第26話 玄の決心

 

 流れる沈黙。

 桔梗ききょうは頭を下げたままくろの反応を待つ。

 

「ぷっ……くくく……」

 

 誰かが急に吹き出したので、桔梗はハッと顔を上げた。

 目の前では、玄が口元を手で押さえ笑いをこらえ切れず肩を揺らしている。

 

「……玄?」

 

「ごめん。ふたりともあんまり真剣なものだから、つい」

 

 ひとしきり笑った後、大きく息を吐いて玄はふたりを見る。桔梗と白銀しろがねは意味もわからず呆然と玄を見つめてた。

 

「ちょっとからかってみたくなった」

 

「そ、それじゃあ……」

 

 桔梗が前のめりで問うと、玄は自分のひざ頬杖ほおづえをつきながら。

 

「怒ってないよ」

 

 と、いつになく優しい声色で答えた。

 

 

 

 桔梗が霊薬師だったという事は、あっという間に村中に知れ渡る。

 村人は桔梗達を見ると深々とお辞儀をし、以前のように気軽に話しかけて来る事がなくなった。

 庄屋の家では、桔梗の部屋が白銀と玄の隣から一番広い立派な部屋へと移され、今まで家の者と食べていた食事も、おそれ多いと桔梗たち三人だけで食べる事になった。

 これについては、食事の度に宗次郎そうじろうに息子の嫁にとしつこく言われていた桔梗にはありがたかったが。

 

 

 青葉の処遇は、霊薬師を襲い、その上従者を傷つけたとして村の外れの蔵へと幽閉ゆうへいされることに決まった。 

 

 

 

「この村もそろそろ去り時だな」

 

 夕飯の後、そう言うと桔梗は茶をすすった。

 娘が欲しかったと良くしてくれた奥方ですら、すっかり腫れ物を扱うような態度になり、だいぶ居心地が悪い。

 

「確かにこれ以上の長居は無用だね」

 

「お前、まだ俺達と行動するのか?」

 

 桔梗に同調する玄に隣に座る白銀が訊く。彼は「嫌かい?」と言いながらさかづきに手酌で酒を注いだ。

 

「嫌じゃない」

 

 即答する白銀を、桔梗と玄は意外そうな顔で見る。

 

「最初は怪しい奴って思ってたけど、もう平気だ」

 

 玄は口元を僅かに緩ませながら「……そうかい」と言うと、くいと盃の酒を飲んだ。

 ふたりの対面に座る桔梗もその様子を見て、頬を緩めた。

 

「“あるじに仕えて一人前”」

 

 いきなり玄の口からそんな言葉が出たので、桔梗は驚いて目の前の玄を凝視した。

 

「うちは代々殺し屋を家業としている一族でね。家系を辿たどると元はしのびだったらしい。その名残だろうね、今の言葉がうちの家訓みたいになってるんだ。うちの爺さんもそのまた爺さんも、聞けば腰を抜かすような有名人に仕えていたんだってさ」

 

 初めて自分の事を話しだした玄を、桔梗と白銀は黙って見つめる。

 

「僕には兄がふたり居てね、ふたりともそこそこ大物の主を見つけた。僕も誰かに使えようと、初めは“依頼”って形で殺しを請け負う事にした。主に相応ふさわしいかどうか見極める為にね。でも……」

 

 再び盃に酒を満たすと、玄は続けた。

 

「誰も僕の主になる器量の人物じゃあなかった。どんなに富と名声を持ち合わせた奴も、自分の下らない私利私欲の為に僕を使う。……なんだか空しくなっちゃってね、いつしか僕は主探しをやめた。それからは生きる為にいろんな奴から殺しの依頼を受けながら生きることにした」

 

 注いだ酒をあおると、玄は皮肉な笑みを浮かべる。

 

「あの山吹やまぶきって女もそのひとりだった。いつの間にか自分の仕事に誇りも持てない、ただ金のために人を殺める人間になっていた」

 

「玄……」

 

「桔梗殿」

 

 急に玄の口からかしこまった声で名を呼ばれ、桔梗は湯飲みを落としそうになる。

 玄は胡座あぐらから正座に姿勢を正すと食器の乗った箱膳から後ろに下がる。そして、その場で頭を下げ、土下座のような形でひれ伏した。

 

貴女あなたを我が主にと心に決めました。この玄、一生を貴女に捧げ命に代えてお護りする事を誓います」

 

 桔梗は普段とは違う玄の様子に、呆気にとられている。

 白銀は意味が分からず、ふたりを交互に見ていた。

 

「……玄、悪いが私は従者は……」

 

「あ、僕が勝手に決めたことだから、断っても無駄だよ」

 

 顔を上げた玄は、深紅の瞳を桔梗に向け真面目な顔で言うと再び元の姿勢に戻る。

 

「そういう事だから、今後とも宜しくね。いやあ、霊薬師の従者なんて、兄達が知ったら驚くだろうなあ」

 

 にっこり笑うと玄は再び酒を飲み始めた。

 

 桔梗は何か言いかけたが、きっともう何を言っても無駄だろうと小さくため息をついた。

 

 

 

 夕飯も済み風呂に入った後、桔梗は湯で火照った身体を涼める為に外に出ていた。

 先程の玄の言動。

 何を考えているのか、少し読めないところのある男だがあの言葉は嘘ではないのだろう。

 またひとり増えたとなると、路銀がかさむなと思っていた時だった。

 

 向こうの道を勇太がひとり歩いているのを月明かりが照らしていた。

 今は親戚の家で世話になっていると聞いたのだが。

 

 ────あの道の向こうは確か……。

 

 もう辺りは暗い。心配になった桔梗は勇太を追うことにした。

 

 

 思った通りだ。

 勇太は、青葉が幽閉されている蔵の前に立っていた。

 

「…………」

 

 その寂しそうな小さな背中を不憫ふびんに思いながら、勇太の隣に立つ。勇太は驚いて桔梗を見るが、隣に立つのが誰なのかがわかると再び蔵を見上げた。

 

「“いい男”ってどうやったらなれるんだ?」

 

 突然勇太が話しかけてきた。

 

「母ちゃんは“いい男”が好きなんだ。俺もそれになれれば、もっと俺を見てくれるかもしれない」

 

 ────この子は……。

 

 きっと寂しかったんだろうなと桔梗は思った。悪戯をするのだってその裏返しだったのかもしれない。母親にかまってもらいたい……その一心だったに違いない。

 桔梗は勇太の隣にしゃがむと、同じ目線で蔵を見上げた。

 

「そうだな……色々あるが……」

 

 桔梗は指を数えるように折り曲げながら続けた。

 

「弱いものをいじめない。困っている者がいたら助ける。嫌な事から逃げない。よく働く。皆に平等に優しくする。身体の鍛練たんれんおこたらない。なまけない。それから……」

 

「ま、まだあるのか?」

 

 桔梗が指を折り曲げる度、それを目で追っていた勇太は目を大きく見開き桔梗を見た。

 

「ああ、一番大事なことを忘れていた」

 

 それまで蔵を見上げていた桔梗が、勇太の顔を覗きこむと。

 

「母親を大事にすること」

 

 そう言って笑ってみせる。

 勇太は初めは驚いた顔をしたが、途端に笑顔になり「うん!!」と力強く頷いた。 

 

「夜は危ないからもう帰ろう。送ってやる」

 

 桔梗は立ち上がると、勇太の手をとった。

 

 

 

 帰ると同時に、すぐに庄屋と話をした。

 庄屋は青葉を一生幽閉するつもりだったようなのだが、村を追放するというかたちでひと月で解放することを約束させた。

 どのみち、あの蔵を出たとしてもこの村にはふたりの居場所は無いだろう。それに必要な資金はすでに勇太に渡してある。

  玄はきっと「甘すぎる」と怒るかもしれないが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る