ノーボール・オン・ブルーム
帆多 丁
ノーボール・アフター・ガールズ
26歳。飛ぶためにタマを取った。
睾丸が魔力の利用を阻害するからだ。
35歳。ブルームアウトのスタートに立った。
地上300メートルに浮かぶ巨大なフラットドローンの上。足元の電磁床に浮かぶマークは15番。マークの向こうに透けて見える都会の夜と、ひときわ明るくライトアップされた王立競馬場と、俺たちの落下を待つ観客。
「まさかタマナシになるほどお姉ちゃん大好きっ子だったとはね」
10番。ベテラン。エッジー・リリーが振り向いた。細身に黒いボディースーツ。オレンジに光るサイドストライプ。同系色のヘルメット。背中に協賛企業の名が目立つ。
「俺のタマを落としたの、あんたのスポンサーんとこのカミソリだよ。世話になった」
「へー。どうよ、スッパリいけた?」
「目の前であっけなく」
「うわ、なにあんた見てたん?」
「局部麻酔でさ」
「ちょっとやめてくれない出走前に」
隣、14番のピンク色、リルリル・ブレッタから文句が入った。同時にブザーがデッキに響く。
「なんで男がブルームアウトに来んのよ」という
なんでかと言えば、参加条件に性別の制限が無く、箒で飛ぶための制限となっていた睾丸が俺にはもう無く、俺が9年かけて予選を突破したからだ。
誰もが背を伸ばし、体を安定させる。首と視線で、足元の電磁床より遥かに下、おもちゃみたいな競馬場を見つめる。
床にカウンターが浮かび、ブザーと同期した。
アナウンス。
レディ!
フォー!
ブルーーーームアーーーーウト!
呼吸をする。古来より女だけが利用できるとされてきたエネルギー「魔力」を取り込む。俺のスーツもオリーブグリーンにラインが光る。
スリー、トゥ、ワン
スウィーーーープ!!
電磁床が消失。
自由落下。色とりどりの光の尾。
選手たちは一斉に、地上で待つ箒へ命じる。
「来い!!」
あの日の俺は真下の競馬場から見ていた。20本の
今の俺はその箒を迎える。300メートルの落下は8秒足らずで地面。箒が上がってくるまでおよそ2秒。
アラミドファイバの
競馬場の芝が迫る。接地すれば失格だ。
歓声が上がる。減速を終えた選手が第一チェッカーリングへ次々と飛び始めた。
歯を食いしばり、へその下10センチに魔力を回してブーストする。
バルルルとむずかるように振動する
最初のリングは競馬でいう所の第一コーナー、緑の光、高度3メートル。跳ねようとするノーズを押し下げ、コースを守る。
エッジー・リリーが第一リングを通過し、鋭角のターンで第四コーナー上のチェッカーへ向かうのが見えた。
俺も第一リングを通過。箒が無事に反応して「
体重が重ければスタートは不利。承知の上だ。焦るな。
第二リングを通過した選手たちが、第三リングを目指す。競馬場のスタンド前、ホームストレートを駆け上がり、上空15メートルへ。
20名の箒乗りが一斉に観客の目の前を飛び去っていく見せ場だ。その列に遅れじと食らいつく。
下位集団への歓声はまばらだ。それでも、俺にも、いくばくかの声援があり、俺は競馬場を飛び越えて運河に出た。
運河には空港と都心をつなぐ古いモノレールが並走する。
少し前をいく車両は、ブルームアウト開催にあわせ、魔女の子マスコットでラッピングされていた。その車両をぐんぐんと追い抜く。俺を指さす子どもがいる。潮の匂いと泥の匂いの混ざる水の上の、広く長い直線。膝を伸ばして鐙に踏ん張る。体を
歯の隙間から酸素と魔力を取り込んで、加速。加速。加速。俺の武器はトップスピードとスタミナだ。魔力が魔法として箒に作用し、代償としてカロリー消費が発生する。心肺機能に負荷を感じる。
なおも加速、加速、加速。それぐらいしなければ追いつけない。
上等だよ。
第四リングは直線の終わりにある橋の下。第三と第四のリングをつなぐ緩やかな下り直線を取り合う、10位から17位までの下位集団。それぞれのスーツのストライプが光を引き、そのラインは集団の駆け引きを反映して入れ替わる。
集団の先頭にピンクの光、リルリル・ブレッタ。小刻みに揺れる軌道を取って、後ろをけん制している。
その姿を見て、俺は集団の後ろに着かないことにした。
自転車でも箒でも、飛べば空気抵抗がかかる。誰かの後ろにつけば空気の抵抗は少なく、スタミナを温存して後半に勝負をかけられる。
が、ブルームアウトでは真後ろに限って「攻撃」が許される。
そして、それを好んで行うのがリルリル・ブレッタだ。
BOOM!
マジックブーム。トータストラップ。バナナスキン。ファートアタック。
名前は様々、効果は同じ。真後ろに発生した衝撃波で集団が乱れる。12番はまともに喰らってスピンし、8番を巻き込んで視界の外へ消えていった。
例え道路に落ちてもスーツが電磁ネットに引っ掛かるから死にはしないが(そして、一般社会にも迷惑はかけないが)失格になる。落ちなくても大幅なタイムロスだ。
リルリルはファートアタックによる失速を即座にリカバリーして、すかさず俺の背後についてきた。攻撃に使ったスタミナを回復するつもりなのだろう。抜かりがない。俺の弱点が加速能力で、めったにファートをこかないのも見越していたのだろう。
集団の先頭、10位で第四チェッカーリングを通過。すぐ後ろにリルリル。このさき右90度。正面に運河の岸壁が目に入る。
ワン、ツー、ドリフト!
夜の運河に光が滑るから、ドリフトを見るのは好きだった。
4歳上の姉が飛ぶのをうらやましく見ていた。若干17歳でデビューした驚異の新人、フラッシュボルト・フリーダ。20歳でブルームアウトに出場し、常連となり、28歳で引退を余儀なくされた。
箒の不具合だった。
表彰台のてっぺんに登ろうとしてよろよろと倒れ、両脇の選手に抱えられた姉の姿を、俺は配信映像で見た。
その翌年、俺はタマを取った。
タマとってまで箒やるのかよ、と笑われた。
親に孫の顔を見せないとは、となじられた。
未来をドブに捨てるようなものだ、と諭された。
女の世界にずけずけと踏み込んだ男。男をやめて女の中に飛び込んでった男。ジェンダーがどれなのか。恋愛対象は
俺の全部が、股間のタマふたつに代表されてたまるか。
第五チェッカーリング通過。
海に出る。
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