(7)ナイル川のほとりで
ルクソールに滞在している4日間は、毎日ナイル川のほとりに通った。
名所旧跡は短期間にいくつも回っていると飽きがきてしまうが、川はいつまでも眺め続けることができるから不思議だ。
エジプトは大体どこの街に行っても川を望むことができるが、その中でもルクソールは特別だった。川沿いは綺麗に整備されていて、休憩できるベンチも多く設置されている。何より、東岸地区からは川向こうの王家の谷に沈む夕日を見ることができる。
燃えるように赤い夕焼け空に王家の谷が浮かび上がっている光景を眺めていると、川の向こうに死者の世界があることを強烈に意識する。まるで自分が幻想の中に迷い込んだかのようで、身震いが走るのだ。
川沿いを歩いていると、実に様々な人と出会う。
まず旅人に声をかけてくるのはフルーカ(帆船)乗りだ。フルーカとはヨットのように三角の帆を張った船で、中東など地中海沿岸で使われてきた伝統的な移動手段だという。
現代ではもっぱら観光客を乗せるために使われている。夕方になると水上から日没を見るために、川に浮かぶフルーカをよく見かける。
フルーカ乗りたちは基本的にしつこく自分の船に乗れと勧誘してくるので適当にあしらうことがほとんどなのだが、ある時、仕事帰りだというフルーカ乗りの男と話すことがあった。
「どこの出身だ」と聞かれたので「日本」と答えると、男は「日本人には久しぶりにあった」と嬉しそうだった。
「自分はこの仕事を30年以上やっているが、昔は日本人がたくさん来てあちこちでカメラを撮っていた。今はもう見ない。アジア人がいても、中国人と韓国人だけだ」
男は身振り手振りを交えながら、そのようなことを話していた。
私が「コロナウイルスの影響で日本人は海外に行けていないんだ」と言うと、男は妙に納得したように頷いていた。だが、本当の理由はそこではないのだろう。『日本人の海外離れ』はもう10数年も前から言われていることだ。
私としては「大挙して押し寄せカメラを撮って去っていく日本人」というイメージはあまり好ましく感じないので、海外離れも別に嘆くようなことではないと思っている。
カメラと言えば、ナイル川沿いではどの街に行っても一眼レフを持ったカメラマンたちがたむろしている。
彼らは観光客に声をかけて撮影を持ちかけるのだが、これが意外にも需要があった。川沿いではあちこちで記念撮影が行われているのを見る。
エジプトでは比較的新しく生まれた“商売”なのか、カメラマンはまだ若い10代くらいの者がほとんどだった。今まで撮影した写真を見せてくれるなどフレンドリーな人も多く、個人的には好感を持てた。
撮影の料金を聞くと「10ポンド(約70円)」だという。
そこまで高い値段ではないのでお願いしようかなと考えたが、被写体になるのは少々恥ずかしい気持ちがあり、結局彼らのカメラに収まることはなかった。
岸壁では釣りをしている者も多かった。
彼らは針を遠くへは投げず、岸壁付近に下ろしては少し泳がせ引き上げるということを繰り返していた。なぜだろうと思って水中を覗いてみると、どうやら魚は張り付いた藻を食べるために岸壁周辺に集まっているらしい。そして釣り人はその魚を狙っているというわけだった。
しばらく釣りの様子を眺めていると、小学生くらいの少年が自分が釣ったという手の平サイズの魚を誇らしげに見せてくれた。家に帰ったら、母親に調理してもらって食べるのだろうか。
ある時、一人の男の子が柵に寄りかかりじっと夕日が沈むナイル川を見つめている場面に出会った。川を見ているのか、あるいはその川をゆく船を見ているのかはわからなかったが、目の前の光景に熱中していることは確かなようだった。
父親が何度か名前を呼び、男の子はようやく柵から離れて両親のもとへ走っていった。
私は男の子が去った後に、同じ場所に立ってナイル川を見つめた。
もしも私が彼と同じくらいの歳に同じ風景を見たなら、何を感じただろうか。そんなことを一瞬だけ考えて、すぐにやめた。
この川が見つめてきた人類の歴史からすれば、20数年などほんの一瞬の出来事に過ぎないだろう。少年の私も、今の私も、さして変わりはないはずだ。
ナイル川は、今日も流れている。
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