第35話 残留思念
「アタシのことちゃんと覚えててくれたんだね」
「どうして……どうして……どうして……」
島川優也の動きが止まっているうちに、私と令愛は引きずりながら島川くんを連れ戻した。
「す、すまん……頭が血が上ってしもうた」
「生きてるから結果オーライだよ」
「依里花の言う通りだよ。それに相手は幻覚を見せてくるんでしょ? 島川くんにも何かしてたのかもしれないし」
落ち込む彼のフォローをしている間にも、ギィと島川優也の対話は続く。
「ここでは生き死になんてどうでもいいよ。どうせみんな等しく死ぬんだから。そう言ったのは優也くんでしょ、気にしちゃダメだよ」
「七瀬……僕は、僕は……」
理屈にもなっていない説明。
しかし島川優也は、七瀬朝魅が生きて自分の前にいるという事実に心をかき乱され、それどころではない。
「俺の呼びかけより七瀬さんのが効くのは少し凹むな」
本当にびっくりするぐらい暗い顔で島川くんは言った。
「それだけ大きいトラウマなんでしょ」
だったら何で両親じゃなくて七瀬さんに化けるんだって疑問はあるけどね。
ギィのやつめ、七瀬朝魅と何か繋がりがあるのに黙ってたんだな。
「うんうん。それに島川くんはまだ生きてるよ」
「……せやな。死人の引力には勝てへんっちゅうことか」
――死人の引力、か。
確かにそういうのもあるのかもね。
存在するものより、喪失したものに人は心惹かれてしまう。
「きっと優也くんは、アタシが自殺したこと自分のせいだって思ってるんじゃない?」
「だって、そうだろう。あの日、僕には力が無かった。何もできずに、ただ殴られて、君がひどい目に合うのを見ていることしかできなかった!」
島川優也の言葉には、明らかな理性があった。
彼は自分の意思で、自分や七瀬さんを傷つけてきた生徒を狙ったんじゃないかと思ってたけど、どうも当たってるみたいだ。
そして復讐を終えたことで生きる意思は弱まり、“カイギョ”に乗っ取られた。
しかしホームシックレプリカの引き寄せる能力は、島川くんが言うところの“死人の引力”、あるいは島川優也が抱く“寂しさ”に起因するものだ。
乗っ取られてからも、化物の肉体に与える影響はゼロじゃない。
その結果、島川優也が慕っていた明治先生を、優先的に狙う結果となってしまった。
「でも守ろうとしてくれた。その気持ちだけでアタシは救われてた」
「届かなかった……」
「みんながアタシのことを嫌う世界の中で、ただ一人、優也くんだけが味方だった。そんな人を恨むわけないよ」
「七瀬……だったら、どうして僕に言ってくれなかったんだ。どうして一人で死んだりしたんだッ!」
いっそ自分も連れて行ってくれれば――彼の言葉には、そんな想いも含まれている気がした。
それに対し、ギィは単純明快な答えを示す。
「突き落とされたから」
そもそも自殺なんかじゃなかったのだ、と。
明治先生も疑ってたけど……やっぱりそうだったんだろうね。
仮に突発的な自殺だとしたら、死体を盗み出して学校に埋めるなんてことできるわけがないもん。
「アタシは曦儡宮を呼び出す生贄にするために殺された。彼らから暴力を受けたアタシの魂には、曦儡宮が喜ぶ“恨み”や“憎しみ”がたっぷり染み込んでたから」
「誰がそんなことをぉッ!」
激昂する島川優也に、七瀬朝魅は笑いかける。
「ありがとう優也くん、仇を討ってくれて。生きていた頃も、死んだ今も、君には感謝してる。ずっと、ずっと」
おそらく――犯人は二人をいじめていた連中と同一だったのだろう。
当然、龍岡先輩もそこには含まれる。
彼らは、教師たちが味方に回っていたとはいえ、自らの意思で三人もの命を奪っていたのだ。
これで島川優也は救われた。
彼の行動の全ては肯定された……ってなればいいんだけど。
顔らしい顔が残ってないから表情はあまりわかんないけど、まだ暗い顔をしてる気がする。
「七瀬ぇ……僕は、間違ってなかったのかな。贄からの提案を受け入れて、こんな姿になった僕は――でもそうしないと殺せないと思ったんだ! あいつらを、七瀬を傷つけて、僕の両親も殺しておいて、のうのうと生き残っていたあいつらをぉッ!」
贄、か。
そいつが島川優也に話しかけて、力を与えたってこと?
確かにただ腐るだけのゾンビとは明らかにスケールが違うよね、彼の意識もまだ残ってるぐらいだし。
「間違ってない」
ギィは即答する。
「優也くんは、本来無差別に命を腐らせるだけだった力を制御して、あいつらを殺してくれた。とっても頑張ったと思うよ」
「でも……でも……明治先生が……」
「あの人は、ずっと許しを求めていたから。きっと今ごろ、安らかに眠ってる」
「そうなのかな……」
「看取ったアタシが言うんだから間違いない」
「そっか……そう、なのか……」
そういや明治先生が死んだとき、何かギィと話してたよね。
そっか、あのときも七瀬朝魅として先生を看取ったわけだ。
そりゃ彼女も満足するよ。
きっと最大の後悔が、七瀬さんの死だったんだろうし。
「だから優也くんは、もう休んでいいよ」
優しく、まるで子を寝かしつける母のような声で、ギィは呼びかける。
その言葉は島川優也の胸に染み、その異形と化した全身は、まるで力が抜けたように脈動を止めた。
「……そうだね、それがいいのかもしれない」
その肉体は、理性を取り戻した彼の制御下にある。
「でも……一人は、寂しいな……」
その彼が眠れば――完全に機能を停止するのだろうか。
「あいつの動きが……止まった?」
「終わったんやろうか」
「その割には、元の場所に戻れる感じはしないけど」
ギィは島川優也をしばし見つめた後、こちらに振り返った。
同時に顔を作り変え、犬塚さんの姿に戻る。
私は彼女に歩み寄りながら、問いかけた。
「ギィはどうして七瀬さんのことを?」
「殻をもらった」
「殻?」
「外殻から読み取った情報で言葉を作った。七瀬朝魅の中身は吸いつくされているから、知っているのは概形だけ。七瀬朝魅と呼ばれるべき人間はもう存在しない」
難解な言い回しは、誤魔化しているからなのか。
はたまた、ギィなりにわかりやすく説明しているだけなのだろうか。
根本的に人間とは異なる生きものなので、日本語で説明するのも難しいのかもしれない。
しかし、それを聞いて、ギィに疑いの目を向けている真恋は納得できなかったようで、軽くにらみながら強めの語気で追及する。
「他人の魂を乗っ取ったというのか?」
「内臓を吸い付くされて死んだ人間を人間だっていうんならそうなるかな」
「貴様が食らったのか」
「アタシはただの端末。それに今のギィはギィだよ? 依里花が名前をくれたギィ。それ以上でもそれ以下でもない、ギシシッ」
「……貴様に気を許してはいけないと勘が告げている」
「悲しいな。アタシはマリンやルカのこと嫌いじゃないのに。ギシシシシッ」
まあ、ギィが悪い子なのは今に始まった話じゃない。
私としても真恋のことを完全に信用したわけじゃないし、多少の軋轢ぐらいはあっても構わない。
「そんなこと今はどうでもええやろ」
ちょうど私が言いたかった子とを島川くんが代弁してくれた。
「それより兄貴はどういう状態なんや? 動きは止まったけど何も起きへんやないか」
「島川優也が眠ったというのならば、残ったものは――カイギョの凶暴性だけだろうね」
「ルカの言う通り!」
パチンと指を鳴らしながら、麗花を褒めるギィ。
「どういうことや」
「要するに、ただ襲ってくるだけの化物になったってこと!」
「宿主がいなくなったから、あとは本能で私たちを殺しにくるってわけね」
「そ、それって……いいことなの?」
令愛の頬が引きつっている。
確かに、話だけを聞くと逆に追い詰められているようにも思えるけど――
「ギィ! あいつはもう島川優也のトラウマも引き出せないし、寂しさによる引力も使えない。ただのでかいだけの木偶の坊!」
島川優也に起因する能力は封じられた。
あいつはもはや、ゾンビの延長線上にいる、ただのどでかい化物ということだ。
「つまり大暴れしてぶちのめせということだね。私と真恋の得意分野じゃあないか」
「一緒にするな。しかもどうやら、あちらもそのつもりのようだぞ」
化物の色が急激に赤くなり、肉体の各部がぼこぼこっと隆起する。
そこから顔を出したのは、大量のゾンビの体だった。
さっきも何か変な形のゾンビを飛ばしてきてたし、ベースはグールマザーなのかな?
あれよりずっと凶暴みたいだけど。
そして現れたゾンビたちを、“ホームシック”は砲弾のように一斉に発射した。
「サンクチュアリウォール!」
令愛が一歩前に出て、盾を構える。
光の壁が展開されると、そこに衝突したゾンビ砲弾が盛大に爆発した。
「うぅ……人間の体を、あんな使い捨てみたいにっ!」
とっさの判断で“反射”ではなく“防御”を選んだ令愛の選択は正しかったと私は思う。
なぜなら、相手が仕掛けてきたのは一斉射ではなく、波状攻撃だったからだ。
リフレクションシールドで反射できるのは、せいぜい数秒のみ。
それが終われば、一時的に完全な無防備になってしまう。
ただ、問題は――
「令愛、まだ耐えられそう?」
防御に徹したところで防ぎきれないぐらい、相手の物量が圧倒的だったということだ。
「ご、ごめん、もう無理かもっ」
まあ十秒以上耐えられただけでも御の字だ。
相手はそれだけ無駄弾を浪費したのだから。
そしてついに壁は砕け、私たちはゾンビの雨に晒される。
「各自どうにか対処して!」
指示とも言えない言葉を叫び、私自身も身を守るために飛んできた腐乱死体を切り落とす。
だが衝撃を加えればたちまち爆発してしまうため、その対処は難しかった。
「廊下で遭遇した群れもっ、かなりの量ではあったが――」
「まだまだ1階からいなくなった化物全部というには、少なすぎたからねえ!」
「こらあかん、防ぎきれへん!」
「グゥ……島川優也はもう出てこないのに、往生際が悪い」
またたく間に私たちは爆風に晒され、身を焼かれ、肉体を吹き飛ばされた。
次弾装填のために攻撃の手が緩む頃には、制服が破れるどころか、体の一部も欠損していた。
私も片腕を持っていかれたし、顔も半分ぐらい焼けてる気がする。
でもまあ、令愛と違って見た目を気にするほどの価値もないし?
「く、ひゅ……ぁ、は……はぁ……はぁ……令愛、無事?」
「回復できるんだから、何も私をかばわなくてもっ!」
「ごめん、反射的に動いちゃった」
怒られてしまった。
でも、その甲斐あって令愛の傷は割とマシだし?
体の価値を考えても、価値の低い私が彼女を守れたのはコスパいいと思うんだよね。
あと単純に私が嬉しい。
ちなみに、他の面々もどうにか生きている。
ギィとか体の半分ぐらい吹っ飛んでるのに、HPで見ると半分しか減ってないんだよね。
やっぱあの体、人間よりずっと便利な気がする。
「グゥ……痛い」
「苦しいとこ申し訳ないけど、ギィ、回復お願いできる?」
おそらくギィは、後方支援を行うために魔力に重点的にステータスを注いでいるはずだ。
一番ダメージを受けてるのも、体力にステータスを振り切れずに耐久力が低いからだと思うんだよね。
どうせMPを使うなら、そんな彼女に頼むのが最適だ。
「できる。そのためにスキル覚えた。ヒーリングオーブ!」
ギィは私の期待に答えて、上位の回復スキルを使用する。
光の球体が私たちの頭上で輝き、キラキラと瞬く雨を降らせる。
その暖かな雨を浴びると、体の傷はみるみるうちに癒えていった。
「いやはや、こうなると手足の一本や二本は使い捨てだねえ」
「無鉄砲め……私を庇ったりするからだ。それにしても、急に攻撃が止まったな」
「リロード中なんやろ」
「ギシシシ、つまり今がチャンス」
「攻撃の手が止まってる今のうちに倒すよ!」
「うん、行こうっ!」
回復も済んだところで、今度はこちらから攻勢に出る。
全員で一斉に走りだし、壁と一体化した化物に迫った。
もちろんゾンビを射出して反撃もしてくるけれど――先ほどまでの圧倒的物量にはまったく及ばない。
島川くんが前に飛び出し、突進力とリーチの長さを使って砲弾を撃ち落とす。
「はっ、小出しなら大したことあらへんな!」
その挑発に腹を立てたのか、ホームシックは少し無理して多めの砲弾を撃ち込んできた。
するとギィが急に背を向けて、お尻を突き出す。
そこからにゅるりと尻尾――ではなく九本の電撃を纏った鞭が伸びた。
「
鞭はゾンビに巻き付いて、電流を流すことで爆発を引き起こす。
てかあれ、もはや鞭じゃなくない?
「いっぱい倒したおかげでアタシたちもレベル40を越えてる。これぐらいはアサメシマエ!」
ギィは私に向かってウインクをして勝ち誇る。
表情が変わるだけで犬塚さんの顔でも、あんなにかわいく見えるもんなんだね。
さて、今度は日屋見さんの番だ。
彼女が広範囲に影響の及ぶ攻撃を得意としていることは知っている。
そしておあつらえ向きに、相手はさらに多くの砲弾を用意してきた。
体の一部が凹んでいるところを見るに、肉体を削ってまで無理して生み出しているのだろう。
そして放たれる、視界を埋めるほどの一斉射。
だが臆すことなく、その処理を日屋見さんに任せ、私、令愛、真恋の三人は前に進み続ける。
「ちょっとは物量を用意してきたようだけど、私の情熱には届かないね」
ギュゲスが変形し、砲門を形成。
そこから激しい炎が発射される――
「焼き尽くすよ愛の炎、閃光のラヴァブレイズッ!」
空中で巻き怒る大爆発が、体育館全体を炎のオレンジで照らした。
「弱点を露出させるか」
「場所わかってるの?」
「相手の動きを観察することで、庇っている部位を判別することができる」
爆炎をバックに、真恋は高く飛び上がる。
「水月」
刀の姿が一瞬ぶれ、幻影の力が宿る。
「幾望月」
無数の刀が、真恋の周囲に浮かび上がる。
「そして――望月ッ!」
斬撃の“塊”がホームシックに向かって放たれた。
狙った場所は島川優也がいた場所より少し下。
命中すると、大量の血肉を撒き散らしながら、斬撃は体の中へ中へと入り込んでいく。
そして晒された体内の奥には、ドクン、ドクンと脈打つ巨大な心臓のような器官があった。
「見えたっ、心臓みたいなとこ!」
だが体のいたるところから触手が伸び、それが弱点を覆い隠してしまう。
さらには全身からブシュッと血を噴き出し、身を削りながら新たなゾンビ砲弾を生み出した。
狙いは私と令愛だ。
「うわあぁ、すごい数だよぉ!」
「こうなると相手も必死だね。令愛、行ける?」
「うん、任せて! さっきのリベンジかましてやるんだからッ!」
壁から頭を出したゾンビ砲が
「リフレクションシールドっ!」
生成された壁は見事に敵の攻撃を全て跳ね返し――触手で守られていた心臓部が、再び姿を現す。
そして私はついに敵の懐にまで到達した。
心臓は人間よりも大きく、半端な化物よりも頑丈な可能性がある。
でも大丈夫、ちゃっかりギィが稼いでくれた時間で、スキルを覚えておいたから。
【スプレッドダガーLv.3】
【スパイラルダガーLv.3】
【高速回転する短刀を投擲する。回転する刃は分厚い鎧すら貫通する】
【リコシェダガーLv.3】
【五本の短刀を投擲する。この短刀は壁や障害物に当たった場合、反射して加速する】
【フルバーストLv.1】
【使用可能な投擲系スキルを一斉に発動させる】
【残りスキルP:1】
心臓の高さまで飛び上がり、持ちうる最大火力を叩き込む。
「全部持ってけッ、フルバースト!」
無数のナイフが私の周囲の浮かび上がり、そして一斉に心臓に向かって飛んでいく。
突き刺し、拡散し、穿ち、反射しながら切り刻む。
ドリーマーで可能なありとあらゆる暴力を一瞬のうちに味わい、化物の核は徹底的に破壊しつくされた。
『うあぁぁぁああああああ――』
埋まっているゾンビたちが、苦しげな叫び声を響かせる。
島川優也たちをいじめていた彼らも同様だ。
体を捩りながら苦痛に叫び、悶え、そしてどろどろに腐敗して溶けていく。
さらに腐って液体になった肉は床に染み込んで、跡形もなく消えてなくなった。
全てが終わったあと、残ったものは、人間の脳と眼球、口、そして脊椎が一人分だけ。
ゾンビではなく、“人間”として取り込まれた島川優也であることは言うまでもない。
島川くんは彼に歩み寄り、しゃがみこんだ。
「……兄貴」
眼球がころりと向きを変え、島川大地を見つめる。
そしてその口が声を発した。
「大地、か」
なぜあんな状態で生きていられるのかはわからない。
体内に残ったカイギョの残りカスがそうさせているのか。
「何でこんなことになってしもうたんや」
「わからない……いつの間にか、僕はあの化物の一部になっていて……いや、違うな、その前に誰かと話したんだ。女の子だった……」
女の子――さっき言ってたカイギョの贄ってやつ?
聞きたいけど、さすがに割り込む気にはなれないな。
するとそのとき、急に地面が激しく揺れはじめた。
「じ、地震っ!?」
怯える令愛の体を抱き寄せる。
真恋は冷静に周囲を観察しながら言った。
「いや、違うな。主を失ったことで、この場所が崩れ始めているようだ」
「親切にも脱出口まで開けてくれたみたいだねえ」
日屋見さんの言う通り、体育館の扉が開いており、その先が赤い廊下に続いているのが見えた。
あれが以前と同じ廊下なら、最期まで逃げ切れば保健室にたどり着けるはずだ。
「逃げようっ! 島川くんも!」
令愛が呼びかける。
しかし彼は、従兄弟の顔を見たまま動こうとはしなかった。
「島川くん!?」
「倉金先輩、すまんけど俺のことパーティから外してくれへんか」
「弔いたいなら死体を連れていけばいい」
「まだ兄貴は死んどらんのやから、弔ったりできんやろ。ただでさえ寂しい思いをしとる兄貴を、一人にして置いて行きたくないんや」
そう語る島川くんを、島川優也は強めの口調で諌めた。
「大地、馬鹿なことを言うんじゃない。大地はまだ生きてる」
「そうだよ。お兄さんだってそんなこと望んでないんだから!」
令愛も加わって説得するが、島川くんはゆっくりと首を横に振った。
「こっから脱出しても、戦いはまだ続くんやろ」
「だろうね」
「俺は兄貴を助けるっちゅうモチベーションがあったからこそ、生き延びてこれた。ここで兄貴を置いて一人で生き残ったところで、そっから俺にできることなんかないやろ」
彼は島川優也のことばかりを話しているけれど、たぶん明治先生のこともそこに含まれているんだろう。
「この先、兄貴を踏み台にして生き残った俺が無様に死んだら、後悔してもしきれへん」
だからいっそ、ここで“意義ある死”を迎えようと。
島川くんはそう言っている。
私には理解できる。
「強引に首根っこを掴んで連れていくべきではないのかな」
「私も同感だ。死人に引きずられているだけだろう」
満たされた人生を送ってきた人とは、きっとわかりあえない価値観だ。
それにこれって、結局は最終的に自分が決めることだよね。
島川くんがそれを望むなら、それを否定する権利なんて私には無い。
「辛い生より幸せな死を選びたい。そう思う人もいるよ」
「依里花……」
「それが島川くんの選択なら、私は止めない。実際、この先も碌でもないことが待ってるに決まってるんだから」
こちらを向いた島川くんは、歯を見せて笑った。
「おおきにな、倉金先輩」
「見捨ててありがとうって言われるのも変な気分だけど」
短いとは言え交流もあった相手だ。
思うところが無いといえば嘘にはなるけれど。
どうせもう時間がない。
体育館は無事でも、あの出口がいつまで崩れずに保つかはわからないのだから。
私たちは彼に背を向けて走りだす。
「ほな、さいなら」
◆◆◆
天井から落ちてきた瓦礫によって、体育館の瓦礫は塞がれた。
これでもう、大地は逃げることはできないし、依里花たちが戻ってくることもない。
「なぜこんなことをしたんだ」
優也は苦しそうにいった。
愚かな自分のせいで、さらに犠牲者が増えることが辛かった。
「兄貴、覚えてるか? 俺が小学生の頃、2年ぐらいこっちに住んでたことあったやろ。あんとき、俺もいじめられててな。この言葉遣いがあかんかったらしくてなあ」
「……覚えてるよ」
「本当に辛かった。ガキのくせに何度も死のうと思っとった。そんとき、助けてくれたのが兄貴だったんや」
「当然のことをしただけさ」
「それを当たり前にできる人間が、一人で寂しく死んでええわけないやろ」
優也と大地、両者が納得する結論は無かった。
大地がそういう考えを持っている以上、どちらか一人が諦めるしかないのだ。
「それに、この世界に出口があるかどうかもわからへんからな」
崩れ行く天井を見ながら、大地は言った。
壊れた壁の向こうに空は無い。
あるのは、どこまでも続く漆黒だけだ。
「出口か……希望ぐらいはあるかもしれないね」
「何か知っとるんか?」
「カイギョは本来、世界全てを簡単に食らい尽くすほど大きな存在だ」
「そのカイギョって何なんや」
「わからない。人の目では歯の一本程度しか視認できないぐらい巨大な存在としか」
「そないなバケモンに、俺らの学校が襲われてしもうたっちゅうわけか」
「しかし、実際に食われたのは世界の全てじゃないんだ。本来なら地球どころか、宇宙も含めて世界の全てが腐ってしまうはずなのに。捕食は失敗したと言わざるをえない」
相変わらずそちらの話がよくわからない大地は、「ふーん」と気のない相槌をうつ。
「ああ、せめて倉金さんに伝えておくべきだったな」
「倉金先輩のこと知っとるんか?」
「直に合ったことはない、でも聞いたんだ。僕がこうなる前に、誰かから。この世界の存在意義について。いや、というより贄が、ただ腐敗して捕食するだけのカイギョの行動に、自らの意思で意味を与えたって言うべきなのかな。要は僕と同じで、ただの腐敗じゃないんだ」
「……何もわからへん」
「ごめん、自分でも頭の整理ができない」
「どうせ伝えられへんかったんや、後悔してもしゃーないやろ」
「そうだね。ところで……あの七瀬は本物だったのかな」
「本物やったんちゃうか。そうでもなけりゃ、あそこまで詳しく話せんしな」
もちろん大地も、あれがギィだったと理解はしている。
だが同時に、“七瀬ではない”と言い切れない強い説得力が彼女の言葉にはあった。
「……本当に僕のことを恨んでなかったんだね」
「恨むわけないやんか。守ってたんやろ、あの子のこと」
「うん、守りたかった」
だが、守れなかった。
仮に相手が生徒だけなら、ひょっとすると守れる未来もあったかもしれない。
しかし敵は学校全体だったのだ。
彼一人でどうにかできるものではない。
「ずっと……ずっと……世界の全てから恨まれている気がしていたんだ。僕のせいで両親が死んで、僕のせいで大地はこっちの学校に入ることになって。少しでも誰かに迷惑をかけないようにしないと、自分が罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった」
「誰も兄貴のことなんか恨んどらん。もちろん俺もな。兄貴の親かて、心配はしても恨むわけあらへんやろ。叔父さんと叔母さん、めちゃくちゃ優しかったで」
「わかってるんだ……でも、七瀬や大地から直接聞かないと、自分一人で納得することはできなかった。両親でさえも信頼できない自分になっていた」
「早いとこ俺に相談しとってくれたならなあ、少しは力になれたんちゃうか」
「そうだね、今になって思えば、一人で抱え込んだのがよくなかったんだ。でも……あのときの僕に、それが出来たかと言えば……」
自分が悪い。
他人を巻き込みたくない。
迷惑をかけたくない。
そんな優しさから来る感情が、彼を踏みとどまらせ、同時にその魂を澱ませていった。
「ああ……もう、終わりそうだ」
体育館の床も崩れはじめ、残るは二人の周辺までになっていた。
大地は下を覗き込む。
そこも空と同じ、どこまでも続く黒――しかし目を凝らすと、遥か彼方にわずかだが光が見えた気がした。
それが何かはわからない。
知ったところで無駄だ。
どうせ、そこに辿り着く前に、落ちていく瓦礫のように粉々に砕け散って死んでしまうのだから。
ごろんと寝転がった大地は、口元に笑みを浮かべながら語りかける。
「せやな、ぎょうさん疲れたしゆっくり休もうや」
「そうだね……それがいい」
二人は目を閉じた。
優也には閉じる瞼はなかったが、そう意識すると視界は暗く閉ざされた。
そんな心地よい暗闇の中で、ふと優也は思い出す。
自分に力を与えた少女の姿を。
「ああ、そうだ。彼女の名前は、郁成――」
意識が消える。
幕が閉じる。
『ごめんなさい、これぐらいしかできなくて』
無限に続く虚無の中心で、少女は悲しげに呟いた。
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