(2)死者の町
カイロに滞在して2日目。
特にどこかを観光する予定は立てていなかったので、宿のベッドに寝っ転がりながらGoogleマップを眺めて、面白そうな場所はないかと探していた。
縮尺を広くしたり狭くしたり、北に行ったり南に行ったり、色々操作をしていると「おっ」と興味を惹かれる地名があった。
『死者の町』
拠点としているタハリール広場からは東に約4キロ行った場所にある。
ギリシャ語で言う『ネクロポリス』と同じ意味だろうか。一体ここはどのような町なのかと、想像が掻き立てられる名前だ。
(よし、今日はここへ行こうか)
予定が決まってからの私の行動は早い。
早速貴重品を入れたサブバッグと1リットルの水が入ったペットボトルを掴んで、宿を飛び出したのだった。
出発した午前9時はまだ涼しさが残っていたのだが、太陽が高く登っていくにつれて急激に気温が上がっていく。
私はなるべく日陰を選びながら、カイロ市内をひたすら東へ歩いていった。
それにしても、午前中からすさまじい車の交通量である。あちこちでクラクションが掻き鳴らされ、交通ルールなどあったものではないと言うように車同士で追い抜きあっている。
信号が設置されている場所は限られているため、歩行者は車がビュンビュン走る中を歩いて道路を横断しなくてはならない。
慣れていないと恐くて足が震えてしまうのだが、大切なのは車が減速したり避けてくれたりすることを信じて同じスピードで歩き続けることである。ビビって歩く速度を変えてしまうと、かえって危険なのだ。
道の途中でイスラム地区に寄り、中世マムルーク朝時代の建築物群を見学。綺麗な石畳の街並みは、歩いて楽しいものだった。
ところが、この寄り道が思わぬ形で痛手に繋がる。
中世イスラムの街並みに夢中になり、あまりに熱心に歩き回ったものだから、気がつけば相当な疲労を抱えていたのだ。
炎天下の中、ほとんど休憩を挟まずに歩き続けたことがよくなかった。死者の町へ続く道に戻った時にはすっかり疲労困憊していた。
水はひたすら飲み続けていたので、幸いにも熱中症の症状はない。
だが、これ以上動くのもしんどかった。
(死者の町は諦めて、バスかタクシーで宿に戻ろうかな)
そんな考えが頭をよぎる。しかし、一度戻ってしまえば二度と死者の町には行かないような気がした。同じ道をもう一度歩いていくのは気が進まない。
少し悩んで、私はカフェで少し休憩した後に再び歩き出すことを決めた。
旅の「ここに何かがありそう」という直感は、なるべく大切にしていきたい。
* * *
その“町”に一歩踏み入れただけで、異様な雰囲気を感じ取った。
——あまりにも静かすぎる。
遠くから車のクラクションは聞こえるが、あらゆる生活の音が一切ない。
ここが、死者の町。
外観は普通の町とそう大きくは変わらない。道があり、家がある。だが、そこに人だけがいない。
半分開いた門の中から家の中を覗いてみると、空き地の真ん中にぽつんと墓石が立っていた。
その隣も、その隣も。
家が建っているように見えた場所は、全て墓だった。いや、正確に言えば墓のために家が建てられているといったところか。
死者がその家で生活できるように建てたのだろうか。
しばらく歩いていると、広場のような場所を見つけた。門をくぐって中に入ると、墓石が所狭しと並んでいる。どうやら集団墓地に来たらしい。
墓石の間を歩いていると、不思議な違和感に襲われた。
この場所に自分がいてもよいのだろうか? 生者の世界に死者がいられないように、生者が死者の町に足を踏み入れることは何かの規律を破っているような気がする。
早足に歩いていると、私以外の“生きている者”に出くわした。
犬だ。
茶色の毛並みの犬が墓石の上に座り、じっと私を見ていた。
場所を問わず、野良犬に出くわすと緊張する。襲われる危険もあるからだ。
犬は襲いかかってくる気配もなく、その場を動こうともしない。まるで墓を守っているかのようだった。
その視線に咎められたような気がして、私は来た道を引き返すことにした。去り際に、犬に向かってなんとなく頭を下げた。
死者の町を後にした後も、私はしばらく不思議な感覚を引きずっていた。
まるでどこか別世界に迷い込んできたかのような気分だ。
死者が暮らす町。
もしも夜にここを訪れたなら、太陽が出ている間は墓の下で眠っている人たちが起きて普通に生活している様子を見ることができるかもしれない。
最も、そんなことをしたら私は二度と“こちら側”に戻ってくることはできないだろうが。
追記
宿に戻ってから調べたところによると、どうやら死者の町は中世のマムルーク朝時代(13~16世紀)に整備された墓地群らしい。
そして完全に人が住んでいないというわけではなく、墓守やその末裔の人たちがそこで暮らしているそうな。
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