第12話 敵陣

 

 城の前までおもむくと、門の前であの男が門の柱に寄りかかりながら待ち構えていた。

 

 

「驚いたな。まさか敵陣に自ら飛び込んで来るとはね。さすがの僕も想定外だよ」

 

「お前の依頼主に会いに来た。居るんだろう? この城に」

 

「いいよ。こちらとしても好都合だし、案内してあげる」

 

 男はそう言うと、「こっちだよ」と歩き出した。

 桔梗ききょうは見上げていた城から、先に歩き出した白銀しろがねの背中に視線を移すとそれを追った。

 

 

 

 

「突然の訪問、お許しください」

 

 げん城主の山吹やまぶきは一段高い座敷に気だるげに座り、正座で頭を下げる桔梗とその横で真似てたどたどしく頭を下げる白銀を見た。

 

「へえ……いいよ顔上げて」

 

 言われた通りに頭を上げると、舐めるような視線の山吹と目が合った。桔梗の背中がゾワリとする。部屋の隅で腕を組み様子を見ているあの男とは、また違う異様な空気を纏っていた。

 妖艶……という言葉が相応ふさわしい、なんとも艶めかしい女だ。

 

 

「用件を聞こうか」

 

 

 山吹は体勢を変え、身を乗り出した。

 そのせいで、広く開いた着物の胸元から胸の谷間が見え、女の桔梗でも目のやり場に困る。

 ふと気になって横の白銀をちらりと盗み見るが、彼は特に気にしてはいないようだった。

 

 

「山吹様は不老不死の薬をご所望だとか」

 

「ええ、それにはそこの白鬼が必要なの。譲ってくれないかしら?」

 

「その前に、その不老不死の薬……この世には存在しない代物です。作るのも不可能かと」

 

 桔梗の言葉に、山吹の眉がぴくりと跳ねた。

 

「なにを根拠にそんな事を?」

 

 明らかに不機嫌そうだ。

 

「私は……霊薬師れいやくしです」

 

 

 山吹の表情が驚きに変わる。

 すみに立つ男も、それと同じらしく赤い目を大きく見開いて桔梗を見ていた。

 

 

「それを証明するものは?」

 

「この場で、霊薬を作って見せれば信用しますか」

 

「おい、そんな事したら……」

 

 これで白銀から彼女の興味がれるなら安いものだ。

 心配そうに見ている白銀の横で、桔梗は懐から瓶入りの薬を取り出す。

 

 

くろ

 

「何ですか?」

 

「誰でもいいからここに連れて来い」

 

 玄は何かを察したようで「はいはい」と出ていくと、若い男を一人連れて来た。

 そして、腰に下げた日本刀をすらりと抜くと、その男を桔梗の目の前で切りつける。

 

 

「‼」

 

 

 悲鳴と共に目の前が真っ赤に染まる。傷が深いのか、出血量がおびただしい。このまま放置すればこの男は確実に死ぬだろう。

 

 

「その霊薬とやらで、この男を治せば信じてやろう」

 

「……ひでぇ」

 

 金色の目が山吹を睨む。白銀は彼女のやり方が気に入らないようだった。

 

 

「早くせんと死ぬぞ」

 

 愉快そうに紅い唇を吊り上げ笑う山吹と、興味深そうに桔梗を見つめる玄。この二人は人の命を何とも思ってはいないようだ。

 

 

 桔梗は薬の瓶を両手で包み胸に当てた。

 直後、その身体は淡く光りはじめる。

 

 

「これは……驚いたな。まさか本物の霊薬師を目の当たりに出来るとは……」

 

 興奮気味な山吹のかたわらで、玄はただ唖然あぜんとその不思議な光景を見ていた。

 

 

 やがて桔梗の身体から光が消え、辛そうな顔で薬を白銀に手渡す。白銀はそれを受け取ると急いで息も絶え絶えの男に飲ませてやった。

 ヒューヒューと荒い呼吸は徐々に治まり、男の顔色も良くなってきた。驚いた事にあんなに深かった傷もほとんど治りかけている。

 桔梗は、既にその場で気を失っていた。

 

 

「これで、本物だって分かっただろ? 俺たちは帰るぞ」

 

 一瞬でもこの場に居たくなかった。白銀が桔梗を抱きかかえようと手を伸ばした時。

 

「待ちなさい」

 

 山吹が強い口調で静止した。

 

「その霊薬師は置いていきなさい」

 

「何だって? こいつをどうするつもりだ?」

 

 白銀が訊くと、山吹は意味ありげに笑った。途端に背中に冷たい物が走る。

 

 

 ────噂だと、奥方は若さを保つためにその女達の血を浴びてるとか……。

 

 

 不意に、甘味屋での女達の会話を思い出す。

 

 

「まさか、こいつの血でも浴びる気か?」

 

「あら、察しの良い事。そうよ、珍しい霊薬師の……それも美しい娘の血ですもの、効きそうだわぁ」

 

 ふふふと不気味に笑う山吹を、白銀は黙って睨み返した。

 

「こいつは連れてく、あんたには指一本触らせねえ」

 

「玄」

 

 名を呼ばれた瞬間、玄が素早く切りかかる。白銀はそれをかがんで避けた。

 

「大人しく逃げた方がいいと思うけど? 君は逃がしてやるって言ってるんだよ、何もふたりで死ぬこと無いでしょ?」

 

 玄は言いながら、かがんだ白銀目掛けて刃先を振り下ろした。それもすんでの所で横に飛びのき避けた。だが、読まれていたのか、玄が懐から何かを取り出し白銀に素早く投げる。いくつか同時に投げられたそれは、白銀の腕に刺さり、腹をかすめた。

 

 

「ぐっ……くそっ‼」

 

 服にジワリと血が滲む。

 

「────っ‼」

 

 息つく暇も無く、玄が刃を打ち込んできたので白銀は自分の小刀で受け止めた。キンっと乾いた金属音が部屋に響いた。

 

 瞬間、身体に電気が走る程の怒りを感じた。

 玄の向こう側に、倒れている桔梗に手を伸ばす山吹が見えたからだ。

 

「そいつに触るなぁァァァァッ────‼」

 

 叫ぶのと同時に走り出し、桔梗をかばうように間に入った。

 この女の汚れた手が、桔梗に触れるのがどうにも許せなかった。

 

 

「…………」

 

 歯をむき出してこちらを威嚇するように睨む白銀に、山吹は何とも言えない高揚感を覚えた。

 フーフーという荒い息遣い。

 乱れた銀色の髪の隙間からぎらぎらと睨む金色の瞳。

 破れた衣服から覗く無駄な脂肪の無い鍛えられた肉体。

 

「よく見るとあんたも綺麗な顔してるねえ。何だかゾクゾクするよ」

 

 山吹が白銀へと手を伸ばした。

 

「あんたが私のモノになるなら、その霊薬師は生かしといてやってもいいよ」

 

 

 白銀の首の裏にチクリと痛みが走った。見ると山吹の手には鋭い針のような物が握られていた。

 

「なにを……────っ⁉」

 

 途端に身体がぐらりと揺れた。力が入らない。

 

「即効性の毒だ。安心しなよ、命まではとらないから、ただしばらく動けなくなるけどねぇ」

 

 

 そう言って愉快そうに笑う山吹の声が、だんだんと遠のく。

 身体が全くいう事をきかない。笑い声も聞こえなくなり、やがて白銀は意識を手放した。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

 目蓋まぶたが重い。

 身体がだるい。

 力を使った後は、必ずこうだ。

 

 桔梗は重い体を無理やり起こし、今自分がいる場所を確認した。

 

「ここは……?」

 

 何もない質素な部屋だ。

 板にじかに敷かれたござ以外何も無い。特徴的なのが廊下と部屋を隔てているのが壁ではなく木製の格子こうしだった。

 部屋……というよりはむしろ……。

 

 

座敷牢ざしきろう……か?」

 

 

 そうだ、この光景は見覚えがあった。幼い頃、母と弟が過ごしていた所もこんな場所だった。

 

 

 計画は……失敗したようだ。

 

 

 ────白銀は?

 

 

 急に不安になった。

 格子へ駆け寄り、辺りに誰かいないか確認する。

 

 そこへ……ギシリ、ギシリと足音が近づいてきた。桔梗は思わず格子から遠ざかる。

 

 

「あ、目が覚めた?」

 

 

 玄がいつもの細い目と薄ら笑いで現れた。

 

「白銀は……どうした? 無事なのか?」

 

「んー……まあ、生きてるは生きてるよ。それでね山吹様からこれ、預かって来たんだ」

 

 玄は赤い液体の入った硝子がらすの瓶を桔梗に見せた。

 

 

「何だそれは?」

 

 訊かれると、玄は更に口角を吊り上げわざとゆっくりとした口調で言った。

 

 

「白鬼の血」

 

 

 桔梗の顔から血の気が引く。

 

「な……に?」

 

「これ使って肌を若返らせる霊薬を作って欲しいんだってさ。出来るでしょ?」

 

 桔梗の震える手にガラスの瓶を落とすと、長身の玄は身体をかがませ自分の顔を桔梗の顔の近くまで寄せるとささやくように。

 

「やらないと、あの白鬼の命は保証しないってさ」

 

 玄はそう言って笑い、「じゃあね」とその場を去って行った。

 

 

 残された桔梗は、力なくその場に崩れ落ちた。

 

 ────白銀が血を流している。

 

「私の……せいで?」

 

 

  霊薬師と名乗る事で、依頼主は他の者と同じように態度を変えると思っていた。

 

  自分は神でもなんでもないただの人間だと言いながら、心のどこかでは“霊薬師”という肩書きに慢心まんしんしていたのではないか?

 霊薬師だと名乗れば、誰でも自分にひれ伏すとでも思っていたのか?

  思い上がりもいいところだ。

 

 桔梗は苦しそうに眉間みけんを寄せ、手の中の赤い瓶を、ギュッと握った。

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