(4)ドミトリーの効能

 エジプトではどの街でも1泊1000円台の宿はすぐに見つけられたが、イスタンブールでの安宿探しは難航した。

 シングルルームなら中心地からやや離れた場所でも1泊3000円はなかなか切らないし、お手頃なホテルを見つけてもオンシーズンのため空き部屋がないという状況だった。


 そんな時に私のような格安旅行者が利用するのが、ドミトリー(相部屋)のある宿だ。


 多くのドミトリーは大部屋に二段ベッドが複数台配置されていて、その内の一つで寝る形式が一般的だ。個室に比べて格段に安上がりで泊まることができ、他の旅行者との距離も近いので交流が生まれやすいという利点がある。


 私がイスタンブールで初めに利用したドミトリーは、ブルーモスクのある広場にほど近い場所にあり、1泊1800円ほどだった。部屋には二段ベッドが3台置いてあり、私が入った時にはすでに5つが埋まっていた。


 ドミトリーにはメリットがあるが、当然デメリットもある。

 一番気をつけなければならないのは盗難である。鍵付きのロッカーが備え付けられている宿もあるが、基本的に荷物は他人から見える場所に置いておくしかない。

 なので、パスポートを肌身離さず持ち歩くのはもちろん、貴重品はなるべく手持ちのサブバッグに入れて行動する必要がある。それでも盗まれる時には盗まれるもので、以前中東を旅した時にはシャワーに入っている間に腕時計を盗られてしまったこともあった。


 デメリットのもう一つは、他人の生活のリズムに巻き込まれてしまうことだ。

 私の部屋は夜早い人が多く、午後8時には消灯していた。私の都合で電気をつけて起こすわけにもいかないが、真っ暗な部屋ではすることもない。となると、自然に外をほっつき歩いて過ごすしかなくなる。


 しかし、このデメリットが思わぬ“効能”を生み出すこともある。


 ある夜、ブルーモスク前の広場をあてもなく歩いていると私よりやや年上であろう男性に写真の撮影を頼まれた。私は快く引き受け、ライトアップされたブルーモスクをバックにスマホで男性の記念写真を撮った。


 思いのほかいい写真が撮れたようで、スマホを確認した男性は「君はプロのカメラマンか?」と真面目な表情で私に尋ねてきた。

 「ノー」と答えようとして、少し考えた。そういえば本業のついでにカメラを使っていた時期がないわけではない。仕事で撮影していたならば、それはもうプロと言ってもいいのではないだろうか。


 私がちょっとしたいたずら心で「イエス」と答えると、男性はとても喜んだ。そして言い出しにくそうに「よかったらアヤソフィアの写真も撮ってくれないか」と頼んできた。

 すっかり気を良くした“なんちゃってプロカメラマン”の私は「もちろん」と快諾。アヤソフィアが収まる撮影スポットを探して、公園をあちこち歩き回った。


 男性はバレシュと名乗った。

 バレシュ氏はカタールのドーハ在住で、建設に関わる仕事をしているらしい。「カシマケンセツ」と一緒に仕事をしたといい、日本で7ヶ月働いたことがあったと話していた。


 アングルを決めて、いざ撮影という段階でアクシンデントが起きる。

 プロ根性を見せてベストな位置から撮ろうとした私は、左足を生垣の泥の中に思い切り突っ込んでしまったのだ。撮影は無事に終了したが、代償に私の左足は汚れてしまった。


「僕のホテルが近いから、そこで洗おう」


 バレシュ氏が申し訳なさそうに提案する。


「それではホテルが汚れてしまうよ」


「ならモスクで洗おう」


 歩くバレシュ氏についていくと、そこはブルーモスクの敷地内にある足洗い場だった。モスクでは靴を脱いで礼拝をするため、先に足を洗う場所であるらしい。私はそこでイスラム教徒に混じって、ゴシゴシと足を洗って泥を落とした。

 ついでに右足も洗ったのだが、清潔になった足で歩くのは存外に気持ちのいいことだった。


 このように、夜に街を歩き回っていると様々な出会いと発見がある。居心地のいい個室ではなく、外で時間を潰さなくてはならないドミトリーの効能とも言えるだろう。


 そんなこんなでドミトリー生活を楽しんでいた私だが、最初の宿は2日で引き払うことになる。


 理由は部屋のクーラーだった。


 設定温度が極端に低いのか、部屋は異常に冷却されてしまう。タオルケットを巻いて体を丸めても寒いので、フリースを着た上についにはダウンジャケットを出動させる事態になった。

 旅が長期化すれば出番もあるだろうと思って日本から持ってきたダウンだったが、まさかこれほど早くに活躍するとは想像もしていなかった。


 次に移ったホステルは、1泊1500円ほどと一軒目よりさらに安いが、朝食のサービスがなかった。

 およそ6畳くらいのスペースに二段ベッドが2台置かれた若干手狭な部屋で、しかもクーラーも付いていない。だが、冷却責めにあうよりは遥かに過ごしやすかった。


 そのホステルはかつてのヒッピー文化が若干残っていたのか、毎夜のように屋上のテラスでパーティが開かれていた。と言っても参加者はもはやそこに住んでいるような長期滞在者が中心で、私の部屋からは私を含めて4人中3人が不参加だった。


 唯一パーティに参加していたのが、私の向かいのベッドの上段を住処にしていたエクアドル人のジェファソン氏だった。彼は夜を騒いで過ごし、午前2時ごろに部屋に帰ってきて昼過ぎまで寝るという生活を送っていた。


 ある晩、私が寝ていると立て付けの悪い扉が開く音で目を覚ました。どうやらジェファソン氏がパーティから帰ってきたようだった。

 私がごそごそ動いていると、自分が立てた物音で起こしたらしいことに気づいたジェファソン氏が小さく「ソーリー」と呟いた。


 すぐに彼の寝息が聞こえてきたが、逆に一度目覚めた私はなかなか寝付けないでいた。

 仕方がないので、小さな窓から差し込む光をぼんやり見つめながら考え事を始める。


 ——なんでおれはパーティに参加するような人じゃないんだろうなぁ。


 海外を旅するバックパッカーのSNSを覗くと、他国の旅人や現地の人々と実に楽しそうにしている写真を見かける。

 むしろそれがバックパッカーという響きが持つイメージだろう。積極的に異国のコミュニティの中に飛び込んでいき、言葉や文化の違いを乗り越えて様々な人と仲良くなる。国際交流が旅の醍醐味だと考えている人は多いはずだ。


 一方で私は旅の間は圧倒的に1人で過ごす時間が多い。ドミトリーに泊まっても、相部屋の旅人とは挨拶や簡単な会話をする程度だ。夜のパーティやラウンジで会話をしている人たちの輪に入っていくようなことはしない。


 勇気がない、と言えばそれまでだろう。


 しかし、公園で出会ったバレシュ氏とのやり取りのように、ちょっとした交流があるだけで私は満足してしまうのだ。

 あとは1人でぶらぶらと街の中を歩いていれば、私にとって旅は充実したものになる。


 だが、仮にジェファソン氏のような南米の明るいノリが自分にも備わっていたなら、旅も違った内容になるだろう。それはそれで、きっと充実しているはずだ。

 他人の旅を見て、自分の旅は何かを考え直す。それもまた、一つのドミトリーの効能なのかもしれない。


 何が正しいのか。


 自分はどうありたいのか。


 眠気が襲いかかってきて、考えがとっちらかってくる。


 それでも最後に残る疑問は一つだった。


 ——どうすればおれは“旅人”になれるのだろう。


 答えは出ないまま、私は静かに意識を闇の中に落とした。

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