悪女にも矜持がありますので

しっぽタヌキ

第1話

 舞台のように整えられた断頭台。帝都の中央広場には人々が溢れていた。

 縛られ、跪かされた私は、そこに頭を差し入れた。

 生ぬるい木の感触が喉に当たる。断頭台の両脇に控える兵士がさらに木の枠を私の後頭部側から追加する。

 うなじと喉と。丸くくり抜かれた木枠をはめられ、もう頭を動かすことはできない。


「レディアーヌ・ロニエ、贖罪の気持ちはあるか?」


 鼻にかかった声が舞台まで届く。自由が利かない姿勢で目線だけを動かし、声の主を見れば、その人物は断頭台の正面にいた。

 壇上に置かれた豪奢な椅子に腰かけている。金色の髪は夕日を受け煌き、同色の瞳は爛々と輝いていた。私の斬首を今か今かと待ち構えている――元婚約者のアルフレッドだ。

 口許は歪に吊り上がり、目には加虐が浮かんでいる。

 彼の聞きたい言葉はわかっている。「わたくしが悪かった、殺さないでほしい」、「わたくしが間違っていた、助けてほしい」。

 私が命乞いをすることで、彼の計画が完遂されるのだ。

 だから、私は深く息を吸い、ゆっくりと息を吐きだした。


「女神に誓って、わたくしに恥じるところは一切ございません」


 国一番の歌姫も叶わない美声。そう誉めそやされた声が損なわれないよう、恐れや怒りで声が震えないよう、はっきりと伝えれば、私の発言はしっかりと壇上へと届いたらしい。

 優越感に浸っていた金色の目が一瞬にして、忌々しそうな色に変わる。

 その表情を見た途端、ふっと笑みが漏れた。

 私はここで斬首される。ここで命を終える。それを覆すつもりはない。

 だが、私はこの男に負けたわけではない。ただ、必要があるから死ぬのだ。目的があり死ぬのだから、泣き叫ぶことも助けを乞うこともしない。

 どのような汚名を着せられようと、この心に掲げた光、私の奥にある宝石は、決して穢されない。この――わたくしの矜持は。


「くっ……この期に及んでまだ抜け抜けと……! レディアーヌ・ロニエ! お前の罪は白日の下に晒されている! その美貌で前皇帝陛下に近づき、ロニエ侯爵家は私服を肥やしていた! 先の大雨による飢饉の際、国庫に備蓄されていたはずの小麦がなく、無辜の民が大勢亡くなった!さらにあるはずの資金もなかった!すべてお前の貴金属や衣装、贅を尽くした生活を送るために使われたと調べはついている!」

「大雨による飢饉は不幸な出来事でした。その点に関しては民に申し開きできることはございません。我が国は飢饉の前に起こった小国との小競り合いが長引き、食糧を放出しておりました」


 激昂するアルフレッドに対し、淡々と言葉を返す。

 この事実は何度も説明したことだ。

 小麦の刈り入れを終えたころ、南にある小国が我が国の国境を超えた。これは珍しいことではなく、小国は秋から冬にかけて、三年に一度ほどの間隔でこれを繰り返す。

 国境の拡大が目的か、軍事演習のつもりか……。存外、冬にやることがないための暇潰しにも思えるようなものだった。

 だが、一昨年。これまでと違ったことが起こった。いつも通りの小競り合い、冬には終わるはずだった戦が夏まで長引いたのだ。

 きっかけは……我が国の砦が一つ落とされたこと。我が国と小国の兵力差ではありえないことが起こったのだ。

 砦を落としたことで勢いづいた小国は、冬の終わりになっても兵を引くことはなく、国境を攻め続けた。

 そのために、戦は長引き、食糧は減っていったのだ。

 落とされた砦の指揮をしていたのは……目の前のこの男。


「戦が春を越えたため、男手が足りず、小麦の植え付け間に合いませんでした。ようやく夏前に戦が終わり、冬に間に合うよう芋の植え付けを奨励しました。小麦の収穫量が少なくとも芋があれば……。しかし、夏の大雨により、小麦の成長は遅くなり枯れ、芋の苗は流れてしまいました。さらに土砂崩れも多発し、復旧のためには資金も必要だったのです」


 国庫からの備蓄食糧放出の際、無策だったわけではない。次年度の収穫量を換算し、小麦の減産が予想されてからは、芋の生産へと舵を切った。だが、前皇帝陛下の施政はあっさりと天に負けてしまった。

 長引く戦、天候不順、災害。その被害を受けるのはいつも民だ。それぞれの領で対応したが、とくに雨の被害が多かった領や、戦に人でが取られていた国境付近の領では大勢の民が冬を越すことができなかった。

 苦しい冬を終え、ようやく春がきた。訪れたのは――前皇帝陛下の死。


「まだ、小競り合いのことを引き合いに出すのか! その件はすでに沙汰が下っている! バルナバル伯爵家のナランの責任とし、斬首した! 私が皇帝になった際にな!」


 ――そして、新皇帝アルフレッドの誕生。


 砦が落ちた原因を、バルナバル伯爵家の長男に押し付けたアルフレッドは、のうのうと亡くなった皇帝の後を継いだ。

 ……ナランは幼馴染だった。ほわほわした笑顔の優しい男性。婚約者と仲睦まじく、見ているとこちらまで笑顔になってしまう。二人は新しい世をともに歩く人間だったのに……。

 胸をちりちりと炎が焼く。

 だが、今はこの悔恨に囚われている時間はない。


「私が話しているのは、長引いた戦の責ではありません。それにより食糧の備蓄がなくなり、飢饉の対応ができなかった。私が私的流用していないという事実です」

「黙れ!皇帝の私が調査し、お前が原因であったと判明したのだ! 我が国は強大だ! 小競り合いや大雨などでなくなるような備蓄や資金のはずがない! お前のような悪女がいたから国が傾いたのだ!」


 男――新皇帝アルフレッドの言葉に、広場がワッと沸いた。

 民はアルフレッドの話を信じている……。いや、信じたいのだ。これが民が求めるストーリー。

 強大な帝国が、自分たちの暮らす国が、小国との小競り合いに負けるはずがない。ましてや食糧の備蓄がその程度でなくなるなどありえない。災害の復旧で消える資金のはずかない。強大な帝国は常に潤っているはずなのだ。

 それぞれが努力したが、大勢が亡くなってしまったという現実はいらない。

 欲しいのは――悪。

 心置きなく糾弾できる悪人が欲しいのだ。


「こんな女が一時でも婚約者であったなど……!」

「おいたわしい……陛下。今の皇帝陛下には私がおります。レディアーヌ様のような贅沢はいりません。私はただ皇帝陛下と民のために……」

「……そうだな、フィレナ。私にはそなたがいる」

「私はレディアーヌ様とは違います。……いえ、罪人に継承は不要ですね……」

「ああ」


 アルフレッドの隣。壇上にはもう一つ豪奢な椅子が置かれていた。

 色素の薄い茶色の髪に、こぼれおちそうな翠の瞳。小動物のような可愛らしさのある女性が男に甘えるように腕を取る。

 女性は胸の前まで持ってきた、アルフレッドの手をぎゅっと両手で包み込んだ。

 そして、民衆を見て、声を張った。


「私は庶民出身です。小さな村の農家の娘です。皇帝陛下はそんな私を見つけ、皇后へと引き上げてくれたのです!」


 女性の言葉に民衆がまた沸く。

 新しい時代に現れた、庶民出身の皇后。それはたしかに、飢饉によりたくさんのものをなくした我が国にとって、希望の光に思えるだろう。


「皇帝陛下はそこにいる悪女レディアーヌと婚約していました。しかし悪女レディアーヌはその身分を盾に、前皇帝陛下から過大な恩寵を強請っていたのです。……皇帝陛下はそのことをご存じありませんでした。ですが、私の話を聞き、すぐに行動を起こし、婚約を破棄されたのです!」

「ああ。過ちは正さねばならない」

「私は悪女レディアーヌのようにはなりません。庶民出身であり、みなさんと同じように暮らし、育ちました。皇帝陛下はそれを許してくださいます。今後、王宮は変わります。質素倹約、一部の人たちだけが行う、派手な行事も終わりにいたしましょう!」


 民衆が湧く。新しい時代の到来に。

 そして――私は死ぬのだ。

 古き悪しき時代の象徴として。私腹を肥やし、贅沢をし、放蕩した貴族の代表として。


「稀代の悪女レディアーヌ・ロニエ! この期に及んで言い訳ばかりで、自分を顧みることもできない。恥を知れ!」


 アルフレッドの言葉に民衆が湧く。

 その後、私に向かって次々に罵声が飛ばされた。

 私はそれを黙って受け入れる。

 ――これが、私の目的だから。


「石を投げよ!!」


 言葉とともに、こちらに向かって石が飛んでくる。

 方々から飛ばされるそれは、そのほとんどは私に当たらず、断頭台や奥に向かって跳んでいった。

 いくつかは両隣に控える兵士にも当たっているが、全身鎧を着ているため痛くないのだろう。


「ッ……」


 そのとき、一つの石が私の額へと当たった。

 近くから投げられたのか、勢いのあったそれは痛みをもたらす。そして、つうと右頬に温かい液体が流れた。血が――出たのだろう。


「もっとだ! もっとやれ!!」


 アルフレッドは民衆を煽るように、声を上げる。

 額から流れた血が目に入り、それを払おうと正面の壇上に視線をやると――


「その顔……見られたら困るんじゃないかしら……」


 見えた光景がおかしくて、ふふっと笑ってしまう。

 そこにいたのは――血を流す私を見て、歪に笑みを浮かべるフィレナ。庶民上がりだが清楚で可憐なお嬢さん。そんな彼女が浮かべていい表情ではない。

 まぁ、処刑を楽しむ皇帝とその妻と考えれば、お似合いと言えるだろうが。

 そんなことを考えていると、ふと、優しい声がした。


「もう……いいよな?」

「え……?」


 知っている声。いつも心を温かくしてくれる、大好きな声。

 でも、それが今聞こえてくるはずはないのに……。

 声の主を確認したくて、頭を上げようとする。でも、木の枠で固定されていたため、それは叶わない。


「レディアーヌ・ロニエ侯爵令嬢の斬首を敢行する」

「ま、待てっ! まだ……っ!」


 凛と告げる声は雄々しく、それを止めようとする声は焦っていた。

 瞬間、私の視界は赤く染まって――


 ――そうして私は十八で人生を終えた。

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