第58話 ループスの葛藤
「ここまで来れば大丈夫か」
「そのようだな」
野次馬の追跡を振り払い、人気のない場所にてハルトとループスは改めて向かい合った。二人は互いにいろいろと聞きたいことがあった。
「まず俺から話を聞かせてくれ。いいよな?」
「……いいだろう」
「なんでそんな恰好してんの」
ハルトは直球にループスに尋ねた。彼女が少女の姿になっているのか、思い当たる節が何もなかった。
「お前のせいだ」
「は?どういうことだ」
「お前が俺の前に立ち続けたから俺はこんなことになったんだよ!」
ループスは切実に語るものの、ハルトからすれば言いがかりもいいところであった。なぜ自分のせいでループスがこうなるのかまるでわからなかった。
「俺はあの学園で一番の能力を持って、主席で卒業して、一流の魔法使いとしてこれからの人生を歩むはずだったんだ」
「俺を追い出して一番になったんじゃなかったのかよ」
「ああ一番になったさ。『繰り上がり』の肩書付きでな!」
ハルトがいなくなった後ループスは学園の一位になったものの、そこには常に『一位に勝てなかった元二位』という肩書が付きまとった。自らの手で排除したはずのハルトの存在がずっと自分にとっての重圧になっていた。
「えぇ……それって自業自得じゃん」
そんなループスの語りはハルトの視点からすればまさに自業自得であった。それに自分がいないところで起きていたことなど彼女にとっては知ったことではない。
「お前さえいなければ……お前が庶民でさえなければ!」
ループスがハルトの存在をコンプレックスに感じていた最大の理由。それはハルトが庶民階級出身ということであった。由緒ある血筋の上流階級の出身でありながらぽっと出の庶民階級出身に能力で劣っているという現実を目の前で突き付けられることはこの上ない苦痛であり、あってはならないことであった。
「庶民のお前を超えるためであれば俺はどんな努力も惜しまなかった。でも俺の目の前にはいつもお前の背中があった」
ハルトはループスのこれまで見たことのなかった一面を知ることとなった。彼は決して嫌がらせだけでハルトを蹴落とそうとしていたのではない。自分自身を向上させることで真っ向から勝ちに行こうとしていたのだ。
思い返せばハルトはループスに成績で負けたことはなかったがその差が開くようなことはなかった。常にあと一歩のところまで追いすがってきていたのだ。
「俺は主席で卒業したんだ。なのに……なのに……俺は庶民に勝てない上流階級と言われて家では笑われ者だッ!」
「ははぁ、それでそんな姿に」
ハルトはここで大方の事情を察した。ループスは庶民階級である自分に実力で勝つことができなかったことを家族に責められた結果こうなってしまった。きっとループスを狼の少女に変えたのは両親だろうというところまで推測できた。
「庶民に勝てないってそんなに恥ずかしいことなのか?」
ハルトの無神経な質問はループスの情緒をひどく逆撫でした。そもそもの話、庶民であるハルトと上流階級であるループスとでは価値観が致命的にズレてしまっていた。
「当たり前だ!俺たちは庶民の上に立つべき存在!それが同じ地位に立つことはおろか、庶民に劣ることなどあってはならない!」
ループスは感情の昂りに身を任せて力任せにハルトの胸ぐらをつかむと建物の壁へ叩きつけるように押し込んだ。純粋な腕力の強さと体格の差もあり、ループスに掴まれたハルトの身体は彼女の尻尾の先端が浮き上がるほどの高さに宙づりになった。
「だから俺に勝って両親に自分の実力を認めさせたいと」
「決まっているだろう……でなければ俺は」
「俺はどうなる?」
宙づりになったままハルトはループスとの対話を続けた。もう少しでループスが心の中に抱えた鬱屈した感情の正体がわかるような気がしたのだ。
「……家に戻れない」
「それだけ?」
「お前にはわからんだろう。上流階級にとって家名を失うことがどれほどのことなのかを」
ループスのいう通り、ハルトには上流階級の人間が家名を失うことがどういうことなのかはわからなかった。上流階級にとって家名は己の威信に直結するもの。それを失うということはすなわち庶民以下に成り下がることに他ならなかった。
「あのさ。今度は俺から一つ言わせてもらってもいいか」
「……なんだ」
「そこまでしてでもお前は自分のことをあっさり捨てた家族のところに本当に戻りたいのか?」
ハルトは純粋な疑問をループスにぶつけた。話を聞く限りではループスは親に捨てられたように思えた。それでもループスが自分を捨てた親のところに戻ろうとする理由がわからない。
ループスはハルトの疑問に対して答えることができず言葉を詰まらせた。
「お、俺は……」
「子供を簡単に捨てるような親のところに戻ってもさ、次はもっと重い期待を背負わされるんだろ?それって辛くないか?それって楽しいか?」
ハルトからの質問攻めに対してループスは視線を泳がせた。彼女が動揺しているのは明らかであった。しかしハルトの疑問はまだ解決していない。
「俺は……俺は……それでも……」
「戻りたいのか?」
ループスには迷いが生じていた。家に戻ることが本当に自分にとっての理想なのか、ハルトの言葉によって懐疑的になっていた。そんな様子を感じ取ったハルトはさらに言葉をつづけた。
「本当はもっと好きにやりたいんだろ?だって学園にいたころのお前はあんなに生き生きしてたじゃん」
ハルトはループスの核心への接触を試みた。学園にいたころのループスは典型的な上流階級の人間ではあったものの、今よりも開放的に振舞っていたような気がした。きっとあの姿こそが本当の姿で、ここまで自分に執着心を見せるのはすべて家族が絡んでいたからに他ならない。
「違う」
「本当はもっと自由になりたい。でも家の名前がない自分に何が残るかわからないのが不安なんだろ」
ハルトの指摘は図星であった。ループスは自身の理想と家庭内のしがらみの間で板挟みになっていたのだ。感情のやり場に行き詰ってしまったループスは言葉の代わりに涙を吐き出すように目尻から流した。
「俺は……どうしたらいいんだ……」
ループスは嗚咽を漏らしながらハルトに尋ね返した。本当は自分の好きなように生きていきたい。しかし家の名がなければなにもできない彼女にはどうすればいいのかわからなかった。
「どうするかなんてこれから決めればいいだろう。志がなければ生きちゃいけないなんて決まりはどこにもないし」
ハルトはループスの問いへの答えを提示してみせた。彼女自身、具体的な志を持って生きているわけではない。今の姿になってからはなおさらであった。
「俺の……やりたいこと……」
ループスは手の力を緩めてハルトを開放するとそのまま力なく膝から崩れ落ちた。ハルトは首元を手で払うと放心状態となったループスの隣に寄り添うように片膝をつき、宥めるようにその肩に手を置いた。
ハルトは基本的に上流階級の人間が嫌いである。ループスのことも例外ではない。しかし今のループスが置かれた境遇にはそれを差し引いても同情せざるを得ないものがあった。彼女は今の仕打ちによって自分以上に多くのものを失っていた。
「今日は休もう。後のことはこれからゆっくり考えればいいんだからさ」
ハルトはループスに手を差し伸べた。元の姿を失って獣に耳と尻尾が付いた少女にされたもの同士、どこかシンパシーを感じていた。
それが一人の少女の運命が変わった瞬間となったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます