優しき精霊ニコィショちゃん

桜野 叶う

雪見障子の窓から

 これは、とある雪国に伝わる言い伝えだ。雪の降る夜、一人悲しみに暮れている者のところには、ニコィショという精霊がやってくる。小さなおなごの姿をしており、悲しんでいる者と遊んだり、温かい料理を振舞ったりして、元気をもたらす、優しき精霊がいるという話だ。

 


 こんこんこん。

 雪見障子を軽く叩く音がした。誰かが訪ねてきたらしい。見ると、小さな子どもらしき人影がいた。

 冬記とうきは、布団から、物の怪の如く這いつくばうように飛び出して、障子を開けた。

「あ。やぶんにごめんなさい」

 藁帽子を被った、なんとも可愛らしい女の子だった。丸まった短い髪。つぶらな瞳は、きらきらと輝いていた。

「君は?」と尋ねると、「おらは、にこぃしょ」と答えた。

 祖母から聞いた話を思い出した。ああいう話は信じないタイプだから、どうせデタラメの作り話だと思っていた。彼女が、言い伝えの精霊、ニコィショか。見るからにそれっぽいし、瞳に一切の曇りがない。澄み切った瞳に嘘は付けないだろうと判断して、信じれることだと思った。

「おらとあそんでけろ」

 ニコィショは言った。

「遊ぶって?」

 冬記は尋ねた。すると、ニコィショは、藁帽子を外して部屋の中に入った。左にちょろっと小さな三つ編みが垂れていた。ニコィショは、腰を下ろすと、肩に掛けているガマ口のカバンを開けた。

「いろいろあるよ。おてだまに、おはじきに、ひゃくにんいっしゅ。これであそぼけろ」

 大小二つの巾着袋に、百人一首の箱。どれも聞いたことのある玩具だが、どれも馴染みはない。

「……どれからやるの?」

「うーん……、じゃあね、おてだまやろ」

 と、大きい方の巾着を手に持って、口を開けた。そこから、ニコィショの手の平サイズの玉が四つ。

「お手玉なら、何度かやったことあるよ」

「おらから、さきにやっていいけろ?」

「いいよ」

 ニコィショは、お手玉を三つ持ち、歌を唄いながら、手を玉を動かしている。


「ゆきのふるよは たのしいペチカ

ペチカもえろよ おはなしましょ

むかしむかしよ もえろよペチカ


ゆきのふるよは たのしいペチカ

ペチカもえろよ おもてはさむい

くりやくりやと よびますペチカ


ゆきのふるよは たのしいペチカ

ペチカもえろよ じきはるきます

いまにやなぎも もえましょペチカ


ゆきのふるよは たのしいペチカ

ペチカもえろよ だれだかきます

おきゃくさまでしょ うれしいペチカ


ゆきのふるよは たのしいペチカ

ペチカもえろよ おはなししましょ

ひのこパチパチ はねろよペチカ 」


 唄い終わって、ニコィシャは、お手玉を止めた。彼女のお手玉は上手だった。歌も愛らしく上手だ。

「その歌知ってるよ。学校で歌ったことある」

「おにいちゃんもやってみる? おらといっしょにやるべ!」

 ニコィショは、にこっと笑った。

「一緒に?」

「かんたんだべ」

 そういうと、ニコィショは、玉の一つを冬記の右手に投げた。

「それ、ここに投げてけろ」

 ニコィショは、自分の右手の平を冬記に見せた。冬記は、言われた通り、ポンと玉を彼女の右手に投げた。

「うまいべね、おにいちゃん」

「野球やってたからね。玉遊びは得意なんだ。」

「まだまだ、いっくべ!」

「あいよ」

 今度は二つの玉を手に取った。ニコィショは、右手に持っている玉を、冬記の右手に投げ、左手に持っている玉を、左手に投げた。冬記も、右手に持つ玉を、ニコィショの右手に投げ、左に持つ玉を、左手に投げる。それを延々と繰り返す。

 いくつか続いたところで、ニコィショはまた、歌を唄った。


「ゆきのふるよは」

「楽しいペチカ」

「ペチカもえろよ」

「お話しましょ」

「むかしむかしよ」

「燃えろよペチカ」


「ゆきのふるよは」

「楽しいペチカ」

「ペチカもえろよ」

「おもては寒い」

「くりやくりやと」

「呼びますペチカ」


「こんどは、おにいちゃんがさきうたってけろ」

「あ、ああ」


「雪の降る夜は」

「たのしいペチカ」

「ペチカ燃えろよ」

「じきはるきます」

「今にやなぎも」

「もえましょペチカ」


「雪の降る夜は」

「たのしいペチカ」

「ペチカ燃えろよ」

「だれだかきます」

「お客さまでしょ」

「うれしいペチカ」


ゆきは」

たのしいペチカ」

「ペチカえろよ」

「おはなししましょ」

パチパチ」

「はねろよペチカ」


 歌が終わると、ニコィショは玉を止めた。そして、パチパチと手を叩いた。

「すごいすごい。さいごまでつづいたべ!」

 たった些細なことなのに、冬記は素直に喜べた。それは、彼女が素直に喜んでくれたからだった。

「こんどは、べつのおあそびやろ? どっちにするけろ? おはじき? ひゃくにんいっしゅ?」

 ニコィショは、お手玉を片付けながら、冬記に尋ねた。

「おはじきで」

 冬記は、あまり時間をかけることなく答えた。何しろ、百人一首は分からない。上の句とか、下の句とか、覚えたことがない。おはじきも遊び方は知らないけれど、百人一首よりかはいい。どうせ、百人一首もやるだろうけれど。

「おはじき、いいよ」

 ニコィショは、ガマ口のカバンを開けて、大きい方の袋をしまい、小さい方の袋を取り出した。そして、開けた袋の口を逆さまにして、中に入っているものをザーッと落とした。色取りどりの、小さく可愛いお花がたくさん。

「みてみて、おにいちゃん。かわいいでしょ。おはななんだよ」

 ニコィショは、お花の山を両手で適当にすくって、それを冬記に見せた。

「……そうだね。でも、おはじきってどうやって遊ぶの?」

「えっとね、かわいいおはじきをみてるのとね——」

 言葉を途切らすと、ニコィショは、おはじきの一つを手に取り、両手を背中に隠した。そして、両手をグーにして、冬記の前に突き出した。

「どっちに、おはじきはあるでしょう」

 冬記は、彼女の指をじっとみた。分かるようで、分からない難題だ。

「えっと……こっち」

 指差ししたのは、右手だ。

「せいかいは」

 ニコィショが、両手をパーにすると、おはじきがあったのは、なんと左手だった。

「はっずれぇ」

 外してしまった。

「くっそお!」

 冬記は、案外悔しい思いをした。

「つぎね」

 ニコィショは、また背中に手を隠した。そして、グーで前に出した。

「こっちだ!」

 こんどは、左を指した。両手を開くと、左手におはじきはあった。

「あったりぃ!」

「さっきと変わってないじゃん」

 冬記は、ツッコミつつも、当たって嬉しく思った。

「おらもやるべ! おにいちゃん、かくして」

「はいよ」

 返事をして、冬記は、おはじきを一つ手に取ると、背中に両手を隠す。やがて、両手をグーにして、ニコィショの目の前に差し出す。

「どっちだ」

 ニコィショは、目を凝らしてじっと見ている。透視能力でも使えるっていうのか。

「うーんと、……こっちだべ!」

 指差ししたのは、右だ。

「残念、こっちでした」

 おはじきを隠していたのは、左だった。

「またひだり!?」

 三連続での左に、ニコィショは呆れてしまった。冬記はそれがおかしくて、笑えてきた。

「しょうがないだろ、右か左のどっちかしかないんだからさ」

 じゃあ次な、と再び両手を後ろに回した。そして、グーで前に出した。

「どっちだ」

「うーん、こっち!」

 ニコィショが指差したのは、左だ。

「残念、こっちにはないよ。こっち……あれれ?」

 右を開くも、そこにもおはじきはない。

「ええっ、おはじき消えちゃったべさ?」

 分かりやすく大胆なリアクションに、冬記は意地悪く笑った。

「ウソだよ。最初っから、どっちにもなかったよ。ほら」

 種明かしをして、こっそり後ろの影に置いていたおはじきを、ニコィショに見せた。

「わあ、ひどい。おにいちゃんのいじわる!」

 騙されたことが分かると、ニコィショのツラは、ぶーっとふくれた。しかし、すぐにそれは解除された。すると、今度は、おはじきの入っていた袋を手に取って、その口をぱっくりと開けた。

「このふくろに、ひとつずつ、おはじきをおとしていくべ」

「たったそれだけ?」

「これもりっぱなおあそびだべさ」

 まるで、年端の行かない子どもがするような単純な遊びである。ニコィショの容姿は、それくらいであるが。

 はじめはニコィショからだ。おはじきをひとつつまんで、袋の中にポトリと落とした。するとボトっと音がした。冬記は、袋の中を覗いてみると、袋の底には、硬い紙が敷かれていた。それで音が鳴ったのかと納得した。

 次は冬記がおはじきをひとつつまんで、袋の中に落とした。それを交互に繰り返す。ただそれだけの、単純すぎる作業だが、冬記はさほど苦にはならなかった。山になっているおはじきをひとつずつ落としていくのだから、途方もないと思ったが、二十何個をボトボトと落としたところで、山のおはじきは、全て袋の中だ。ニコィショは、パンパンになった袋の口をきゅっと閉じた。

「これで、おはじきあそびはおしまいだべ」

 次は、いよいよ、百人一首か。

「ひゃくにんいっしゅやるべ」

 ニコィショは、残る百人一首の箱を取り出した。

「……おれ、百人一首知らねんだよな」

「そうなんだ。でも、だいじょうぶべさ」

 百人一首のカルタで、何をするつもりだろうか。ニコィショは、箱を開けると、歌人の絵が書かれた読み札だけを取り出し、それを裏向きにして、円を描くように並べていく。

「何をするの?」

 冬記は尋ねた。

「ぼうずめくり。ふせたカルタをめくって、おとこのひとのふだ がでたらいちまい。おんなのひとのふだ がでたらもういちまい。おぼうさんのふだ がでたらぜんぶすてて、せみまるのふだ がでたらおしまいだべ」

「せみまる?」

「せみまるは、おぼうさんみたいなかっこうをしてるんだけど、おぼうさんじゃないから、とくべつなんだ」

「なんだそれ……」

「“これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関”のひとだよ」

 蟬丸せみまる……とても気になる存在であるが、とりあえずはやってみることにした。

「さいしょ、おらからひくべ!」

 ニコィショは、並べてある百枚の中から、無作為に一枚を引く。

「これだべ! ええっと、“たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ”|だいなごんき大納言公任んとう。おとこのひとだべ」

 引いた一枚を、ひざの上にのせる。

「こんどは、おれの番だな」 

 冬記が一枚引く。しょっぱなから、蟬丸を引いて終わらせてしまうことだけは、避けたいと思った。

「“あはれとも いふべきひとは おもほえで のいたずらに なりぬべきかな”謙徳けんとくこう

 男性札だ。そのまま手元におく。

「“おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき”|さるまる猿丸大夫だゆう。おとこのひとだべ」

 その後も交互に引き続けるも、出てくるのは、坊主でも、蟬丸でもない、男性札ばかりだ。平穏な時を過ごしていた。いっそのこと蟬丸でも引いてしまいたいという思いが、冬記には芽生えた。

 そして、また一枚を引く。

「おっ“めて とりのそらははかるとも よに逢坂おうさかの せきゆるさじ”せい少納言しょうなごん。女性札だ」

「でた、おんなのひと。もういちまいひくべ」

「うん」

 冬記は、もう一枚引く。

「“ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえ松山まつやま 波越なみこさじとは”清原きよはらの元輔もとすけ

「すごいべ! おやこそろったべ!」

 ニコィショは、冬記が引いた二枚の札を見て、目を輝かせた。

「親子?」

「せいしょう清少納言なごん と きよはらのも清原元輔とすけ は、おやこなんだべ」

「そうなんだ」

「すんごくめずらしいから、もういちまいひいていいべ!」

「いいの? そんな隠しルールあるんだ……」

 言葉に甘えて、冬記はさらにもう一枚引くことにした。

「“八重やえむぐら しげれる宿やどの さびしきに ひとこそみえね あきにけり”恵慶えぎょう法師ほうし

 ついにきた。坊主が。

「くっそお、最後の最後はツイてねぇ」

「おしかったべね」

「これ、なんか出たらハイパーレアとかあるの?」

「“なつのよは まだよいながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ”の きよはらのふ清原深養父かやぶ は、せいしょうなごん のひいおじいちゃんで、きよはらのもとすけ のおじいちゃんなんだべ」

「へぇ」

「それがぜんぶそろったら、かんぺきだったべ」

 つまり冬記は、その三枚の札が一気にそろうチャンスに負けて、さらに僧侶の坊主を引いて、とんでもない失敗をしたわけだ。坊主札を引いた冬記は、手持ちの全てを捨てるはめになった。清少納言と清原元輔の親子の札も共にだ。

「しんぱいないべ! おらが、ふかやぶのふだをひけば、みっつともそろうべさ!」

 ニコィショはそう言い放って、札の円に手を伸ばす。

「いや、そろう前に二つ失ったんだけど……」

 冬記はぼそりと呟いた。

「えいやっ!」

 さっきまでよりも、一段と声を張っていて、気合が入っているのが分かった。そんな彼女が引いたのは、清原深養父……ではなく

「“これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき”|せみま蟬丸る。」

「終わった……」

「あぁ、せみまるだ。おしまいだね」

 怒涛の勢いだった。

「これって、どっちが負けなんだろうね」

 冬記は坊主を引いて全部を失い、ニコィショは蟬丸を引いて全てを終わらせた。

「かちまけはないかな。せみまるひいたらおしまいってだけだから」

 ニコィショは、手持ちの札を綺麗に揃えた。冬記も、捨てた札たちを手に取ってきれいに整えた。

「ひいたふだのなかに、すきなうたはあったべ?」

 ニコィショは尋ねた。冬記は整えた札の一枚一枚を見て判断する。読み仮名は読めても、意味の方が分からない。

「うーんと、これかな。藤原ふじわらの道信みちのぶ朝臣あそんの“けぬれば るるものとは りながら なほうらめしき あさぼらけかな” どんな歌かは、よく知らないけど、なんとなく」

「このうたは こい のうただべ。よるは、すきなひととおはなしができてたのしいのに、あさがやってきてしまうとそのじかんがおわっちゃうから、うらめしいべーって」

 さすがに、べーとは言っていないと思うが、だいたい見た感じの意味合いだ。

「くわしいんだね」

「おらは、なんでもしってるべ」

 えっへん、と威張るニコィショ。精霊だというし、幼い見た目ながらになんでも知っていそうで、不思議である。

「ニコィショちゃん」

「ん?」

「どうして、おれのところに来たの?」

 冬記は、カルタの片付けをするニコィショちゃんに尋ねた。

「きみとあそびたかったからだよ」

「それは……おれが悲しんでいたから?」

 核心に近いところまで迫った。ニコィショという精霊は、一人で悲しんでいる者の前に現れて、こうして遊んだりして、自然と元気をもたらしてくれる。

「おらは、ニコィショ。みんなにえがおをはこぶのがおしごとなんだ。おにいちゃんも、すっかりえがおだね」

 言われてみれば。彼女とのお遊びによって、自然と笑顔を取り戻していた。彼女に会うまでは、立ち上がることすら苦しくなるほど、悲しみにくれていたのに。

「だから。おらは、もうかえるべ」

 帰ってしまうんだ。冬記は寂しく思った。外はまだまだ大吹雪である。

 片付けを済ますと、ガマ口のカバンを肩に掛け、立ち上がった。

「また会える?」

「うん。そしたら、また遊ぼ」

「……うん」

 またしょんぼりとしていたい気分だったが、せっかくニコィショが運んできてくれた笑顔をすぐに絶やしてしまうのは、申し訳ない。

「またね」

 雪見障子を開けると、最後の最後に振り返って、そう言った。冬記は、静かにほほ笑んで、小さく手を振った。

 ニコィショは、敷居をまたぐと、ていねいに障子を閉め、外に置かれた藁帽子を被り、縁側からぴょいと飛び降りて、吹雪の中に消えた。

 

 彼女が去って、部屋の中は冬記だけになった。そう思った瞬間、ずっと堪えていたものが一気に噴き出した。

 冬記は、十二の歳にして、両親を失っていた。ずっと幼いときに、母親を、つい先日に、父親を。共に病気で亡くしたのだ。今は祖父母の家に世話になっているが、まだまだ子どもな自分ながらに、親をどちらとも失って、悲しみのそこに沈んでいた。体調も優れなくて、ずっと布団に伏せていた。

 心がじんと温かい。光はまだ潰えていない。あの話は、嘘ではなかった。

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