿は無い。
肉は開いてしまうといつか腐る。
だからまだ食らう余裕の無い生徒は、ここで生かしておいたのだが――牢の鍵は力ずくで破壊されていた。
「だから言ったんだよ……俺は、俺は……っ!」
彼は再び地上に戻ると、玉座の間に飛び込んだ。
そしてボールを持ってはしゃぐ石暮に掴みかかる。
「校長っ! そんなことしてる場合じゃない!」
「わっ、驚いた。邪魔しないでよ丁くん、今いいところなんだ」
「戦闘態勢を取るよう指示を出せ、今すぐにだ! 真恋たちが攻め込んでくるぞッ!」
「でもドッジボールが……」
「そんなふざけたことを――」
そのとき、瀬田口は頭上から迫る何かの気配を感じた。
とっさにその場でしゃがみ込むと、天井を貫通して青白いレーザーが降り注いだ。
「あ」
教師のうちの一人が、その光に焼かれて頭部を蒸発させる。
他の教師は悲鳴をあげ、「お母さあああん、助けてぇぇえ」などと叫びながら室内を走り回る。
なおも無数のレーザーが降り注ぐ中、瀬田口は部屋を出ると、窓から外を見た。
そこで彼の目に写ったものは、城の前に立つ少女の姿と、こちらに向かってくる飛来物だった。
「ミサイルだとぉぉおっ!?」
慌てて窓の前を離れる。
すぐ近くにミサイルが着弾し、大爆発を起こした。
崩れる城壁、そして床。
巻き込まれ、一つ下の階へ落ちる瀬田口。
黒い液体で肉体を覆い負傷は避けたが、なおも城のいたるところで大爆発が起き、空からはレーザーが降り注ぎ、さらには視認不可能な速度で飛ぶ“何か”が通り過ぎ、その衝撃で城に巨大な穴が空く。
想像以上。
いや、想像以上を越えている。
神を越える力など、この世に存在しないと思っていたのに――
「あいつら、城ごと俺たちを殺すつもりかよぉぉおおお!」
瀬田口の嘆きの声が響く。
なおも外からは依里花たちの容赦ない攻撃が続き、アドラシア城は跡形もなく破壊されようとしていた。
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