第32話 鬼の王
「
険しい山の中。赤と黒を基調にした大きな屋敷で、赤い髪の鬼が
鷹呀と呼ばれたその鬼は、酒を注いだ盃を口元まで持っていくと「なんだ?」と返事をし、くいと呑む。
「霊薬師とその従者と思われる一行が、
「ほう……」
彼は目を細め、ニィッと笑う。その唇の隙間から、鋭い犬歯がちらりと覗いた。
「そろそろ頃合いだとは思っていたが、わざわざ向こうから出向いて来るとはな……」
喉の奥でくっくっと笑いながら、手に持つ盃をタンと置いた。
────あれからもう五年か。さぞかし美しい娘に成長したことだろうよ。
彼は酒瓶から直に喉を鳴らし飲み干した。
「ここまで辿り着くのは
そう言うと、その口元をぐいっと拭った。
※
ここまで結構な距離を歩いた気がする。
三人は小高い丘の上からその景色を見渡していた。
遠くに険しい山を背負った村が見えた。
その山を桔梗は目を細めて眺める。
「あの山が例の
斜め前にいる
「ああ」
山というよりは山々が連なった山脈のようでもある。麓付近は木々が青々と生い茂っているが、山頂に近づくにつれゴツゴツとした鋭利な岩肌が露になっている。
今はまだ真夏だというのに、山頂付近はうっすらと雪化粧をし、その標高の高さが伺えた。
「鬼の
「…………」
白銀は無言で美剱岳を睨むように見据えていた。
「おやまあ、白鬼が人と一緒に居るなんて珍しいねえ」
村に入って直ぐに、老婆が話しかけてきた。
「お婆ちゃん。あの美剱岳って鬼が棲んでるって聞いたんだけど、本当?」
玄が訪ねると、老婆は「おお」と頷く。
「鬼は棲んどるよ。たまに山から下りてきては酒やら何やら調達していくんだよ。運が良ければ鬼が見られるって、わざわざ遠くから足を運ぶ者もおる」
桔梗は耳を疑った。
────鬼が村に下りてくる?
「その鬼達は、村の者を襲ったりはしないのですか?」
桔梗が信じられないという顔で
「ああ、こちらが何もせん限りはな。こっちも鬼目当ての旅人のお陰で潤っとる。その見返りで鬼達に酒やら食料やらを献上しとるんよ。前に村が野党に襲われた時も追い払ってくれてのう」
ここの村人と鬼は珍しく良い関係を築いているようだ。
「あの山に白鬼が居ると聞いて来たんだが」
「ええ、ちょうどあんたと同じくらいの歳の男の白鬼がおるよ」
老婆は桔梗が問うと、白銀を見上げて言った。
「なんでも、
「鷹呀?」
「あの山の鬼を統括しておる、鬼の長のようなお人だよ」
「……赤い長髪の?」
老婆は深い
「そうじゃそうじゃ、中々の男前の鬼じゃよ」
そして、白銀と玄を交互に見ると。
「あんたらも男前じゃの、特に白鬼の兄さんはどことなく鷹呀様に似とるわ」
老婆は私もあと五十若ければねえと言いながら、ぽっと頬を赤らめた。
「間違いない。弟だ」
老婆に教えてもらった宿を探しながら確信を持って言う。
ついに辿り着いた。
やっと弟に会えるんだ。
桔梗の心境は複雑だった。
よくよく考えてみると、まともに会話をした事が無かった。
いや、それどころか声を聞いた事も無い。話しかけても、母に阻まれていたから。
同じ姉弟なのに、あからさまに違う境遇だった事を弟はどう思っていたんだろう。
かたや、綺麗な服を着せられ、なに不自由ない生活を。
かたや、まともに服を与えられる事もなく、ろくな食事も与えられず、ずっとあの薄暗い牢屋の中。
やはり、恨んでいるだろうか。
「桔梗」
不意に名を呼ばれ、ハッとした。
隣を歩く白銀が心配そうに桔梗の顔を覗きこんでいる。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「ああ、……少し緊張してるみたいだ。大丈夫、平気だ」
「桔梗ちゃん」
「うわっ!!」
振り返ると目の前に鬼の顔があったので、桔梗が驚いて声をあげると。
「そこの土産屋で売ってたんだ」
ひょいとお面を上げた玄が、悪戯っぽく笑う。
「ここは鬼のおかげで観光地になってるんだね。鬼を模した土産物があちこちで売られてるよ」
「桔梗、あっちに鬼のまんじゅう売ってるぞ。食おう」
外からではあまり分からなかったが、村の中は大通りに面して両脇に様々な店が
この通り沿いに宿屋もあるようだ。
人通りもそこそこあり、道行く人々が白銀を珍しそうに見ている。
村……というよりは、城下町のような雰囲気だ。
緊張感を感じさせないふたりに、桔梗はふっと笑うと。
「ああ、折角だから色々見てまわろう」
そう言って歩きだす。
先程まであった不安感は、不思議とどこかへ行ってしまっていた。
「お前達が居てくれて良かった」
ふたりには聞こえないように、小さく呟いた。
※
翌朝。
三人は美剱岳の麓へ向かった。
山の入り口付近まで来た時だ。
「おい、あれ」
白銀が眉を潜めて指を指す方向に、明らかに体格の大きな男が数人立っていた。
額にある角で、彼らが鬼なのだと分かる。
「僕らがここに来るって事、お見通しだったみたいだね」
その中に、白銀と同じ銀色の頭髪の青年を桔梗は見つけた。
「おい、桔梗!!」
足早になる桔梗に驚いた白銀は、慌ててその後を追った。
白鬼の青年は、なぜ彼女が自分を見て表情を変えたのか分かっていないようだ。
「よく来たな。
突然低い声が響くと、目の前の鬼達がザッと左右に別れた。
その間から悠々と姿を現したのは、赤い髪を腰まで伸ばした威厳のある鬼だった。
何より他の鬼と違っていたのは、白目と黒目が反転したような眼だった。その異様さは見た者に言い知れない恐怖心を植え付ける。
その鬼は、
すかさず白銀と玄は桔梗を背に庇うように、立ちはだかった。
「ああ、確かに面白い面子だ。白鬼と
赤髪の鬼は更に口の端をつり上げながら腕を組む。
「我が名は
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