第1章「エジプト編」

(1)旅の風

 飛行機が目的地の近くまで来たことを知らせるアナウンスが機内に流れ、私はうたた寝から目を覚ました。

 機体の高度が下がっていくせいなのか、徐々に機内の温度が上昇して汗がじわりと滲んでくる。


 太陽から遠ざかっているのに暑くなるなんて不思議だよなあ、と半分寝ぼけた頭で思いながら、私は羽織っていたフリースを脱いで小さく畳んだ。

 窓の外に目をやると、黄土色の街並みが広がっている。一目で“異国”と分かる風景だ。


 エジプトの首都カイロ。

 今回の旅はここから始まる。


 私はエジプトをスタート地点にトルコ、ギリシャ、イタリア、フランス、スペインと進んでいき、ポルトガルのロカ岬を目指す旅を計画していた。ちょうどすごろくのコマを進めるように、一つずつ隣の国に移動してゴールに近づいていくのだ。


 なぜ最初の地がエジプトなのか。

 そしてなぜ目的地がポルトガルなのか。


 うまく言葉にできるはっきりした理由はない。だが強いて言うなら、新型コロナウイルスの影響があるかもしれない。

 長く猛威を振るってきたコロナウイルスも、ようやく勢いに陰りが見え始めてきた。蔓延防止のため外国人の受け入れを規制していた国々も、次々と緩和の方向へと向かっている。


 そんな中で、いち早く入国制限の解除に動いたのはヨーロッパだった。そしてエジプトやトルコといった欧州に近い国々も6月に続々と規制解除を発表する。

 ちょっとずつ隣の国に移動していく“線を繋ぐ旅”をするためには、この辺りの国を回るのが最適だったからと言うのはルート決めの要因になったと言えなくもないだろう。


 ただ、本音を言うならどこの国でもいい。

 また旅に出られるようになったというだけで、私の心は弾んでいた。



      *  *  *



 エジプト入国はあっけないほど簡単だった。

 PCR検査も必要なく、せっかく用意したワクチン接種証明書を提出する機会もなかった。事前にニュースを読んで知ってはいたが、一切の規制がないのはこういうことかと改めて実感する。


 唯一手間取ったのは、ビザの取得だ。

 これは別に私がエジプト政府にとって都合の悪い人間だったからとか、そういうわけでない。

 空港内では25ドルでビザを取得することができるのだが、ドル払いでしか受け付けてくれない。ユーロしか持ってきていなかった私は、先に両替をしなくてはならなかったのだ。


 ビザ発給の受付の職員はいかにもやる気がないような態度だったのだが、両替を担当してくれた眼鏡の男性は気さくな人だった。私が日本人だと知ると「『北斗の拳』のケンシロウが大好きなんだよ」と喜んでくれた。

 そのおかげというわけではないだろうが、渡した100ユーロのうちビザに必要な分だけをドルにして、残りをエジプトポンドに替えるという少々面倒なことも笑顔でやってくれた。


 預け入れをしていたバックパックを回収すると、空港のラウンジに出る。まだ観光客は戻ってきていないのか、それとも真夏にエジプトを旅する発想の人が少ないのか、国際線ターミナルの人影はまばらだった。

 インフォメーションセンターがあったので受付の女性にカイロ市内までの行き方を尋ねる。ところが返ってきたのは「タクシーで行け」というそっけない答えだった。


「バスや鉄道の駅は近くにありませんか?」


 私は食い下がって尋ねてみたが「タクシーで行け」の一点張りだ。私は首を振ってその場を離れた。


 空港から外に出ると、熱射が容赦なく降り注いでくる。時刻は午後1時。1日の中で最も暑くなってくる時間だ。

 ジメジメとした熱気が体にまとわりついてくる日本の暑さと違って、エジプトは熱が上から直接落ちてくるようだった。


「タクシー?」


 空港の出口のすぐそばで待ち構えていた客引きが早速話しかけてくる。


「いくら?」

「どこに行きたい?」

「タハリール広場」


 タハリール広場はカイロ市内の中心地だ。周辺には安宿が多くあると聞いていたのでまずはそこを目指すつもりだった。


「400ポンド」


 客引きが提示してきた値段に、私は苦笑いした。

 1ポンドは日本円で約7円なので、2800円ということになる。タクシーに乗ってその額なら日本では大したことはないのだが、基本的に物価が安いエジプトではその料金は高すぎる。

 それに、空港のすぐ外で待ち構えているタクシーは、相場がわからない観光客の足元を見てふっかけてくることがほとんどだ。私は別の客引きに料金を聞いて回った。

 一番安い料金で250ポンドと言う人はいたが、300ポンドが相場のようだった。


 300ポンド。

 2100円。


 さっさとタクシーに乗って目的地に行ってしまった方が時間を節約できるというのはわかっているのだが、自分の貧乏性がそれを許さなかった。


 そもそも、空港にバスが来ないなんてことがあるのだろうか?


 一計を案じた私は国際線ターミナルを離れ、歩いて国内線ターミナルへ向かった。現地の人ならばもっと安い値段で移動しているに違いないと踏んだからだ。

 売店の青年や警備中の兵士に話を聞くと、どうやら空港付近にはバスターミナルがあり、そこで市内行きのバスに乗れるとのことだった。


 空港内を走るシャトルバスに乗ると、バスターミナルに到着した。運転手らしき人に片っ端から「タハリール?」と尋ねて回ると、「うちに乗れよ」とバスを指差す男性に会った。

 ホッとしたのも束の間、彼が指したバスはいかにもオンボロな見た目をしていて一気に不安になった。しかも値段を聞くと「5.5ポンド」と言うではないか。


 5.5ポンド。

 40円である。


 料金が高いと警戒するのだが、逆に低すぎてもつい警戒してしまう。何しろタクシーの値段の60分の1である。そんなことがあるのだろうか?

 私がバスに乗ることを躊躇していると、乗客の青年2人組が「大丈夫」というように手招きしてくる。私は思い切ってバスに乗り込み、青年2人組の前の座席に座った。


(まぁ、何かあったらその時はその時だ)


 私は腹を括った。旅の一歩目から尻込みしたくないという思いもあった。

 バスは乗客がある程度集まってから走り出した。走行中も道で手を挙げる通行人を見つけては拾っていく。決まった時間に運行するのではなく、ルートを周回しながら客を乗せて運ぶ“乗り合いバス”らしい。


 車掌らしき男性が集金に来たので、空港で替えてもらったばかりの10ポンド札を渡した。お釣りは返ってこないだろうと予想していたのだが、きちんと1ポンド硬貨4枚と半ポンド硬貨1枚を渡され驚いた。


 私が驚いたのには理由がある。

 エジプトを訪問するにあたって少しは下調べをしていたのだが、「細かいお釣りは渡されない」「料金を誤魔化される」などの情報があちこちに載っていた。いわゆる『世界三大ウザい国』の一つに数えられていることもあり、ある程度のタチの悪さは覚悟していたのだ。


 私が手の中の硬貨をまじまじと見つめていると、後ろに座っていた青年2人組の内の1人がひょいと硬貨を取り上げた。

 一瞬、金を奪われたのかと体に緊張が走る。青年は硬貨の後ろの絵を指で指すと「モスク」「ネフェルティティ」と単語を発した。どうやら、硬貨になんの絵が描かれているかを説明してくれているらしい。


 青年2人組は、「グッバイ、フレンド」と言って手を振り市場のような場所で降りて行った。

 そこから10分ほどして、車掌が私を手招きして呼んだ。


「ここがタハリールだ」


 私は降りた場所で立ち尽くしながら、オンボロバスが去っていく後ろ姿を見送った。

 色んな“最悪の事態”を想定していながら、結局何も起きなかった。それどころかただ好意を受け取っただけだった。ハリネズミが針を立てるようにガチガチに警戒していた自分が、なんだか恥ずかしく思える。


 そう思ってから、いや、と考え直した。

 初めて来た国で警戒するのは悪いことではない。ちょっとずつでいい。ちょっとずつ、この国の歩き方を身につけていけばいいのだ。

 私は心の中で運転手と車掌と青年2人組に感謝した。確か、アラビア語の「ありがとう」は「ショコラン」だ。


 バスを降りた場所から少し歩いた所にタハリール広場はあった。

 ここはカイロ市内の中心地であると同時に、『アラブの春』と呼ばれたエジプト革命の象徴的な場所でもある。

 その時私は高校生だったが、改革を求める民衆で広場が埋め尽くされていた映像は印象に残っている。


 広場は特に大きなモニュメントがあるわけでもなく、人通りも閑散としていた。中心地と言うので賑やかな公園を想像としていたので、少々当てが外れる。

 ぶらぶら散策をしていると、絵描きを名乗る老人に話しかけられた。周辺の安宿をいくつか教えてもらった後に「ピラミッドの近くに私の知り合いのホテルがある。そこまで連れていこう」と誘われたが、お断りした。老人は食い下がるわけでもなく「そうか」と頷いて、あっさり別れた。


 絵描きの老人の教えられたホテルは建物の8階にあった。部屋にエアコンはなく、扇風機が1台だけ。風呂トイレも共用だ。


 値段は1泊200ポンド。

 1400円。


 本当はいくつか宿を巡って相場を知ってから決めたかったのだが、バックパックを背負って炎天下の中を歩き回るのは避けたい。そのホテルに滞在することに決め、料金を前払いで支払った。



      *  *  *



 荷物を置いて少し休憩をすると、午後5時過ぎになった。日本とは7時間の時差があるので、向こうでは日付が変わった頃だろうか。

 あまり遠くへは出歩けないが、近所を散策するぐらいの余裕はある。私はGoogleマップを見て、すぐ近くを流れているナイル川へ向かった。


 世界史を専攻していたかどうかに関わらず、ナイル川流域で世界で初めての文明が興ったことを知っている人は少なくないだろう。

 古代エジプト文明が始まったのは、紀元前3000年とされている。ならば、この川は5000年も前から人類の営みを見続けてきたということになるだろう。途方もないスケールの話だなと考えながら、川沿いを歩いていた。


 夕暮れに差し掛かり、太陽が川の向こうに沈もうとしている。暴力的に感じられたほど厳しかった暑さが消え、過ごしやすい穏やかな気候になった。

 この時間からエジプト人の余暇が始まるのか、道には続々と人通りが増えていく。私はなんとなくその流れに乗って、同じ方向へ歩いていった。


 見えてきたのは、対岸へと続く橋だった。橋の入り口には両端に2頭のライオン像が狛犬のように並び、通行人や車を出迎えている。

 私は橋の真ん中あたりまで歩くと、欄干に体を預けてナイル川の流れをぼんやり眺めた。橋の上は川を駆け抜けてきた風が吹いて心地いい。


 一際強い風が吹いた時、私の中で何かが「始まった」という感覚があった。

 エジプトに到着してからずっと忙しない時間が続いていたが、一息ついたことでようやく自分が旅に出たことを実感できたらしい。


 『旅の風』


 ふと、そんな言葉が頭の中に浮かんだ。自分は今、旅の風の中にいるのだと。

 始まりの国がエジプトでよかった。

 私は風を感じながら、夕暮れの光を受けて輝くナイル川をいつまでも見つめていた。

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