第5話 寝癖と毛繕いと金策

 ループスへの完全勝利を納めたハルトが次に目を覚ましたのは翌朝の七時であった。今日は元々授業がない日である。しかし数年に渡る寮生活の中で身体がその時間に起きるように染みついていた。

 

 「ふわぁ……」


 ハルトは寝ぼけ眼を擦りながら鏡を覗き見た。元々少年だったころから寝癖が付きやすい髪質をしていた彼女は朝起きると鏡を見て寝癖を確かめるのが日課であった。

 案の定、寝癖で髪がところどころ跳ねていた。いつものように寝癖を直すべくブラシを取り出した。

 

 「ん?」


 ハルトはあることに気がついた。寝癖が耳と尻尾にも付いていたのだ。毛の一部がところどころ見事に外側に跳ねている。今はもう女の子の身体である、身だしなみぐらいはしっかりしておきたい。

 そう考えたハルトは手始めに自らの耳にブラシを当てた。


 「ふおぉ……」


 耳にブラシが触れた瞬間、ハルトはなんとも形容しがたい高揚感を覚えた。理屈はさっぱりわからないがなぜだか無性に気持ちがよかった。耳がこんなに気持ちよいということは尻尾も……ハルトは自分の身体への好奇心から自分の尻尾にブラシを当てた。


 「ふにゃっ!?」


 根元から先端に向かって尻尾をブラシでなぞると、くすぐったさと快感の入り混じったゾクゾクとした感覚がハルトの背筋を伝った。

 彼女の背筋は思わず伸びあがり、耳と尻尾もそれにつられて真上に跳ねた。


 「!?!?!?!?」

 

 ハルトは自分の喉から出た声に驚愕した。女の子の身体になったとはいえ、まさか自分がこんなにかわいらしい声を出せるとは思いもよらなかった。

 たった一度なぞっただけでこれである。しかしブラッシングはまだ始まったばかり、完全に毛並みを整えるにはまだまだ足りなかった。我ながらなんという身体を持ったのだとハルトは戦慄せずにはいられなかった。


 「はにゃああああああ……!」


 ハルトは反射的に真上に伸び上がろうとする尻尾を左手で掴み、自分の正面まで引っ張って右手でブラシをかけ続けた。ブラシが尻尾をなぞる度に経験したことがないほどの快感を覚え、全身が脱力してビクビクと全身が痙攣し、思考が蕩けてどうにかなってしまいそうであった。


 「フーッ……フーッ……!」


 ブラッシングを終えたころにはハルトはすでにクタクタになっていた。今回の体験によって自分の耳と尻尾が非常に敏感であるという弱点が新たに露呈した。これからこれを毎朝やらなければいけないのかと考えると早くも先が思いやられた。 

 これだけは絶対に自分一人でやろう。こんな姿を見られたらもう合わせられる顔はない。ハルトは一人そう誓うのであった。


 朝の身支度を終えたところでハルトはこれからやるべきことについて考えた。まず着られる服のレパートリーがあまりにも少なかった。ちゃんと着られるのは昨日仕立ててもらった女子用の制服のみである。おまけに男性用の下着も今の身体ではサイズが合わない。これからこの身体で生活していく以上、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。早急な対応が必要であった。

 

 「……買えねえな」


 ハルトの懐事情はひもじかった。そもそも彼女は庶民階級からの特待生という異例の待遇で学校に入学できている。学費諸々は全額免除されてはいるものの、両親からの小遣いの仕送りは微々たるものであり、しかもそのほとんどは趣味の機械いじりに費やされていた。最後にもらった小遣いもすでにほとんどが消えていた。


 「!」


 ピコンと耳を立て、ハルトはある金策を思いついた。

 そしてそれを実行すべく、軽やかな足取りで自室を出ていった。

 

 「ようループス。ちょっと話を聞いてくれよ」


 ハルトはループスの部屋の扉を開くや否やそこにいたループスに声をかけた。

 己の尊厳を跡形もなく破壊した張本人が突然の来訪し、ループスは恐怖で背筋が震えあがった。


 「な、なんだよいきなり……」

 「この身体に合う服を買いに行きたいんだけどさ。小遣いくれよ」


 ハルトの金策、それはループスに小遣いをせびることであった。

 庶民階級のハルトと比べれば上流階級出身のループスは格段に懐が肥えている。これまでの仕返しと言わんばかりにハルトはかなりあくどい立ち回りでループスに迫った。


 「それぐらい自分でなんとかしろよ」

 「庶民の俺にそんな金があると思うか?ないからこうやってお前に頼んでんだろ」


 ループスは精一杯の抵抗を試みるものの、一瞬でハルトに蹴散らされてしまった。

 自分が上流階級でさえなければ。ループスはこれほどまでに己の身分を恨んだことはなかった。


 「さあ行くぞ。お前は俺の財布係兼荷物持ちだ」

 「待ってくれよ。俺はこの後ツレと一緒に遊びに行く予定が……」

 「知るか。下僕に拒否権があると思うなよ」


 ハルトはループスの手を引き、少女とは思えぬ力で引っ張って強引に外へと連れだした。

 この時すでに彼女は傍若無人な振る舞いをすることがすっかり楽しくなっていた。


 そしてこの瞬間、ハルトの少女としての人格が完成したのであった。

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