第30話 寿命

 

 竜の宮を散策中だったくろは、浮かない横顔の白銀しろがねを見つけ声をかけた。

 

「白君?」

 

 泉のほとりにたたずみ、ぼーっと魚影を見つめていた白銀は、玄を見て「おう」と無理に口元だけで笑顔をつくると再び水面へと目をやった。

 玄はその隣に立つ。

 

「どうしたの?」

 

「…………」

 

「……桔梗ちゃんと何かあった?」

 

「……ん」

 

 曖昧な返事の白銀に何かを感じたのだろう。

 

「お兄さんに話してみなよ」

 

 玄は「何か役にたてるかも知れないよ?」と言うと、ニッと笑った。

 

 

 

 

 

 白銀の話を聞いた玄は急に真面目な顔になる。

 

「それで、俺とはずっと一緒には居られないと言われた……」

 

 白銀は、その場にしゃがむと小石を拾って泉に投げる。泳いでいた魚の影が、驚いてサッと散った。

 

「桔梗はそのうち俺と離れるつもりでいるんだ……俺はずっと一緒に居たいのに……」

 

 しょげる白銀の後頭部を見下ろす玄は、思案顔で自身のあごに手を添えた。

 

「白君さ、もしかして知らない?」

 

 ────この様子だと多分そうだろう。

 

「何の事だよ?」

 

「うーん、実際見せた方がいいかな」

 

 自分を不安げに見上げる白銀に、「ちょっと付いてきて」と言うと玄は屋敷に向かって歩きだした。

 

 

 

 

 そこは屋敷内にある書庫だった。

 

「さっき偶然見つけたんだ」

 

 玄はずらっと並ぶ書物から、一冊を取り出すと広げて白銀に見せる。

 

「これは?」

 

「多分だけど、ここに来ていた歴代の霊薬師の記録だろうね。白君、数字は読める?」

 

「……そのくらいなら」

 

 玄が開いた項には、霊薬師であろう名が連なっている。どれ程の年月の分なのか読む事はできないが、今まで、意外と霊薬師と言われた人物が居たんだなと白銀は思った。

 玄は、ある箇所を指でなぞる。

 

「この数字、ここに記載されている霊薬師が亡くなった歳のようだね」

 

「ふーん……」

 

 それを見ていた白銀はある事に気がつき、みるみる顔が強ばる。

 何故かどの霊薬師も二十代で亡くなっていた。三十歳を越えた者はひとりも見当たらない。

 中には二十歳で死期を迎えた者もいる。

 

「玄、これって……まさか」

 

 白銀の声が、心なしか震えているように感じる。

 玄は本棚に身体を預けるように立ちながら、あえて淡々と告げた。

 

「そう、その特殊な能力のせいなのか。短命なんだよ、霊薬師は……」

 

「そんな……」

 

 霊薬師が短命だという事は、誰でも知っている事だ。

 だが、ずっと世間から離れて暮らしていた白銀は、その事を知らなかった。

 

 ────仕方がないこととはいえ、彼にはちょっと残酷な現実だねえ……。

 

 いつかは知る現実なら、早い方がいい。玄はそう思ったから教えた。

 そうなのだが、目の前で言葉も無く愕然とする白銀を見ると流石の玄も胸が痛んだ。

 

「……じゃあ、桔梗はあと十年も生きられないってことなのか?」

 

「十年生きられればいい方だと思うよ。……“ずっと一緒に居られない”っていうのは、自分の死に際を見せたくないからじゃないかな。君を拒絶したのも、白君が辛い思いをしないように距離を置こうとしたのかもしれない」

 

 そう遠くない将来にやって来る別れは、ふたりの距離が近ければ近いほど辛くなるから……。

 

「…………」

 

 白銀は書物を凝視しながら「そんな事あるかよ……」と小さくうめいた。

 そんな白銀を見ながら玄は思う。

 

 桔梗の気持ちも分からないでもない。でも、これでは彼が可愛そうではないだろうか、距離を置いたとしても彼の想いが消える訳ではないのに。

 いつ死んでしまうかという不安を抱えながら、想いも遂げられずただ傍で見守る事がどれだけ辛いことだろう。

 

 桔梗の意思を尊重し、今までと変わらない関係を続け自分の住処すみかを探すか。

 このまま傍に居て、近い将来彼女の最期を看取るか。

 

 どちらを選んでも、白銀には辛い選択だろう。

 

 ────君はどっちを選ぶんだろうね。

 

 

 受け入れがたい現実に項垂うなだれる白銀を、玄は沈痛な面持ちで見ていた。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

「おはようっ!!」

 

 元気よく挨拶をしてきた白銀を、桔梗と玄は驚いた顔で見た。

 

「今日出発するんだろう? 早く行こうぜ、桔梗の弟早く見つけないとな」

 

 白銀は「腹減った、朝飯まだかな?」と言いながら食堂へと歩いていく。

 

 ────一晩で吹っ切れたのか……ただの空元気か……。

 

 玄はそんな白銀の背中を見つめた。

 

 

 短命の事実を白銀が知ったという事は、桔梗はまだ知らない。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

「たいしたもてなしも出来なくて済まなかったね」

 

「いえ、十分です。また伺います」

 

「うん。またね」

 

 蒼龍はお辞儀をする三人を、門のある所まで見送ろうと歩きだした。

 そして門まで来ると、「さあ」と外へとうながした。

 その時。

 蒼龍は、白銀の背中をぽんと優しく叩く。そして、他のふたりには聞こえないように耳元で「自分の気持ちに正直に生きなさい」と囁いた。

 

 驚いた白銀が蒼龍の顔を見ると、彼は優しく笑いかけ手を門の方へやり促す。

 蒼龍の今の言葉が何を意味するのか、それを察したように白銀は力強く頷くと先に門の外で待つ二人の方へと歩いていった。

 

「私が送ろう」

 

 言うと蒼龍は、自身の顔の前で人差し指と中指を立て何か口元で唱える。

 また強い風が三人の間を吹き抜けた。

 

 

 

 目を開けると、三人の目の前で大きな滝が轟音を響かせていた。

 

「行こうか」

 

 桔梗は設置していた小皿を回収し、歩きだす。

 春のような陽気だった竜の宮とは異なり、ムッとした夏の熱気が三人を瞬時に汗ばませた。

 

 

 

 昨日のこともあり、白銀にどのように接していいのか分からず悩んでいた桔梗だったが、今朝の様子ではそんなに悩むことも無かったかもしれないと思った。

 

 あの時、白銀の手は震えていた。

 かなり勇気を出した行動だったに違いない。

 

 それなのに、一晩であんなに吹っ切れるものなのだろうか?

 白銀の想いはそんなものだったのか?

 

 そこまで考えてふと我に返る。

 

 ────何を考えているんだ。白銀を拒絶したのは自分じゃないか。 

 

 

 自分があとどのくらい生きられるのか……今まであまり気にした事がなかった。

 最近になってからだ、その事を意識しはじめたのは。

 そして、せめて一日でも長く生きられたらと願うようにもなっていた。

 

 それが、白銀に会ってからだと今更ながら気がついた。

   

 

 

 

 

 

 黙々と歩く桔梗の背中を見ながら、白銀と玄は並んで歩く。

 

「玄、俺さ」

 

 桔梗に聞こえないくらいの声で玄に声をかけた。

 玄は、真っ直ぐ前を見る白銀の横顔を見る。

 

「最後まで桔梗の傍にいるよ。もしかしたら、桔梗が長生きできる方法が見つかるかもしれないし」

 

「……うん、そうか。前向きな感じが君らしいや」

 

 

 多分そんな方法は無い。

 既に決められた人の寿命を延ばす事は、神にも霊薬師にもできないだろう。実際、その事を知っている筈の蒼龍が、それについて何も語らなかったのはそういう事なのだと思う。

 それとも、神は人の寿命には関与しないものなのだろうか。

 

「…………」 

 

 玄は、望みを捨てない白銀にその事はあえて言わないことにした。

 これからの事を考えると、少しでも希望はあった方がいいだろうから。

 

 ────僕は、それを傍で見守ることにするよ。

 

 玄は白銀の横顔を見つめる。

 その横顔は出会った時より、少し大人びて見えた。

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