美味しいクッキーの作り方
くりぃむ
美味しいクッキーの作り方
小学生の頃お母さんと一緒にクッキーを作った。僕が保育園に通っていた頃は実質先生が作り上げてしまったので自分から作ろうとするのは実質これが初めてだった。
うまくできたと思って先生に報告したら先生は優しい顔をして僕が作ったクッキーを褒めてくれた。僕がお母さんに教わったレシピでクッキーを作るとお母さんもお父さんも先生もおじさんおばさんまで皆が幸せになるんだと分かった。だから僕は教わった通りにたくさんのクッキーを作ってはたくさんの人に褒めてもらった。僕の行動だけで皆が幸せそうな顔をしてくれる、当時の僕にとってクッキーは生き甲斐のようなものになっていた。
中学生になると僕はお母さんのレシピだけが正解じゃない。僕にしか作れないような、独自のクッキーを作るんだと息巻くようになった。必死になって夜遅くまで作り方を学えた。でも中々すぐには上手くいかなかった。ただ甘いだけで全体的にまとまりがなく、お母さんのレシピのときのような全体的なバランスの良さがなかった。
僕の求めているクッキーはこんなものじゃない、そう思った僕はどうしたらまとまってくれるのか、どんな材料を揃えたらいいのか日に日に寝る時間を短くしてまで考えた。うまくいかなくて何度も親に、先生にも反発した。こうしたらいいよという言葉は受け入れた時から独自のものではなくなってしまうと思い、受け入れるのをためらった。努力が無意味になるのではと怖かった。
中学の終わりになって僕は我流での製作を諦めた。もうすっかり忘れてしまった母のレシピを聞くとクッキーにはほんの少しの「塩」が入っていた。レシピに塩を加えると今までのものとは違って、メリハリができた。全体に一体感が生まれてきた。この時母と共同で作った時とは違った自分のレシピはほぼ完成した。けれどクッキー作りに時間を割きすぎた事もあって少し離れた場所にある偏差値がそこまで高くない高校に一人、通うことにした。
入学初日、レシピを変えることなくクッキーを作った。中学の時と同じように少しだけ塩を加えて。
でもそのレシピを好んでくれる人はいなかった。
ここでは僕が中学の時改善しようと一時は憎みさえしたあの「ただ甘いだけの」クッキーが好まれた。メリハリもなく甘さも際立たないただ漠然と甘いだけのクッキー。そんなクッキーがここでは好まれた。
今までクッキーは僕の友達だった。そしてこれからもそれは変わらないのだと僕は直感的に感じ取った。
この時から僕の中での時間の進みが今までの何倍も遅く流れた。皆と離れて一人で違う高校に来たことを激しく後悔した。もっと勉強したり部活に精を出したりすればこんな苦い思いをしなくて済んだのだと思うとさらに気が沈んだ。進みの遅い授業や騒がしいクラスの皆。僕はどうしてもクラスに馴染めず、部活にすら入る気が起きなかった。そんなある日授業の準備をしようと教科書を出していると僕のことを見かねたのか先生が唐突に
「君は真面目な良い子だ」
と評してきた。その瞬間クラスの何かが変わったような、そんな気がした。
次の日の朝学校に来ると僕の机の上にはクラスの日誌が置かれていた。今日の日直の当番は僕じゃないはず。きっと机を間違えたのだと思ってまだ来ていない今日の日直の机の上にそっと置いてトイレへと向かった。用を足して戻ってくると僕の机の上には再び日誌だけが無造作に置かれていた。ここで送り返してもまた置かれるだけだと思ってその日僕は日誌を書いた。日誌の担当者の欄にボールペンで濃くはっきりと書かれた日直の名前がやけに印象に残ったが特に気にせず帰り際に担任に提出して部活の掛け声が響く中僕は一人帰路についた。
翌日、僕の机の上には日誌と提出物であったはずの英語の問題集が数冊置かれていた。明日も日誌が置かれていたら担任に相談しよう、そう思いながら問題集を配り終えると窓の奥にある濡れた住宅街の屋根を眺めて授業の時間を待った。相変わらず日誌にはインクではっきりと日直の名前が書かれていた。日誌を提出する頃には霧雨だった雨粒が大きくなって地面にぶつかる度に音を立てていた。
昨日から降る雨を憂鬱に感じながらも登校を終えると机には日誌ではなく声が大きく耳に穴の開いた男達が腰かけていた。何やら笑顔で肩を叩いてきてそのまま廊下に連れ出され、定員割れ以前の名残である随分と汚れた空き教室へと連行された。彼らは僕にこれからも日誌や配布物等の仕事を全て任せ、それを先生に伝えた場合の厳罰と申し出がある場合は話を聞く為の申請料を一回あたり千円徴収すると告げた。金を請求されていないし暴力も振るわれていないならまだましだ。ただ少し強くお願いをされただけだ…そうだよね?
そう自分に言い聞かせてどうにかして高校生の間は奴らの下にいなければならないという事実を腹の奥底に押し込んだ。
その日から毎日交代されるはずの日誌当番が交代されることはなかった。無慈悲に残された先生からのスタンプもインクで書かれた日直の名前も半分に減った休み時間も、もう慣れ始めてきていた。中学でのこともあり人より成績の悪い僕は家に帰って毎日親から叱られるようにして宿題に取り組んだ。終わる頃にはいつも時計の針が一番高い位置でイチャついていたので睨みつけて布団に潜るようになった。クッキーを作るなんてもう頭になかった。唯一の気分転換になっていた休日すらも味気ないまま過ぎていった。
僕の従順さに飽きが来たのか、はたまた正義感がほんの一粒ほど残っていた誰かが告げたのか。ある日の放課後、僕はトイレで水と拳を体いっぱいに浴びた。トイレから出て先生に事の次第を伝えると苦笑いして
「清掃中に転ぶなんてドジだな、保健室で手当てしてもらいなさい」
とだけ言い放って先生はパソコンとの睨みあいを再開した。保健室には日光を動力に揺れる百均の造花だけで先生はすでに帰宅したようだった。帰宅してシャワーを浴び、ふと鏡に映った自分の殴られた跡を見るとほんのりと赤みがかかってはいるがジワジワと体を蝕んでいくような痛みは消えてくれなかった。
翌日、このままではいられないと申請料として千円札をポケットに忍ばせて登校した。学校に通学以外での用途による金銭を持ってくることは禁止されている、と関わったことも名前も知らない生活指導の先生に連れられて校舎裏で事情を聞いてもらえる。僕の顔を見て異変に気付いたクラスメイトが事情を聞いて助けてくれる。そんな妄想をしていたら既に空き教室のドアの前にいた。
中に入ると
視線
視線
視線
視線
その目が何を意味するかは分からなかった。嘲りか無心かすらも知ることはできなかった。視線が体に突き刺さり、やがて熱を持つ。
「俺らが必ずやめるとは言ってねぇし、話聞いてやったんだからとっとと戻れよクラスの奴らが俺らの行動を止めようとしない点からお前も分かってんだろ?」
頭を真っ白にしたかった。考えるのをやめたくなった。でも僕の頭は余計な事ばかりをただただ一生懸命に考えている。今までの楽しかった記憶が走馬灯のように浮かんでは小さくなって消えていく。先生に褒められたことも楽しかった中学時代もみんな、みんな消えていく。
美味しいクッキーが今僕の手元にあったら違う生活を送っていたのかな
ガチャッ
僕はオーブンのガラスドアを開けた。うっかり焦がすところだったから今回はきっと神様が助けてくれたんだろう。お皿に取り出して粗熱が取れるのを待つ間、リビングに戻りソファに腰かけた。焼いている間に見ていたドラマが映されているテレビ画面に一時停止の表示がある。続きを見るか迷って録画リストからそのドラマを消した。そのドラマは幼いころに友達作りを先生に褒められたのが原因で友達作りに没頭し、高校で周りと嚙み合わずいじめられてしまう話だった。
僕の家族は帰ってくるのが遅いときが多い。だから僕はクッキーを焼いて待つ。
強力粉25gアーモンドプードル35gマーガリン30g砂糖20gバニラエッセンス二振り、ここに少しだけ塩を入れるのを忘れずに。170度で14分 厚さ約5mmでカットして焼くのが僕オリジナルのレシピだ。卵アレルギーの母と牛乳アレルギーの父の為に考案して以来すごく気に入られている。
ソファに寝転んでいると玄関からガチャッという音と共に両親の声が聞こえた。
精一杯の笑顔で迎えてやるのも僕の仕事だ。さぁ、息を吸って~
「おかえりなさい!今日もお疲れ様!!」
美味しいクッキーの作り方 くりぃむ @under-tale
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます