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「待って!!ねえ待ってよ!!」


 幼い子供が泣きながらまっすぐに必死に走っている。その先には二人の男女の大人と間に泣いている子供よりも幼い子供がいた。両手に父と母の手をそれぞれ握ったもう一人の幼い子供は笑顔でその手を引かれ、大人の男女もまた笑顔であった。その後ろにいる泣いている子をどこ吹く風のように扱いながら。


「いかないでよ!!ねえ!!」


 ある男の幼き日の記録。そしてこの日の出来事は男の中に強く残った。






 ある日の深夜、雨が降り注ぐとある山中。その崖近くにある駐車場で彼は崖の底を見下ろしていた。彼はそこに先程、ある『モノ』を放り投げた。辺りには人はおらず、暗闇の中にポツリポツリと街灯が灯って辛うじて辺りが見えるほどの暗闇だった。


「……嫉妬は醜い、か」


 崖底に落ちた『モノ』を見ようとするが、崖の下は暗闇が広がりそれは見ることは叶わない。だけど落ちた時に発した鈍い音で計画の一部が達成されたと落とした者は確信していた。


 ふと痛みが走る。彼は自分の左腕に出来たアザを右手で抑えていた。落とした『モノ』に付けられたアザだった。痛みがまだ残っており、それを噛み締めるかのように右手で抑え込んでいたのである。


「奪われた側の出来ることは結局、奪い返すだけなんだよ……。それも何倍にもしてな」


 低く呟きつつ、右の掌から濃い紫の炎が溢れ出す。それは男の左腕に出来た殴打によるアザを覆い、アザを燃やし続けていた。やがて炎は消え、燃えていた個所から何事もなかったかのように、アザ周りと同じような色の肌が何事もなかったかのように現れ出る。体に雨は当たることはなく体が冷えることもなかった。


「お前の奪った分、奪わせてもらうぞ」


 彼はたった今、自分の弟を殺した。殺人への罪悪感、犯したときのリスクはこの殺人を実行するずっと前に消えた。代わりに彼やその周りにいる敵を打たんとする意識が彼の内的宇宙で生まれては叫んでいた。殺せ、殺せと。


 彼は一呼吸おいて周りに誰もいないことを確認すると、ポツリと呟きだす。


「イァーツォ、ルースア……」


 海のように蒼い炎が彼を包むこみ、ある程度燃えると彼はそこで背伸びをすると当たりを見渡す。


「……コーヒーでも買いに行くか」


 成し遂げた彼の顔はしたり顔で、その表情のまま彼はその場を後にした。周囲には人影もない車も彼が殺した相手が使っていた白いミニバン型の車しかなかった。この場所にはキャンプ客が紅葉を見に来ることがあると彼は調べがついていた。しかし、今の季節とこの天候では恐らく誰も来ないだろうと彼は予測している。


――普通ならできないであろうこの計画も、あの神様のお恵みもあって無事になせた。ありがとう。唯一俺に手を差し伸べてくれた神よ。


 彼はこんなに計画がさっくり進むとは思ってなかった。反撃も数発もらったがそれでもヤツの最期を思い出すと彼はニヤリと笑った。


 (確か少し歩いた先にある山の坂道の始まりに自販機が置いてあったはずだが……)


 歩きながら、この後の予定を思い返しつつ次について考えていたその時――


「調子はどうかしら?」


「うわぁっ!?」 


 突然隣に彼が放った濃い青色の炎が出てきたと思えばそこから黒いゴシックロリータの服に身を包んだ女性が現れる。


「突然出てくるのやめてくださいよ……。ほんとビビるから」


「フフフ。ごめんなさいね。それにしてもあなた達兄弟って聞いてたけど……。似てるわねやっぱ」


「え?ああ、もしかしてさっきの一部始終見て……ました?」


「見てたわ。決着はついた感じかしら?」


 疑問に対して彼は仰天の表情から笑顔に変えた。


「あら、いい笑顔ね」


「そういうことですよ。


 突如として目の前に現れた神。名はメト・メセキ。自らを嫉妬の神と名乗る者。


 山の坂道の入り口近くにある自販機のある休憩所にて。自販機の缶コーヒーを買ってそれを飲みつつ次の計画を考えていた。


「後はここから家に戻らないとな……」


「あの家に?確かここからだと結構遠いと思うわよ?」


「深夜ですから朝一にここの近くに高速バスが出るのでそれにこの力で乗っていきます。そこからは電車で帰れるはずですので」


 青い炎をふわりと出して神様にアピールする。この炎には自分の姿を消す力のようなものがある。それは自分だけでなく他人にも通じるのだと。


「それでアリバイを作ると?」


「ええ。正直何処からか自分が犯人であるという証拠が出てくるかわかりませんからね。念には念を入れ

ておかないと。コーヒー缶も念のためにここじゃない何処かに捨てておきたいですし」


「そのコーヒー缶も念入りに?」


「前に見た映画の影響ですよ。殺人現場の近くにその近くには売っていないコーヒー缶のゴミがあって、それにわずかについていた唾液の跡で犯人を絞り出すっていうのがあったんです。唾液とかかすかにあればそれで終わりですから」


「なるほど。もしそれが見つかったらどうやって帰ったかとかも問わずに君をブタ箱にぶち込めるわけか」


「そういう事になりますね」


 彼が不満を顔に描きながら歩いていく。そして自動販売機の前につく。はっとして彼は手に持っていた缶に力を込める。すると手から溢れるように出た炎が缶を覆った。


「こうすればいいじゃないか」


 覆った炎はじわじわと缶を焼きながら消していく。ほどなくして彼の手から缶は消え失せた。


「こりゃあいい。アリバイを作るのにも申し分なさそうだ」


 手から消えた缶を見て彼は満足げに笑った。


「今の気分は?」


「最高です。報復ができるってのがこんなにも素晴らしいとは。でも力を貰う前の自分に対しては死ね以外の感情がないですね」


「随分と自分に辛辣ね」


「俺自身、世界は冷たいものであるということを理解できてなかったんですよ。甘ちゃんでした。だから自分からもっと燃えていかないといけないと悟ったんです」


 彼は自嘲気味に神様に答える。彼はズボンのポケットから懐中時計を取り出して開ける。銀色に輝くハンターケースの中では時計盤の上で三本の針が時を刻んでいる。さらにその時計盤には人間が必然的に迎えるモノが彼の予想の範囲でだが刻まれていた。それを眺めながら彼は憂鬱気味にそのモノに思いを馳せる。


(そうだ。どこまでいっても人間と言うのは、世界と言うのは冷たいものであって――)


 雨は強くなりだして未だに止みそうになかった。その中で彼は一人高笑いをしてみせた。


――認めてもらいたかってんですよ。きっと。ただそれだけで。でもあいつらはそうしてくれなかった。それだけじゃない。あいつらは俺から全部を奪おうとした。だから決めたんです。貴方の手を取ってあいつらを痛めつけて殺してやるって


 自分の生き方にある根本的な思考と自分がこの道を選んだ理由。そのために選んだ語るにおぞましい方法。


そんな彼を見ていた一人の女性は彼について後にこう語っている。


―-彼が私の提案に乗った理由?そりゃあ嫉妬でしょ。嫉妬の原因?二つあるわ。一つ目に自分が成功出来なかったことをあっさり成し遂げられたという事。二つ目は……内緒ね。でも彼がどういう人物なのかを追っていけばわかると思うわ。この二つの理由で私の手を取ったと思っているわ


 これは醜い感情に悩まされた者の末路を綴った物語。

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