第5話

 エルウィンとナランと目標を立ててから、あっという間に十三年が過ぎた。

 私は十八になり、エルウィンとナランは二十になった。


「首尾はどうだ?」

「上々よ」

「僕も」


 皇帝陛下の在位十五年を祝う夜会で、私たち三人は顔を突き合わせて、笑い合う。

 こんなことは一度目ではありえなかったことだ。

 ナランは二十になる前に斬首されてしまったし、皇帝陛下も在位十五年の前に、倒れて儚くなってしまった。

 一度目だと、この場はアルフレッドの即位を祝う夜会であったはず。私はそこで婚約破棄を告げられ、地下牢へ入れらた。そして、そのまま断頭台へと運ばれたのだ。


「小国との小競り合いは起きず、大雨による飢饉も回避できた。ナランも皇帝陛下も生きている。……すべて、私が見た未来とは変わっているわ」


 私の言葉にエルウィンとナランは笑顔で頷いた。

 小国との小競り合いが起きなかったのは、ナランの力が大きい。

 ナランは我が国と小国との間に国交を結ばせたのだ。

 ナランは十三になった年、なぜ国境を攻めるのか、それを知るために小国とのやりとりを始めたのだ。そして、六年の月日をかけ、小国はようやく理由を教えてくれた。


 ――国境の森の奥。そこにある湖が小国にとっては儀式に必要な聖地だったからだ。

 国境の拡大が目的でもなければ、軍事演習でもない。ましてや暇つぶしでもなかった。

 結果、我が国は儀式であれば小国が国境の森へと侵入することを許すこととし、小国は儀式が終われば自国へと帰ることを約束した。


 こうして、我が国は戦をせず、国庫に食糧を蓄えて、大雨を迎えた。

 大雨による災害が出そうな場所は私が父母に説明し、皇帝陛下に進言をし、数年かけて計画的に工事をした。それでも間に合わない場所の住人はエルウィンが近衛騎士団長として、ほかの騎士団長などに話をし、すべて避難させる。

 大雨により小麦の減産は避けられないが、春に人手不足になることなく植え付けた小麦は、一度目と比べると二倍の量は収穫ができた。


 ――長引く戦も大雨による飢饉も起きない。


 未来を知っていれば、こうしてたくさんの人を救うことができた。これが、女神が私へ力を渡したかった理由なのだろう。

 一度目のような多数の犠牲者を出すことなく、未来へ。

 だが、私はそれで終わらせるつもりはない。悪女として、やり遂げるのだ。


「……なあ、どうしてレディアがあいつの婚約者にならないといけなかったんだ?」


 「未だに納得できていない」。エルウィンはそう言うと不機嫌そうに片眉をぴくりと上げた。

 私はナランと目線を交わして……またか、とため息を吐く。


「何度も説明したじゃない。フィレナをおびき出すためだって。フィレナも未来を見たはずなの。それはきっと私とアルフレッドが婚約していた未来。それを大幅に変えてしまってはフィレナが警戒して行動に移さないかもしれない。……それでは困るの」

「……レディアが言ってることは頭ではわかる。だが、ずっと心が納得できていない」

「私はエルウィンがなにを言ってるかがわからないわ」


 わかっているが、納得できないとはなんなのだろうか。私が十五でアルフレッドと婚約して早三年。ことあるごとに常にそのことを言い続ける理由はなんなのか……。

 困惑して眉根を寄せると、今度はエルウィンとナランが視線を交わし合った。

 その途端、エルウィンははぁとため息を吐いた。


「わかってるんだよ、レディアが鈍感だってことは。……今は必死なんだってことも」

「……なんの話? 私について、失礼なこと言ってる?」

「レディアがかわいいねって話だよ」

「……そんな風には聞こえなかったけれど」


 ツンッと顎を上げれば、またナランが「うんうん。レディアはかわいいね」と朗らかに笑う。そんなナランの笑顔がうれしくて……。こうやって生きているナランとやりとりができる未来が来て、本当に良かった。


「……俺は結局、レディアがうれしいならいいんだけどな」


 エルウィンはそう言って、やれやれと肩をすくめる。

 ともかく、私はあえて、アルフレッドとの婚約を果たした。

 簒奪を狙う私が、アルフレッドの婚約者となる。我ながら、大層な悪女ぶりだ。


「そのおかげで、ちゃんとアルフレッドとフィレナは出会ったから正解だったと思うの」


 ふふっと笑う。

 砦を攻め落とされることはなかったが、フィレナはしっかりとアルフレッドの命を救うという機会は逃さなかった。

 そして――


「レディアーヌ・ロニエ! 私はお前との婚約を破棄する!」


 ――アルフレッドは一度目と同じように、私に婚約破棄を告げた。


 私を忌々しそうに見る金色の瞳。私はそれをまっすぐに見つめ返す。

 ……ついにこの時が来た。


「お前は侯爵令嬢の地位を盾に、ここにいるフィレナに酷い仕打ちをしていたそうだな!」

「……私にはなんのことだかわかりません」

「黙れ! よく抜け抜けとそのようなことを! 証拠は揃っている! 私はお前のような女とともにいることはできない!」


 そこまで言うと、アルフレッドはフィレナをエスコートし、玉座の前まで滑り出た。


「父上!! レディアーヌ・ロニエは悪女なのです! たしかに美貌はすばらしい。だが、これに惑わされてはならぬのです!」

「……そうか」


 玉座に座った皇帝陛下はアルフレッドの声が響くのか、ため息を漏らすと、右のこめかめを親指でぐいと押した。

 近年、皇帝陛下は頭痛に悩まされているようなのだ。


「レディアーヌ・ロニエ、こちらへ」

「はい」


 皇帝陛下が低い声で私を呼ぶ。私は素早くエルウィンとナランと視線を交わし、玉座の前へと進み出た。


「なにか申し開きはあるか?」

「とくにありません。すべて事実無根であり、詳細を伝えることもできないのです」

「……そうか」

「父上! この悪女はもはや言い訳もできない、そういうことなのです! 私はこの悪女の断罪を要求します! そして、私の婚約者としてフィレナとしたいと思います」


 アルフレッドの言葉に感動したように、フィレナが縋りつく。健気で思わず守りたくなるような様子だ。けれどその翠色の瞳は私を見て、優越感に浸っていた。

 ……もっとしっかり隠さないと。

 私はフィレナに心の中で忠告すると、目を閉じる。

 そして、あえて震えた声で言葉を発した。


「婚約破棄……アルフレッド様のお気持ちが私にないのであれば、……仕方ありません。お、二人は……どこで、出会われたのです……?」


 我ながら憐れそうな声である。

 アルフレッドはそんな私の様子に満足したのか、頬を高揚させて、堂々と発言した。


「フィレナとは小国の国境で出会ったのだ! フィレナは暴漢に襲われた私を身を呈して守ってくれた! いつも澄ました顔で私のために動こうともしないお前とはなにもかも違った! そんなフィレナに対し、嫉妬により心根の醜い仕打ちをするなど……!」

「小国の……国境で出会われたのですか?」

「そうだ!」

「……お二人の出会いは、森だったんですね」

「ああ! 美しい湖の前で、私とフィレナは出会ったのだ!!」


 アルフレッドはフィレナとの馴れ初めをロマンチックな美談として語り上げた。

 私はそれにふふっと微笑む。やはりアルフレッドは――


「ところで、なぜアルフレッド様はそちらにいらっしゃたのですか?」


 ――まったくもって能力の足りない男だ。


「え、あ……あ、……?」


 突然、声色を変えた私にアルフレッドが目を白黒とさせる。

 そこに追い打ちのように別の声がかかった。


「その件について、僕からも尋ねたいことがあります。国交を結んだ際、小国は我が国に対し、疑心暗鬼でした。聖地を使っていいと言いながら、その実、儀式をしている最中に襲ってくるのではないか。……聖地自体を破壊するのではないか、と」


 声の持ち主はナラン。私の隣まで歩み寄ったナランはいつもの彼にはありえない冷たい瞳をしていた。


「そして、実際にそのような輩が現れたとの報告も受けました。我が国の者と思われる騎士が十数名、湖に毒を投げ入れようとしていた、と。僕が事前に、我が国の一部がそのような動きをする可能性があることを小国へ伝えていたので、事なきを得ましたが」

「くっ……あれは、お前が……っ!!」


 アルフレッドが思わずといった調子で、ナランを睨んだ。

 ……あまりにも幼すぎる。

 私は思った通り、いや思った以上の反応をするアルフレッドを見て、ふぅとため息が出てしまった。

 アルフレッドにはきっとなにもわからない。だが、ナランは発言をやめなかった。


「アルフレッド様が襲われたという暴漢は、もしや、小国の兵士ではありませんか?」

「……だったら、なんだと言うんだ! あんな小国との国交などなんの利益もないではないか。それなのに、我が国が譲歩するような形になるなど……! ありえない! 聖地など失くし、小国が我が国へ入る理由をなくせばいいのだ!」


 アルフレッドは我が国の譲歩が許せなかった。そして、部下たちと独断行動に出たのだろう。


「……小国と言えど、暮らしているのは人間です。そこに住む人々の感情を刺激することは無駄な戦いを呼びます。怒りにより損得勘定を失った小国に攻められ続ければ、我が国とて多くの民が犠牲になる」

「そんなわけはない! 我が国の兵力さで小国など捻り潰せばいいのだ!」


 ナランの根気強い発言にも返ってくる言葉はすべて同じだ。「我が国ならばできる」と。

 そう。一度目でもアルフレッドは「国の強さ」を誇り、それが覆されそうになると、そんなわけはない、と人間に責を求めた。そうして、ナランも私も斬首されたのだ。


「……わからぬか」


 そこまでのやりとりを聞いていた皇帝陛下が、低い声で呟いた。

 大きな声ではないはずだが、たったそれだけで、場を支配する。


「アルフレッドよ。お前が国を信じているのはわかった。たしかに我が国は強大だ」

「はい、父上!!」


 皇帝陛下の言葉に、アルフレッドがうれしそうに頷いた。


「だが、国の強大さに比べ、お前はあまりにも未熟だ」

「……父上?」


 だれの言葉も聞かないアルフレッドだが、皇帝陛下の言葉はよく聞いた。

 皇帝陛下が四十のときに生まれた、たった一人の赤子。皇帝陛下は愛を注ぎ育てたはずだ。だが……足りない。


「エルウィン、こちらへ来い」

「……はい」

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