第6話 山犬の夢
毎日患部に薬を吹き付けるようになってから三日目に、効果は表れはじめた。
やはり、白く変色しぽろぽろと剥がれ落ちはじめてきた。
「これを続けていけば、外に出られる日も近いぞ」
そう言って見上げると、嬉しさで目を潤ませた
「
いつものように、ヒノキの油を水の中に落としていると道雄が口を開いた。
「なぜ、
「……煩わしいんだ」
「煩わしい?」
道雄は分からないと言うように首を
「私が霊薬師だと分かったとたん、急に態度がうやうやしくなる。まるで神でも崇めるかのようになる者もいる。それが、どうも心地が悪いんでな」
「成程……」
「なるべく知られないならその方がいい」
桔梗が道雄にだけ霊薬師だと明かしたのは、自分を勇気づけるためなんだと気が付き道雄は感謝の想いで胸が熱くなった。
「桔梗様は……」
「その“様”というのもやめてくれ」
「……桔梗さんは、お供は連れていなんですね。霊薬師には護衛の為に、皆必ず何人か
「自分の身は自分で守る」
ありがたい事に霊薬師という特殊な能力のせいか、それに悪さをすると天罰が下るという話は昔から語り継がれている。
が、旅をしているとなるとそれの効力も半減される事がある。
山賊のような
だが、年中共に過ごせるほど信用できる人間には、そうそう出会えるものでもない。それに、中途半端な者を連れているとかえって自分の
結局ひとりが気楽でよかった。
「あと数日でこの塊も全部剥がれるだろう。歩けるようになったら何がしたいか、今から考えておくといい」
患部の様子を診ながら道雄を見上げると、彼は今まで見せなかったような笑顔を見せた。
※
桔梗はその夜、不思議な夢を見た。
夢の中にあの白い山犬が現れたのだ。その山犬が、桔梗に話しかける。
────その節は世話になった。おかげで怪我をする以前より調子がいい。
「そうか、それは何よりだな」
夢の中の自分は、山犬と話せている事に、何の疑問も抱いていないようだった。
────小僧に聞いた。里の人間が山に入るのを大目にみてやろう。ただし、むやみに山を荒らすような事をしたら……。
「その時は、あなたの好きにするといい」
────承知した。……それで、だ。霊薬師殿に頼みがある。小僧をあなたの旅の供に連れてやってはくれないか?
突飛な申し出に、桔梗は眉を
「なんだって?」
────人間と鬼の間に生まれたというだけで、この山で生涯を迎えねばならんというのは不憫でな。
もっと、広い世の中を見せてやりたいのだ。“海”というものが見てみたいといつだったか言っておったしな。
私も見たことは無いが……と、山犬が笑ったように見えた。
「しかし、私は従者は持たない主義だ。そんな事を頼まれても困……」
────この通りだ。
桔梗の言葉を
「……あなたが人間に頭を下げるのか?」
────小僧の為ならな。あれでも私には可愛い孫なのだ。
「…………」
────願いついでにもうひとつ。
「今度はなんだ?」
桔梗はため息をついた。この
────あやつに、名を授けてやってくれ。
「名を?」
そういえば、あの白鬼は名が無いと言っていた。山犬にそういう概念は無いんだと。
────霊薬師に名をつけられた者は、病に強く長生きをすると聞く。
「迷信だぞ」
────構わない。それに、連れて行くなら名が無いと何かと不便だろう?
「従者にするとは言っていないが」
────それでは、宜しく頼む。
言うと、山犬の身体は徐々に透けていく。
「おい、待て。言うだけ言って勝手に消えるなっ‼」
「おいっ‼」
ガバリと起き上がる。前に突き出した右手は空を掻いていた。
「……夢?」
妙に現実味のある夢だったなと、大きく息を吐いた。
「…………」
いや、本当に夢だったのか?
狐や狸は人をばかすと言うし、長く生きた山犬もひょっとしたら不思議な能力を持つのではないだろうか?
「ふ、馬鹿ばかしいな」
朝からそんな事を真面目に考えている自分に
朝食の後、里の様子を見て回ろうと外に出た。
桔梗とすれ違う度、里の人々は親しげに話しかけてくる。そして、畑で採れた野菜等持たせてくれた。
このままだと帰るまでに荷物だらけになってしまうなと苦笑いしながら、不意に今朝の夢を思い出し
この山のどこかに、あの青年がいる。
山に生い茂る木々が、風に揺れているのを眺めながら、あの青年も銀色の髪を風になびかせながらどこかでこちらを見ているような気がして、目を凝らす。
が、どこにも彼の姿を見つける事が出来なかった。
────何をしているんだ私は。
どうも、今朝の夢からあの
桔梗が霊薬師と知っても、特に態度を変える事も無く自然体で会話が出来る。
白鬼なら身体能力も申し分無いだろう。彼を旅に連れて行くのも悪くないかも知れないと思い始めている自分がいた。
そして、無意識にそんな考えを巡らせている自分がなんだか可笑しくなった。
「夢だ、夢」
そう自分に言い聞かせると、長老の家へ帰る事にした。
「おや、まあ」
野菜を沢山持たされて帰って来た桔梗を見て、長老は目を丸くして笑った。
「桔梗様は人気者ですねえ。今日の夕飯に頂きましょう」
長老は桔梗からそれを受け取ると、ほくほくと炊事場へ引っ込んで行った。
※
「そろそろ頃合いか」
ヒノキ油を吹き付けて一週間目に、ほぼ全ての塊が白く変色していた。それを慎重に手で剥がしていく。
ようやく皮膚が見えて来た時、
「き、桔梗様。……これはっ‼」
剥がれ落ちた部分の皮膚は真っ黒く変色していた。桔梗はそれを手で触って確かめる。
「
ここまで酷いと、普通は両足切断をしなければならない。再生させるのはもう無理だろう。
「そんな……こんな、酷い……」
老婆はその場で崩れ落ちる。
可愛い孫の脚がこんな状態では無理もない。
「案ずるな。こうなっている事は予想はついていた」
桔梗は懐から硝子の瓶を取り出す。
「それは?」
道雄は瓶の中の綺麗な青い液体を、不思議そうに見た。
「特別な泉で汲んだ清水に龍神の
「龍神の鱗……ですか?」
聞きなれない言葉に、老婆は首を傾げた。まさか本当の龍神ではないだろう。そういう植物でもあるのだろうか。
桔梗は山犬の時と同じように、道雄の前に膝をつき薬の瓶を胸に当て目を閉じる。同時に身体が淡い紫色に発光を始めた。
老婆はその光景を信じられないものを見るように口をぱくぱくさせて見ている。
「あ、貴女様は……そんな、まさか‼」
道雄は美しく光る桔梗を瞬きもせずに見つめていた。
徐々に光が弱くなり、完全に消えると桔梗は目を開けた。
「さあ、これを飲むんだ」
瓶の蓋を取り、道雄に手渡す。彼はそれを一気に
「…………」
薬は何の味もしなかったが、飲んだ瞬間から身体に力が
自分の手を見ると、身体が
「れ、霊薬師様だったとは……‼」
長老は膝をつき頭を床にこすり付けるように、桔梗に向けてひれ伏す。
「その話は後にしてくれ、今は……少し、休み……たい」
そこまで言うと桔梗はその場に倒れこんだ。
自分を呼ぶ道雄の声が遠くで聞こえた気がした。
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