第36話 崩落
『モンスター『人間』を殺害しました。おめでとうございます、レベルが55に上がりました!』
脳内に響く声に、私は思わず足を止めた。
他の四人も戸惑い、視線を交わす。
「今のメッセージは……島川優也が死んだということなのか。人間として」
「島川大地もいっしょに逝けた」
「少なくとも島川優也は報われたんじゃないかな、ただ滅ぼされるよりはいくらかね」
真恋たちの言葉に、令愛は胸のあたりできゅっと拳を握りしめ悲しみを噛みしめる。
けど私の胸をざわつかせたのは、そこではない。
先ほど聞こえたメッセージ――集堂くんを殺したときと同じだった。
確かに島川優也は、人間として生きたまま化物に変えられた。
そして“ホームシック”としての肉体が滅びたからこそ、人間として死ねたのかもしれない。
だけど集堂くんはどうだろう。
確かに彼は化物みたいな思考をしてたけど、体に変化はなかったはずだ。
あるいはまだ見た目に影響が及んでいなかっただけで、同じように化物になる可能性があった?
だとしたら――私が集堂くんを殺したことって、何もかも、正しかったんじゃないかな。
「あたしにはわかんないな……本当にあれで良かったのかなぁ」
ああ、いけない、いけない。
隣で令愛が震えてる、苦しんでる。
こんなときに笑ってる場合じゃないよ。
こらえろ私。
「私たちは……明日、生きてるかわからない。ううん、それどころか一時間後の命の保障だってない。このまま立ち止まってるだけで、崩落に巻き込まれて死ぬんだから」
なんとか落ち着けた。
うん、考えるのは後にしよう。
そもそも命の危険が迫ってるのは事実なわけだし。
振り返ると、そこには崩落した廊下がある。
落ちれば底の見えない奈落に真っ逆さまだ。
なおも崩壊は続いており、いつまでも止まっているわけにはいかない。
「そんな場所なんだから、満足して死ねたなら、きっとその人は幸せだったんだと思うよ」
令愛は私の言葉を咀嚼するも、飲み込みきれないようだ。
うつむいたまま次の言葉が出て来ない。
「あんまり考えすぎないようにね。人の生き死にの価値なんて自分にしかわからない。少なくとも、令愛に責任なんて一切無いんだから」
「うん……頑張って、そういうふうに考えてみる」
しばらく引きずりそうな答えだった。
明治先生のこともあったし、すぐには立ち直れない、か。
できるだけ私が支えられたらいいんだけど。
そして私たちは再び扉に向かって走りだす。
しばらくは無言で進んでいたが、ふいに真恋がギィに声をかけた。
「ギィとやら、私の質問に答えてもらいたい」
「ギィ?」
「結局、貴様は何なのだ? なぜ七瀬という少女の姿になり、島川優也と対話ができた」
そこに関しては、後で落ち着いたら私も聞こうとは思っていた。
七瀬朝魅の殻を持ってる、みたいなこと言ってたけど。
「アタシにはお母さんがいる。お母さんの食べ残しにゴミを詰めて、アタシたちは生まれる。捕食器官として利用するために」
ギィは至極真面目な表情でそう言った。
だが真恋には伝わっていないようで、
「わかるように話してくれないか」
と、高圧的に睨まれる。
しかしギィはなおもお構いなしに、マイペースに話を続けた。
「食べたものの大半はお母さんに吸い付くされて、アタシたちに与えられるのは残りカスだけ。だからエリカにはすっっっごく感謝してる! アタシがアタシになれたのは、エリカがいたおかげだから!」
なんとなく――わかった、かな?
「……何もわからん」
真恋はこんな様子だけど。
「ギシシシ、エリカに伝われば十分!」
「わかったのか?」
「たぶん」
「翻訳してもらおうか」
「と言っても、感覚で理解してるだけだから難しい」
「貴様もか……」
「ははっ、知らなくてもいいじゃないか、真恋。私たちは勝ったんだ、それでいい。違うかい?」
「麗花ほど楽観的になれれば生きるのが楽そうだな」
諦めた様子で真恋は言った。
それでいい。
ギィはたぶん、頭がいい。
あそこで七瀬朝魅になりすまして、島川優也を説得してみせたことからもわかる。
そんな彼女が言葉を濁しているのだ、そこには理由があるはずだ。
少なくとも、恩義を感じている私に不利益が生じないような理由が。
ギィに視線を向ける。
すると彼女もこちらを見返して、「ギシシ」と嬉しそうに笑った。
うん、たぶん大丈夫だ。
私たちは黙って赤い廊下を走り続ける。
もう横の教室から化物が出てくることもない。
静かに崩れ行く長い一本道を、ひたすらに駆け抜けるだけだ。
気づけば令愛は私の手を握っていた。
私も強く握り返す。
何かあっても、離れ離れにならないように。
夢実ちゃんの二の舞にならないように。
そして私たちは廊下を走りきり、扉を蹴り開いた。
◇◇◇
「うひゃあぁああっ!?」
気づけば床が真正面にあり、衝突しそうになった令愛を私は抱き寄せる。
真恋と日屋見さんはかっこよく着地して、ギィはスライムなので問題なく床に降りた。
かっこ悪く抱き合ったまま転がったのは私たちだけだ。
「びっくりしたわぁ……」
「会衣は怪我してないかって心配」
保健室で待っていた巳剣さんと牛沢さんが、私たちを覗き込む。
「あ、あはは……平気、平気。依里花が守ってくれたから」
「令愛が無事ならよかった」
制服に付いた埃を軽く叩いて、私たちは立ち上がる。
「あの……会衣には、島川くんがいないように見える」
牛沢さんが不安そうに尋ねた。
令愛の表情が曇る。
それで概ね事情は察したようだが、私はあえて隠さずに話すことにした。
「島川くんなら、お兄さんと一緒にいたいからって残ったよ」
「それって死んだってことじゃないの?」
「そうなるね」
「っ……島川くん……」
牛沢さんはじわりと目に涙を浮かべた。
巳剣さんも少なからずショックだったようで、天を仰いでため息をつく。
「だけど戦いで死んだとかじゃない。満足して死んだ」
そこでギィは補足説明をしてくれたけど、
「……それならいくらかマシなのかしら」
「死んだことには変わりないって、会衣は思う」
あまりいいフォローにはならなかったようだ。
余計なことを言ってしまったと思ったのか、ギィはちょっと凹んでいた。
そのときだった。
遠くから地鳴りが響いたかと思うと、私たちの足元が揺れはじめる。
「なに、地震?」
巳剣さんはそう言ったが、私たちはそれがただの地震ではないことを知っている。
「このフロア全体が崩壊しはじめたのか!?」
「真恋、私たちの教室に戻ろう」
「そうだな、麗花。依里花、階段の前で合流するぞ。ここにいる人間を連れて先に向かってくれ」
「りょーかい。二人ともがんばってね」
全力疾走で保健室を飛び出す二人を、私は手を振って見送った。
一方で、置いてけぼりの牛沢さんと巳剣さんは、不安そうな視線をこちらに向ける。
「今、崩壊するって会衣は聞こえた」
「どういうことよ」
「この階層のボスだった島川優也が死んだから、全体が壊れ始めてるみたい」
「あたしはてっきり、あの廊下や体育館だけだと思ってたけど……」
「そういう仕組みだった以上、何を言ったってしょうがないよ。巳剣さん、パーティー枠あいてるからメンバーに入って。万が一、何かが起きて死んでもいいようにね」
「不吉なこと言うわね……でも枠があるなら喜んで入るわ」
これでパーティメンバーは令愛、ギィ、牛沢さん、巳剣さんの四人だ。
そしてレベルが50を越えたのであと一人まで余裕がある。
といっても、生存者が見つからない限りは埋まることはないんだけどね。
……そういや、あのネムシアって子、どうなったんだろ。
下手したら二階への階段の場所も知らない可能性があるよね?
まあ、かといって居場所もわからないし、私にはどうしようもないんだけど。
「エリカ、残った食料は全部持っていったほうがいい!」
「あと洋服も持っていけるだけ持っていこうよ。まだスマホの中に入るよね?」
「二階で物資が集まるかもわかんないもんね」
保健室に置かれた道具や食料などをありったけスマホに入れ込む。
そして最後に、教室の隅で布をかけられた明治先生の亡骸の前で手を合わせ――
「結局、どこにも弔えなかったわね」
「会衣は仕方ないと思う。外に出しても、食べられるだけだし」
「魂はもうここにない。メイジは残されても怒ったりしない」
「そうだね……たぶん、あたしたちが生き残ることが、先生を一番喜ばせることになると思うから」
「令愛の言う通りだよ。さあ、行こうっ」
私たちは部屋を後にした。
◇◇◇
すっかり一階には化物の姿はなくなっており、階段まではあっさりたどり着くことができた。
以前あった島川優也の肉体で作られた壁はなくなっていて、二階に向かうことができるようになっている。
踊り場の壁は自然光のような明かりに照らされていて、まるでその先が外につながっているように見えた。
廊下の奥の方ではすでに崩壊が始まっており、床や天井が奈落に呑み込まれている。
あまり長時間待つことはできない。
「真恋さん、大丈夫かな……」
令愛が心配そうに言った。
っていうか、真恋はさん付けなんだ。
明治先生には敬語だったし、誰に対しても呼び捨てってわけじゃないんだよね。
「どんどん揺れが強くなってる。会衣、怖い……」
「危なくなったら、先に二階にいっちゃってもいいのよね」
「たぶん真恋はそういうのに文句を言うタイプじゃないと思うよ」
私個人には嫌味を言うかもしれないけど。
そんな会話をしていると、大勢の足音が近づいてくる。
「ギィ、間に合った!」
角から、真恋と日屋見さん、そして6人の生存者たちだった。
生存者たちの体調はあまりよくないと聞いていたが、このフロアから脱出できると聞いて、今ばかりは明るい表情を見せていた。
「律儀に待っていたのか」
「妹が寂しがるといけないと思って」
「ふん、恩着せがましいことを」
「ははは、こんなときまで喧嘩しなくていいじゃないか。さあ、早く行こう」
駆け足の勢いそのままに、真恋と日屋見さんは階段を登る。
私たちもそれに続こうとしたそのとき、タァンッ! と何かが弾けるような音がした。
そして何かが先頭を行く真恋の胸を貫き、血が飛び散る。
血しぶきを浴びた日屋見さんは、「あ……」と彼女らしくない、怯えたような声をあげる。
そんな彼女の上に真恋は倒れ込む。
抱きかかえた日屋見さんは、青ざめた顔で叫んだ。
「真恋ッ!」
「嘘……ど、どうしてっ!」
「銃弾……」
真恋の体を貫通した弾丸は、私の右手にある壁に埋まっていた。
二本のドリーマーを構え、私は令愛の前に出る。
ギィも鞭を手にして戦闘態勢に入り、その他の戦闘経験の無い面々は身を寄せ合って怯える。
すると階段の上の方から、軽やかな足取りで女が降りてくる。
踊り場に立ったその面を見て、私は思わず怒鳴った。
「大木ィィィィィッ!」
我がクラスの担任、
彼女は私の声を聞くなり、ゴミを見るような目でこちらを見下す。
「豚みたいな汚い鳴き声がすると思ったら、倉金さんじゃなぁい! 担任を呼び捨てにした上に、価値不相応に生き残ってるなんて、本当にどこまでも役に立たない生徒なのねえ」
「ひどい……生徒に向かってそんなこと! 明治先生はあんなに立派だったのにッ!」
そう声を荒らげる令愛に、大木はニィッと笑いかける。
「こんにちは、令愛ちゃん」
「名前で呼ばないでよ気持ち悪い!」
「そんなこと言わないでよぉ、だって私――」
言葉に途中で、大木の顔が黒く変色したかと思うと、どろりと溶けはじめる。
やがてその下から、皮を剥ぎ、鼻や耳を削ぎ、喉をえぐり取った異様な姿が現れた。
かと思えば、すぐさま溶けた顔は別の形になって復元する。
「あなたのお母さんなのよ?」
声も顔も作り変えられ、そこには大木藍子ではなく、令愛の母と思われる仰木藍子が立っていた。
「そんな……そんなこと……本当に、お母さんなの?」
「そうよぉ。離婚したあとも顔を変えて、ずっとあなたのことを見ていたの。母親としての責務だもの」
「そんな……お母さん……」
「私の愛に感動しているのね、令愛」
「あなたが、そこまで壊れた人だったなんて……ッ!」
戒世教に狂っていったとはいえ、母として令愛に優しく接したこともあったのだろう。
その姿と、今の状況がぶつかり合って、令愛の心はぐちゃぐちゃにかき乱されていた。
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