第72話 提案と相談
「ではこれでいきましょうか、今日の収録は以上ですね。お疲れ様でした」
「ありがとうございます、おつかれさまでした」
事務所スタジオのコントロールルーム、そこのソファーに座り先ほどまで録っていたボイスのチェックが終わりようやく一息つく。この仕事にも随分慣れたもので、録ってる時にこれはいけそうだ。だとか、これは録り直しかなぁ。といった感じもつかめるようになってきた。
むしろ最近は自分から録り直しをお願いすることも多くなってきて、その分収録時間が押してしまう事も度々あったりして申し訳なく思う事もあるのだが……。それでもこちらの意を汲んで時間の許す限り収録に付き合ってくれるスタッフたちには感謝しかない。
以前、迷惑をかけていないかと雑談の折に聞いてみたこともあったのだが「
曰く、スタッフも気付かなかった意図しないかすかなブレスが入っていたことを指摘されただとか。波長を見なければ気付かないようなマイクの不調を言い当てただとか。収録方法と機材について技術スタッフと収録そっちのけで熱論を交わし収録自体は後日になっただとか。
ともすれば愚痴とも取られかれない内容もあるようだがそれを語るスタッフの表情は楽し気で嫌みのようなニュアンスは全くない。どちらかといえば、演者とスタッフという間柄というよりも仕事仲間として互いの仕事を認め合うような雰囲気だ。
もともとクリエイター気質であるまお様からして、そのように評されていると知れば彼女はとても喜ぶだろう。
「そういえば今日はまお様も収録でしたよね?」
「はい、黒惟さんの方は収録が終わってすぐに次の現場に行かれたようですよ」
「そうですか、ではわたくしも失礼いたします」
もしかしたら、同じ日に収録だし顔を見ることができるかもしれないと思っていたがどうにもそれは叶わないようだ。最後に顔を合わせたのは前回のラジオクローネ配信で言葉を交わしたのは壺配信での突発コラボ。
この後に控える大事な発表の準備に加え、
◇
『ラジオ聞いて初めて来ました?さっそく配信に来てくれて嬉しいよありがとう……』
事務所での用事も終え帰宅してからは、まお様の配信アーカイブを聞きながら自分の配信の準備をする。ほんとうはしっかりと配信を見たいし、なんならリアルタイムで配信は見たいのだが……。
まお様の忙しさにつられるように日々やらなくてはいけないことが増えてきたので、このようにアーカイブを聞きながら作業をしないとどうしても色々と間に合わなくなってしまう。
『初配信振り返りの切り抜きから来た?そういえば最近また初配信と振り返りがよく見られているようだな……、見てくれるのは嬉しいんだが……お前たちやたらこの二つを布教していないか?SNSでたびたび新しいリスナーさんにオススメしているのは知っているんだからな』
ラジオを受けてオファーが増えたこともそうだが、天使沙夜との共演が話題にあがりそれと共に切り抜き動画もかなり増えたようで配信サイトを開けばたくさんの新しく作られた切り抜き動画がオススメとして表示されている。
今までVtuberファンの中で再生されていたそれらが、未だその文化を知らなかった天使沙夜サイドのファンにまで広まりいくつのかの動画を見れば配信サイトは次々に関連動画をオススメし、それらを見れば更に……といった具合だ。
そんな好循環とわたくしの配信に多く集ってきてくれている海外リスナーの増加もあり、二人の登録者数も再生数も日に日に伸びがよくなっている。
本来ならそれらはもろ手をあげて喜ぶべきことであるし、実際嬉しくもある。しかも、いままでまお様と同期ということで登録してもらえたり配信を見に来て貰っている面が大きいと自覚していたので海外リスナーという新たなファン層を獲得できた上にまお様へもいい影響を与える事が出来ているということは望外の喜びだ。
しかし、人気になり忙しくなるという事は嬉しくもあるが喜んでばかりもいられない。それだけ大勢の人たちに見られているということは色々と責任を持たなければならないし、時にはその期待がプレッシャーとなって襲い掛かってくる。
今まであれば、何かと気をかけてくれているまお様に相談していたのであろうが彼女の忙しさを見れば頼るのも申し訳ない。それに、あまり情けない姿は見せたくはないという思いもある。経緯や実際のところはともかく、リーゼ・クラウゼは黒惟まおの同期、いつまでも甘えてばかりはいられない。
夜の配信準備を終え配信枠の設定も完了、約束の時間までに無事終わらせることが出来てほっとする。空になっていたマグカップを持ってキッチンに向かい新しくインスタントコーヒーを淹れ、戻ってくればちょうどいい時間。表示していたメッセージソフトへと視線を向ければ目当ての相手はオンライン表記、ついオフライン表示の黒惟まおという名前を見てしまうが緩く首を振ってチャットを入力する。
リーゼ:こちらはいつでも
簡単な文章を打ち終わり送信した瞬間、相手側から通話が飛んでくる。おそらく画面前で待機していて入力中の表記を見た時には準備できていたのだろう。相変わらずの勢いの良さにくすりと笑いながら通話に出る。気持ち相手の声を小さくしておくことは忘れない。
「もしもし!!リーゼ!?」
「はい、おつかれさまですサクラ子さん」
通話の相手である
「今日はありがとうございます、わたくしの都合に合わせてもらって」
「チャットではなくこうやってお話したいと言ったのはワタクシですもの!リーゼが気にする必要はありませんわ!」
貴重なVtuberの友人であり、先輩でもあるサクラ子さん。一番最初のコラボ相手であり二度のコラボを経てまお様に次いで何でも話せる貴重な友人だ。
「早速、次回のコラボ日程ですが……あげて頂いた日はこちらの調整がつかなそうで」
「それは残念ですわね……そうなるとワタクシの方もまた少し忙しくなってしまいますし」
収録だったり、案件絡みの打ち合わせや配信が増えてくるのが見えてきてる現状、思った以上に日程の調整が難しくなってきている。これをうまくやりくり出来ればいいのだがまだ経験が浅く大いにマネージャー頼りであるので確認のためのやりとりも考えれば更に難しく、思ったように事が運ばない。
「なのでサクラ子さんには折り入ってひとつ相談があるのですが……」
……
「それは面白そうですわね!!」
簡単に企画の趣旨を説明し、反応を見れば好感触。ひとまず悪くない提案だったようで一安心する。しかし、この企画にしてもついて回るのは時間の問題、あとはサクラ子さんを巻き込む以上相手の事務所を通して正式な依頼としなければならないような案件だ。
「ありがとうございます。こちら側はある程度話を通しているので正式に依頼させて頂こうと思うのですがどうでしょう?」
「リーゼからのお願いですもの!最大限協力させていただきますわ!!」
力強い言葉が返ってくると、何とかなるんじゃないかという希望が見えてくる。その言葉の中にはこちらへの信頼と好意がありありと表され、なんとかしてそれらに報いたいという気持ちにさせてくれる。
「では後日こちらから連絡しようと思います」
「こちらも軽く話を通してお待ちしておりますわ!!」
とりあえずはこれで次回のコラボの件と相談事については一歩前進。あとは企画の内容を詰めつつうまく話が通ることを願うばかりである。
スムーズに話し合いが済んだこともあり、夜の配信時間までは余裕がある。サクラ子さんに予定を聞いてみてもあちらも同様のようで、そこからは近況に始まり他愛のないお喋りの時間。
最近やったゲームや配信の内容やリスナーからの反応だったり、誰それの配信が面白かったや参考になったとか。配信について最近多忙なまお様と話せていないこともあり話したいことはいくらでも出てくる。
そしてもちろんお互いを繋いでくれたまお様についても話題は及ぶ。天使さんとのラジオはお互いリアルタイムで聞いていたようで、一問一答クイズの内容だったり、天使さんとの仲の良さをまじまじと見せつけられてしまっただとか。
「それで
「ふふっ、桜人さんたちの言うこともわかってしまいますね」
「リーゼまで!!」
サクラ子さんと桜人さんたちのやりとりが目に浮かぶようで思わず笑い声を漏らしてしまう。たしかにサクラ子さんを動物に例えるならば……大型犬というのは少しでもその配信を見た人間であればそう思うのではなかろうか。もちろん皆いい意味でそう答えつつ揶揄っているのだろうが本人はそれはとても不満のようである。
「それに動物に例えた時に龍という人はなかなかいないと思いますよ?」
たしかに龍は動物であるし、サクラ子さんは龍族Vtuberである。それでも自身を龍に例える人というのはなかなかいないだろう。実際の龍やドラゴンをルーツにした種族とは直接会ったことはないが聞いた話では思慮深く、その強大な力故にプライドも高く長い時間を生きているものほど現世との関わりを厭う者が多いらしい。
といってもこれは有名な逸話や個人の話が語り継がれていくうちにイメージが種全体へ広がっていった結果でもあり、結局のところその者次第というよくある話ではあるのだが。
「むぅ……そういうリーゼ自身はなんだと思いますの?」
「わたくしですか?そうですね……」
ラジオの時はまお様の話に夢中で考えもしなかったが言われてみてもあまり考えたことがなかったなと思い悩む。この手の話では犬猫あたりが定番ではあるのだろうがそのどちらの性質もあるようであまりしっくりこない。これは配信でリスナーに聞いてみても面白いかもしれない。リゼにゃんという存在のイメージもあって猫派が多いのだろうか。
「あまり考えたことがなかったですね、配信で聞いてみようかな」
「どんな答えが返ってくるか楽しみですわね」
こんなとりとめのない話をしているうちに時計を見れば結構時間が経っている。そろそろ切り上げてお互い配信に向けた準備をしたほうがいいだろう。
「ではサクラ子さんそろそろ……」
「そうですわね!企画楽しみにしていますわ!」
「はい!また連絡しますね」
通話が切れれば一気に静かになり少しだけ寂しい気持ちにもなるが、少しすればまた大勢のリスナーたちと配信で会うことができる。企画を成功させるためにもまずは目の前の配信を精一杯楽しんで先に進んでいこう。
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