第8話 旅の理由

 

「今日はこの辺で休むとするか」

 

 

 空があかね色に染まり始める。

 夜の山道は危険なので、日が暮れる前に野宿する場所を決めた。

 ここは近くに川も流れていて、水の調達も出来る。野宿をするには申し分ない。

 集めたたきぎに勢いよく火がついたときには、日がとっぷりと暮れていた。

 桔梗ききょう白銀しろがねは火を挟むように座った。

 

 

 パチパチと火のはぜる音を聞きながら、さえから貰った胡桃餅くるみもち遠火とおびで炙る。

 

 

「気になってた事があるんだけど、聞いていいか?」

 

「なんだ?」

 

 炎の光が桔梗の黒髪をゆらゆらと揺らしながら照らしている。

 

「俺と初めて会った時、あんた、何て言ったか覚えてるか?」

 

「……いや、何と言ったんだ?」

 

「“違ったか”って言ったんだ。あれ、どういう意味だ?」

 

 桔梗は少し考えた素振りをしたが、「……ああ」と言って口元を緩ませた。

 

「弟を探している。旅をしているのもその為だ」

 

「弟?」

 

「あの里の山に白鬼びゃっきがいるらしいと聞いてな。それで立ち寄ったんだ」

 

 白銀は首を傾げた。

 

「俺をその弟かもしれないって思ったって事か? ……でもそれって……」

 

「ああ、私の弟は白鬼だ」

 

 

 

 

 

 桔梗が二歳の時だった。母親が鬼の子を産んだ。

 父はその土地では有名な薬師くすしだった。一代で財をなし、土地の売買や宿屋など手広く商いをしていた。忙しい父はあまり家庭をかえりみる事は無く、使用人はいたものの、幼い桔梗とふたり広い家で母は寂しい思いをしていたようだ。

 そんな時、どういった経緯いきさつかは分からないが母は一人の鬼と出会った。そこで恋仲になったらしい。

 

 

 弟が生まれて、その子が父の子ではないという事は一目でわかった。

 わずかに生える頭髪は白く、眼は金色だったからだ。

 母の不貞を知った父の怒りは相当なもので、父は母を産まれたばかりの弟とふたり屋敷にあった座敷牢ざしきろうに閉じ込めてしまった。

 それからずっと、母と弟はその狭くて薄暗い牢屋ろうやで過ごすことになる。

 幼い桔梗は母が恋しく、よくその座敷牢へ足を運んだが、木製の格子こうし越しに見る母は桔梗を見る事も無くずっと弟をあやしていた。

 

 

 家には、祖父母と働かず父によく金の無心むしんをしていた父の弟の叔父と、同じくこの家の金が目当てのその妻。そして父親が住んでいた。

 

 世間体を気にしてか、母は病で遠くの名医に診せているという話になっていた。

 誰もふたりの事は話題にせず、座敷牢にも近づこうともしなかった。それどころか、白鬼を産んだ母を忌み嫌っているようでもあった。

 たまに父だけはふたりの元へ行っているようだったが。

 

 

 逆に桔梗は相当大事に育てられた。

 というのも、桔梗が産まれた時淡い紫の光に包まれていたからだ。

 

 

 “霊薬師になる者は光を帯びて生まれて来る”

 

 

 この国では昔からそう言い伝えられていたものだから、家の者は手放しで喜んだ。そして、それはもう壊れ物を扱うように大切にされた。

 

 

「お前が居れば、この家は安泰だ」

 

 

 それが父の口癖だった。

 

 なぜ、自分が大切にされているのか。なぜ母と弟がこんな扱いを受けているのか。何となくわかる歳になった。

 父が何をしに母の所へ行っているのか、母の顔のあざで察するようにもなっていた。

 たまに会いに行くと、綺麗な着物を着せられた桔梗を眉をひそめて母は見る。そして、薄汚れた着物しか与えられない弟の銀色の頭を撫でるのだった。

 いつだったか、桔梗は祖母に美味しい砂糖菓子を貰った。本当に美味しかったので弟にも食べさせてあげたいと、座敷牢へ行くと弟は母の後ろに隠れながらこちらを見ていた。少し怯えたような金色の眼がとても印象的だった。

 紙に包んだ砂糖菓子を、格子越しに渡そうとすると母が桔梗の腕を掴んで引っ張った。

 いきなりの事に抵抗も出来ず、格子に身体を打ち付け、あまりの痛みに手の中の包みを離してしまった。

 中の色とりどりの砂糖菓子はぱらぱらと床に散ばる。

 

 

「こんな事をして、不憫ふびんな弟へのほどこしのつもりか? いい身分だな。自分だけが大事にされ、なぜこの子がこんな目に……‼」

 

 恨みを込めた母の言葉。その険しい表情に自分は母に嫌われているのだと初めて知った。借金のかたに無理やり婚姻することをいた父の事も。

 成長するにつれ、父に似て来る桔梗の事を忌々いまいましく思っていたに違いない。

 

 

 それ以来、桔梗は母と弟に会いに行く事を止めた。

 

 それから数年。桔梗が十五歳になった年。事件が起きた。

 

 

 母が死んだ。

 

 

  あの座敷牢で首を吊っているのを、父が見つけたのだ。

 弟は無表情で、揺れる母の亡骸なきがらを見つめていたらしい。

 病死という事にして、通夜と葬式はひっそりと親族だけで行われた。もちろん、弟はあの暗い牢の中だ。母を見送る事も出来ない弟を可哀そうに思い、桔梗は久しぶりに座敷牢へと訪れた。

 

 

 成長した弟を見るのは初めてだった。その顔は日に当たっていないせいか、頭髪の色もあいまって病的なほど白く見えた。

 

 母に似ていると思った。父に似たきつい眼の自分とは対照的な大きな瞳。

 格子の近くでぼんやりと座り込む弟のその目は、生気も無くじっとくうを見つめていた。呼びかけてみても何の反応も無い。

  目の前で母が自害したのだ、無理も無いと思った。

 

 

 桔梗はふところから、首から下げられるように紐を縫い付けた小さな巾着袋きんちゃくぶくろを取り出した。中には、魔除けの水晶と遺体からこっそり切り取った母の髪の毛が入っている。

 それをお守りだと言って、弟の首に下げてやりその場を離れた。

 

 

 

 その夜。

 

 その日は満月が綺麗な静かな夜だった。

 突然の悲鳴に目が覚めた。

 

 バタバタと廊下を走る音。夜盗やとうかと慌てて廊下に出ようとした時、障子しょうじを突き破り何者かが部屋の中に飛び込んできた。

 蝋燭ろうそくに照らされた乱れた銀色の髪ですぐに誰なのか分かる。

 

 

「お前……一体どうし……」

 

 そこまで言って、弟の手に小刀が握られている事に気が付いた。

 既に誰か襲った後なのか、真っ赤な液体が刀から手を伝いぽたぽたと畳の上に落ちている。よく見ると、服も顔も返り血でところどころ赤く染まっていた。

 興奮状態なのかフーフーと荒い息遣いで桔梗を見る。蝋燭に照らされた金色の眼だけが妙に輝いて見えた。

 

 桔梗が動けないでいると、遠くからどすどすと足音が近づいてきた。

 

 

「桔梗、無事かっ‼」

 

 声と共に、破られた障子から部屋に入って来たのは日本刀を片手に持った父だった。

 父の目に飛び込んだのは膝をついたまま動けない桔梗と、それを見据える白鬼だった。

 

 

「このっ……化け物がっ。希少きしょうな白鬼はいつか役に立つかもしれんと生かしておいたのが間違いだった‼」

 

 言うと父は、弟に切りかかった。それを彼はひらりと避けると、外に飛び出していった。

 父は「くそ‼」と言いながらその後を追う。

  廊下を挟んですぐ中庭に出られる。

  足音の感じだと、二人は庭に出たようだった。

 しばらく争う音がしていたが、それがぴたりと止んだ。

 恐る恐る廊下へ出る桔梗の目に映ったのは、満月に照らされた庭の真ん中に横たわる父と、それに馬乗りになる弟の背中だった。

  父の胸には、あの小刀が突き立てられている。弟は、それを引き抜くとゆっくりと立ち上がった。

 

 

「父……上?」

 

  もう、絶命しているのだろうかぴくりとも動かない。

  桔梗の声に反応して、弟が肩越し桔梗を見るとほおの血をぐいと拭った。

 

 

「済んだか?」

 

 

  知らない男の声が聞こえた。

  声がしたのは桔梗の真上。屋根の上からだった。

 弟は声がしたであろう方を見上げふらふらと桔梗の方へ何歩か歩いた。そして、ぐっと前にかがむと屋根の上へ飛び上がった。

 

 

  桔梗は驚いて庭に飛び出し、上を見上げる。見上げた光景にはっと息を飲んだ。

 

 月を背負いこちらを見下ろす弟と、そのかたわらに立つ鬼。

 腰まで伸びた赤い髪の、雄々おおしく美しい鬼だった。

 鬼は桔梗を一瞥いちべつすると、弟をうながすように肩に手を置き、ふたり屋根の向こうへ姿を消した。

 

 

 

 

 

 

「家の中で生き残ったのは、使用人以外は私だけだった」

 

 

「…………」

 

 

 白銀は桔梗の話を黙って聞いていた。桔梗は竹串に刺した胡桃餅を「焼けたぞ」と白銀に差し出した。

 

 

「あの赤い髪の鬼は、弟の父親だったんだろうな」

 

「弟の名は何てんだ?」

 

「……分からない」

 

「ん?」

 

「家の者は弟の事を“化け物”としか呼んでなかった。名は母が付けたんだろうが、最後まで訊くことが出来なかったよ」

 

 だからと桔梗は続けた。

 

「知りたいんだ。弟の名を。……それに、なぜ私だけ生かしたのか」

 

 

 パチンと焚き木の火がぜる。

 

 

「長話しすぎたな。食べたらもう寝よう」

 

 そう言うと桔梗は、焼けた胡桃餅にかじり付いた。

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