ことばあそび

酸化酸素 @skryth

第1話 何時の融通? ~ it's no use ~

 ここは夕暮れ時の公園。既に周りには人の気配はなくて、いるのは2人の男女だけ。だいぶ前に鳴っていた「ゆうやけこやけ」のメロディは、遊んでいた子供達の心に刺さったのか、それとも言い付けを守らせる為のメロディのどちらかなのだろう。

 強制力を持っている、そんなメロディを聞き付けた子供達は様子で家路についていった。

 そして、かれこれ30分が経過し、空は遠くの方から夜の帳が顔を覗かせていた。



 そんな公園に佇む2つの影。ただただ佇んでいるだけの2人がそこにいる。



 彼女は強い女性だ。人前で泣いた事を見たことが無い。

 それは自分の前でも例外では無かった。


 そんな彼女が今、自分の前で両目いっぱいに涙を湛えている。そして、それらは今にも零れ落ちそうだった。でも、こんな日でも「泣かない」と決めているのかもしれない。だから溜め込まれた涙は必死に重力に逆らっていた。

 涙を溜める事と、それを流す事は意味合いが違うと考えているのかもしれない。



「これでお別れなのね?」


「そっか、うん。ならよね?」


の……よね」



 その一言で終わらせられる程、この想いは弱くない。

 そのカンケイはそんなに脆くない。


 この状況で力一杯抱きしめ、愛を囁やけるくらい強くない。

 この精神こころはそんなに堅牢じゃない。



 2人の間に今まで積み重ねられて来た感謝ありがとうと、繰り返されてきた謝罪ごめん


 そして、今もまた先の言葉を皮切りには繰り返されている。積み重ねられてきた言葉は、もう2度と彼女からは積み重ねてはもらえないかもしれない。

 それにこの状況でこっちから積み重ねられるほど、空気が読めないワケでもなかった。でも会話を続けたくなって積み重ねていく。

 それしか時間を稼ぐ方法が見付けられなかったのも事実だ。だから少しでも長く別れを惜しんでいたかったんだ。



 この世界に、その2つの言葉しかとでも言いたいかのように、それしか口からは漏れて行かなかった。どんなにどんなに願ってもその2つの言葉だけで時間を稼ぐのは無理がある。だからこそ別れを惜しむのは無理でしかない。

 全ての耳に入って来る音は、もう既にただのノイズであって、それは会話なんかじゃない。それは2つの言葉も同じだった。いや、2つの言葉しかないからノイズに成り下がったんだ。



「何がごめんなの?」


「何がありがとうなの?」


 そんな声が聞こえたなら……、閉じる事の出来ない耳に入って来たのなら……、会話も少しは繋がるかもしれなかった。でも、そんな言葉はもう、2人の世界には存在していない。あるのは2つのノイズだけだ。

 だからこそ、そんな言葉を言って欲しかったのかもしれない。もっと会話を続けたかったから。

 それこそコトだって分かってる。



 だけど今の2人の世界に2つの言葉しかなくても、そのノイズだけで2人の会話は成立していた。それで会話が成立する程に、2人で過ごした時間が短いとは言えないからだ。お互いがお互いにそのノイズだけで言いたい事が伝わっていたんだ。



 幾ばくかの時間が流れていった。2つのノイズだけで会話が長時間続くワケもない。だからその後は2人の間を静寂だけが無情に流れていた。

 そしてその後で、彼女はどこかに何かを吹っ切った様子で口を開いていった。だからその言葉は2人の世界が失った言葉であり、吹っ切った事で彼女が取り戻した言葉だ。



「じゃあ、これで本当に、本当に……」


「「さようなら」だね」



 「さようなら別れの言葉」は嫌いな言葉だ。2人の縁が切れてしまいそうだから……、声に出したらそれが現実のモノになってしまいそうだから……。

 これまで紡いできたカンケイが全て無かったコトになってしまいそうだからだ。

 そればっかりはで終わらせられない。




 「さようなら別れの言葉」やそれに準じた言葉は、これまで2人の間で紡いだ事は無かった。

 それは2人で決めた暗黙のルールだった。

 それは2人の信条であり、合い言葉みたいなモノだ。

 でもそれじゃ、遊んだ後でも離れられないから「じゃあね」だけは妥協されていた。



 彼女はノイズだけの世界に負けたのかもしれない。耐えられなくなったのかもしれない。重力に逆らい続けた涙の代わりに言葉を取り戻したのかもしれない。

 そうしてそれを紡がれてしまった自分……。それが意味するところは、もう分かっている。

 泣きたくない彼女と、泣けない自分の2人はそこで「さようなら」なんだ。




 2人はこれから別の方向を向いて歩いていく。2人の道はもう交わらないかも知れない。完全に平行していなければ向いてる方向は同じでも、いずれ必ず見失う事になる。

 だからこそ、そうしたくなくても、のだ。

 その角度に早い内に気付いていれば修正出来たかもしれない。後悔しても、いくら悔やんでも悔みきれない禍根でしかない。

 そして、その矛先は全て自分に向けられるのだから、それも。彼女を恨む事なんて出来るハズもなかった。



 幸せになろうって決めたのに。それすらも今となっては叶わないだろう。今更歩き出した手を強引に引っ張っても、返って来るのは拒絶だろう。それは何よりも怖かった。拒絶されればもう立ち直れなくなってしまう。そうなれば、何もなんてない。



 2人が進む方向が真逆になったあとで……、彼女の背中が小さくなっていったあとで……、2人の世界じゃなくなったあとで……、自分の口からは2つのノイズ以外の言葉が漏れていった。

 さっきまであれだけ紡ぎたかった言葉を今更紡いだところで、もう遅いのは分かってる。分かってるけど、どうしても紡ぎたかったんだ。




 「」は魔法の言葉。何も「」なんかないのに、それが叶ってしまう魔法の言葉。


 だからこそ、彼女の涙を見る事はなかったんだ。重力に逆らい続けた涙は無事に耐える事が出来て、「泣かない」という意思は尊重されたんだ。

 彼女の泣いてる姿を見た事はなかったけど、見たいワケがなかったし、最後の最後で見ずに済んだのは僥倖だったのかもしれない。



 彼女がいなくなったこの場所に冷たい風が吹き抜けていく。もう、その背中は見えず、追い掛けるコトも出来ないのは分かっている。女々しく追い掛けて、縋り付けば良かったのかどうかまでは分からない。

 幾ら想像しても妄想しても、コトなんだ。

 それに泣いている姿を見たら追い掛けていたかもしれないけど、それはリアリズムじゃなくて、ロマンチシズムだから、


 ただ完全に夜の帳が降りる手前の灰色の空だけは今にも泣き出しそうだった。それだけはのかもしれない。

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