(10)アンカラの素晴らしい1日
朝、礼拝への参加を呼びかける放送を聞いて目を覚ました。
カーテンを開けると、窓から4本の立派な尖塔が立つモスクが見えた。周囲に高い建物がないためか、一際存在感を放っている。
トルコの首都アンカラでの初めての目覚めは、非常に爽快だった。
——今日はいい日になりそうだ。
私は窓際で大きく伸びをしながら、そんなことを思った。
ホテルの朝食を食べ終えると、早速街に繰り出す。特に予定は決めていなかったが、アンカラ城を目指してぶらぶら歩けばいいかと考えていた。
日中になれば人通りも増えるかと思っていたのだが、前日の夜に歩いた時の印象と変わらず静かな街だった。整備された大きな公園や立派な病院があり、首都らしさを感じ取る光景はあるのだが、やはりそこを歩く人が少ない。
坂道を登っていくと、途中で市場(スーク)のような通りに出た。イスタンブールのグランドバザールは端から端まで観光客向けの土産物ばかりが並んでいるが、ここは日用雑貨や食料品など地元民向けの商品を扱っているようだった。
そのまま坂を歩いて行くと、途中からオレンジ色の屋根と白い外壁の建物が並ぶ景色に変わっていく。おそらくは古い街並みを保存している地区なのだろう。屋根の瓦が面白い形をしていて、円筒を半分に切ったような形状をしている。それらを互い違いに組み合わせて、屋根に敷き詰めていた。
久しぶりに瓦屋根を見たからだろうか。なんとなく日本の古民家が並ぶ通りと目の前の景色が重なって見える。
土産物屋やカフェが並ぶ広場を抜けると、アンカラ城の門に着いた。
アンカラ城は城というよりも城跡、あるいは城壁と呼んだ方がいい場所だったのだが、そこから見下ろす景色が素晴らしかった。
——ここがトルコの首都なのか。
城から一望するアンカラは、古さと新しさが同居しているような街だった。石造りの塔や家屋が並んでいる向こう側で、高層ビルが建っている。見えない境界線が引かれていて、それぞれ別の街が広がっているかのようだ。
トルコが国として成立した際に、アンカラは首都として計画的な都市造りが進められたという。旧市街は首都として生まれ変わる以前の街並み、ビルが建つエリアは首都として発展を遂げた後の景色ということだろう。
このアンカラ城は、そうした歴史の変遷を高い場所から見守ってきたのだ。
* * *
城を後にした私は、来た道を戻っていくのもつまらないので特にあてもなく散策することにした。時刻は12時を回っている。ついでにどこかで昼食も食べたい。
本当に気の向くままに歩いていたのだが、急に賑やかな場所に出た。
そこは市場だった。
血の滴る肉や、新鮮な野菜や果物が店頭に所狭しと並べられ、客を呼ぶ商店主の声が飛び交っている。
私は熱気に当てられたように、市場の中を歩き回った。
観光客向けではない、地元の人たちが集う純粋な市場に来るのはこの旅の中では初めてだった。今までもこうした市場を探してはいたのだが、どうしても見つけられなかったのだ。
なんでもない時に行きたかった場所にたどり着いてしまうのは、旅ではよくあることだ。
私はまず屋台で売っている、横に回転しているケバブを買った。
縦に置かれているスタンダードなケバブと違うのは、肉ではなくモツを焼いている点だ。注文を受けると、店員は適量を切り取った後に両手の包丁でリズムよくモツを刻んでいく。
“モツサンド”は香辛料がたっぷりかかっていて、ピリ辛な味だ。歯ごたえもよく、噛むごとに口の中で味が広がっていく。
一緒に買ったのはアイランという“トルコ風飲むヨーグルト”だ。味は塩の効いた飲むヨーグルトという感じで、単品で飲んでもそれほど美味しくはないのだが味の濃いケバブサンドと合わせると口直しにちょうどいい。
昼食を食べ終えた私は、市場でデザート代わりにイチゴを購入することにした。果物屋を冷やかした時に、よく熟れた真っ赤なイチゴが積まれていたので目をつけていたのだ。
値札を見ると、「20リラ(約160円)」と書かれている。
——100gで20リラなら妥当な値段かな。
私は店主に20リラ札を渡したのだが、ここで予想外のことが起きる。
店主の男性は金を受け取ると、スコップのような道具でイチゴを掬い紙袋に入れていくのだが、その手がなかなか止まらないのである。
結局、紙袋いっぱいになるまでイチゴを詰め込み笑顔で私に渡してきた。どうやらこのイチゴは100gで20リラではなく、1kgで20リラだったらしい。
——キロ160円のイチゴか。
私はその安さに驚くと同時に、不安になってきた。もしやこのイチゴはジュースやジャムにする化工向けで、そのまま食べてもおいしくないのではないだろうか。
市場を出て、すぐ近くの広場で腰を下ろした私は、なるべく一番おいしそうな赤いイチゴを選んで思い切って口にした。
「うまい」
思いがけず、イチゴは美味だった。
安いイチゴは酸っぱいイメージだが、しっかりした甘さがある。日本で食べるイチゴとそう変わらない味だ。
私は紙袋から次々とイチゴを取って口に放り込んでは、緑のヘタをビニール袋に入れていく。あっという間に手はイチゴの果汁でベタベタになった。旅に出てから食べる果物といえばリンゴかオレンジばかりだったので、甘酸っぱい味は久しぶりだった。
広場に座って市場を出入りする人々の様子を眺めていると、アンカラという街が少しずつ体に馴染んでいくような気がする。
なんてことはない1日だったが、私は自分が満ち足りているのを感じていた。
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