籠の鳥の一日

紫月 雪華

朝が来た。まだ薄暗い時間のこと。

数時間前までは、今宵、夏の真っ盛りとでも言えるような光景が広がり、ぼわんぼわんと反響していた客引きの声、禿たちの声、殿たちの声……。


全てが一時の夢のようだ。そう、ここは花街。女たちが春を売る、享楽の街。


わっちも、少し前までは、殿たちの前で琴をつま弾いたり、扇子を用いた舞踊を披露していた。位は低くはないが、一番上の方々には遠く及ばない。

しかし、一人部屋というのは、大変ありがたかった。

なにしろ、朝から煙管を吹かせることができるから。


布団から起き上がり、早朝独特の肌寒いような居心地の良い風が感じる。

欄干に近づき、煙管の煙を思い切り吸い込み――。鬱屈とした思いも載せて吐き出した。


しばらく、朝の気だるげな空気に流されつつ、ぼうっとしていた。

気づけば、わっち付きの禿が襖越しに声を掛けてきた。


「姐さん、藤姐さん、お目覚めのお時間でございます。朝餉もお持ち致しました。」


とんとん…と煙管の灰を落とし、寝間着の裾を引きながら欄干から離れ、定位置に座る。


「入って。」


失礼いたします、と声を掛けながら幼い女子、禿が入ってくる。名は、鈴。


朝の支度をしつつ本日の予定を軽く聞く。


「本日の御予定ですが、このあとお琴の老師がいらっしゃいます。お稽古のあとはお習字でございます。墨汁や、硯、筆、紙…足りないものがありましたら、お声がけください。楼の店にて買ってまいります!」


「――紙、紙が確か足りなかったはず。数枚買ってきておいて。代金はツケで。」


「あい、藤姐さん!」


髪結いもされていく。夜ではないけれど、老師は厳しい。特に身だしなみについては、もし乱れていようものならお説教を食らう。


朝餉の膳も禿の手によって運ばれてきた。口に運びながら、気づかれないように溜息を吐いた。

いつまで、この生活は続くのだろう、と。


遠く故郷を思い出しながら、欄干が、わっち自身を囲む牢獄のように思えて、また溜息を吐いた。


――いいや、牢獄ではなく籠の鳥だ。牢獄は、見世物にはされない。

人間が飼う鳥のように、外に出れることもない。

ここは、花街。享楽の都。女の春を売る街。


嗚呼、遠くに置いてきた良き思い出たちよ、どうかこの籠の鳥の慰めとなっておくれ。

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籠の鳥の一日 紫月 雪華 @shizuki211moon

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