第9話 吸血鬼、大陸を知る
陽ノ華ら一行は詠月に先導されて玻璃ノ湖を抜けた。白梅がぎりぎり通れる程度の獣道を抜けると突然田畑の中心、畦道に出て足元の感触の違いに躓きかけた。後ろを振り返るも雑木林が続いているだけで来た道はいつの間にか無くなっていた。
詠月が言うには玻璃ノ湖に行こうと意識すると行けず、意識の外にあると道は拓けるという。うろの村と同じようで違う理屈なのかもしれない。だがどうやって次に来たらいいのかと聞くと、濃縹が結界に何か仕組んだので問題ないとのことであった。
「あれは何だ?」
ドラガは続く道の端を指差す。その先には紅い八脚門が聳え立っている。遠方でもわかる威圧感に五郎とつむじも驚きながら眺めていた。
「あそこが都へ続く門よ。近く見えるでしょうけどあの門が大きすぎるだけで結構距離はあるからね」
陽ノ華の知る限り、都の周囲は堀で囲まれており唯一出入り可能な門は東西南北の四つが開かれている。その門一つ一つは、ヤマト国で最も多く人が住んでおり往来が激しい場所に相応しく、家屋を四つ並べて余りある広さを有する。加えて物見櫓と結界の楔を担い、頑強な屋根を支えるように土台を持っている。知らない人間から見れば豪華な寺社と見間違えても無理はない。
門に向かって歩きだすと、次第に人の姿を目にするようになった。もの珍しくドラガを見てすれ違う様に今更ながら陽ノ華は恥ずかしさを感じた。
なぜならドラガの今の姿は酷いもので、五郎から譲られた着流しはつむじの鎌でずたずたに切られ相撲で投げ飛ばされた影響で泥が満遍なく付いている。つい先程野盗に会い田圃に落ちて逃げたのだと言われても納得しそうな様相にどうしても道行く人々は目を奪われてしまう。そちらなら気を取られ、着ている当人の異様さに誰も目がいかないことだけは幸いだった。
「あそこが村ですね。どうしますか?村に留まらず急いで行けば門が閉まるまでに着けると思いますが」
詠月が陽ノ華に尋ねた。都の門が閉まることを知っているなら本当に都から来たのだろう。また上手い口をたたいたのかと心配していたが声に出さないことにした。詠月の言う通り目の前で夜に備えて灯りを付け始めた村に寄り一泊するか、少し急足で都の門が閉まるまでに進むかを迫られている。だがドラガの醜態への対応と慣れない道を歩いた白梅、五郎らの疲れを考えて村に一晩泊まりたかった。
「ここで一晩泊まりましょう。都の中も広いですしそこから宿を探すのも骨が折れます。それに……ドラガを洗いましょう」
「は?」
「あんた自分の姿見てみなさいよ。遊び盛りの子供よりひどいわ」
食ってかかるドラガをいなし、村に向けて歩みを進めた。詠月、五郎から異論は無かったがつむじが心配そうな顔で陽ノ華に近寄ってきた。
「おいらはどうしよう。村の外で待ってた方がいい?」
きゅるきゅると黒目を潤ませ見つめるつむじに陽ノ華の心は揺れに揺れた。可愛い、可愛すぎる。いやダメ、妖怪だし。でもつむじに人を襲う意志がないのなら……。
「さ、騒ぎを起こさないなら荷物の中にこっそり入っててもいいわよ。あと人前で言葉を話さないなら」
甘すぎる自分を叩きたい気持ちに苛まれながら伝えると、つむじは飛び跳ねて了承し、五郎の元へとすっ飛んでいった。もしかして私に可愛く頼んだらなんでも聞いてもらえると思ってる?そんな疑いを持ちながらつむじの行った先を目で追うと冷ややかな眼差しのドラガと目が合った。
「甘すぎないか」
「わかってるわ……」
村は村というより宿場町に近かった。夜閉められる門にあと一息で間に合わなかった旅人を受け入れるように宿や飯屋がそこらに立ち上っている。そのおかげで人を三人と妖怪を一人と一匹、馬一頭を受け入れてくれる宿は思うより早く見つかった。
当てがわれた部屋に荷物を運び込んだ後、五郎にドラガを水浴びをさせるよう任せ、ドラガに着せる服を調達出来ないか村を見回ろうとした矢先に詠月がどさりと見覚えのない荷物を差し出した。
「僕の代えの服です。お代もいりませんよ」
「あ、ありがたく貰っておきます」
「だから濃縹さんの取組みに巻き込んだことはこれでチャラということで、ね!」
意外に律儀ではあるが、結局これもドラガだけの利では?と思うのは置いておくこととする。荷を解くと黒の着物に帯、白の長襦袢や紺の袴まで出てきた。ほつれや破れも無く期待以上の品質である。
「いいんですか?結構良い品では」
「別にいいですよ。元を辿れば僕のものではないしね」
「じゃあ誰のものなんです?」
「僕にはこれがあるんですよ。演奏のお代で金の代わりに物をくれるなんてよくあることですからね」
そう言って詠月は琵琶を掲げる。片眉を上げる仕草がなんとも腹が立つがこんな良い品を貰う程度には腕が立つのかもしれない。よく見れば年季のある琵琶だが弦はぴんと張り詰め、艶のある胴は部屋の灯りを反射している。かなり大切にしていることは陽ノ華にも分かった。
「確かに綺麗な琵琶ですね」
「おや嬉しい。音は褒められても形を褒められることは少ないものですから」
詠月は綻んだ笑みを溢した。先程までの媚びを混ぜた笑顔とはまた違う心からの笑みに見え、陽ノ華もまた笑みを返した。
宿の女将が夕飯を持ってきてくれた頃、濡れそぼったドラガとつむじがそのまま部屋に上がって一悶着あるまで何事も無く夜は過ぎていった。
「それで、俺の正体とやらは何なんだ」
夕飯を食べ終わり寝るために各々寝床を整え始める頃、ドラガは窓辺に腰掛けながら声を上げた。問いた先は勿論話を持ちかけた詠月だろう。陽ノ華も少しばかり、いやかなりの興味を持っていた話題であったが自分だけ聞くのは気が引けていたため渡りに船であり、そっと自室に帰ろうと襖にかけた手を戻した。
「おっと、そうでしたね。忘れるところでした」
「相撲の時にキューケツキ、とか俺を呼んでいただろう。それが俺の正体なのか?」
「よく覚えておられましたね。ちょいとお待ちください」
詠月は自分の荷物を探り一冊の本を取り出した。糸で綴じられたそれは古めいた紙の色をしており年季を感じさせる。詠月は手元の本をぺらぺらと捲りとある頁に辿り着くと他の面々に見せるように床へ置いた。
「『吸血鬼』とここに書いてあります。これは近年大陸へ渡った者の日記でして、大陸で得た知見や文化に加え方々で聞いた英雄譚や噂話まで記録されているんです」
「吸血鬼なんて妖怪、聞いたことないわ」
「それはそうでしょう。大陸のもっと西まで進んだ先で聞いた話とあります。ヤマト国から海を渡ってすぐの国、陽明(ようめい)もかなり大きいですがそこでも見かけた記録はない……とあります」
古ぼけた本の字をすぐには判読出来ない。だが詠月はこの本をよほど読み込んだのか、ここだと言うように文の一部を指す。
「吸血鬼の特徴としては、人と変わらない姿だが肌は死人のように白い。人とは思えない力を有していて、生きている者から血を啜るとされています」
そこまで話すと全員の視線が一斉にドラガの方を向いた。五郎は自分の腕をそっと抑えてもいた。一瞬たじろいだドラガであったが、詠月に向けて続けろと促した。だが続けたのは五郎であった。
「あの、鬼ではないんですか?」
それは陽ノ華も気になっていた。
鬼という妖怪は強大で恐るべきものだとヤマト国の誰もが知っている。筋骨隆々の姿で頭に角が生え牙を有し、力を行使することが存在の全てである妖怪。暴力を振るい残忍で冷酷。そして人を喰い殺すと度々伝えられ、近頃では妖怪を喰らう妖怪の一つとして数えられている。
鬼の姿の特徴はドラガに当てはまらないが鬼の特性が全く無いとは言いきれなかった。残忍さがありありと出てはいないが妖怪を喰らう妖怪と聞いたとき陽ノ華は真っ先に鬼を想起していたためでもある。
詠月は茶を傾けながら言葉を紡いだ。
「その件についてはですねぇ、僕は違うと踏んでいます。なんでかと言いますとヤマト国と陽明国で『鬼』の意味が違うんですね」
「意味?」
「ヤマト国では『鬼』は邪智暴虐な妖怪を表しますが、陽明国では『鬼』、現地の言葉ではグイだっか。それは死霊や霊魂についてを指しているとのことです。死んで体から抜け出た魂が特別に強い念を持って人の形をとったものを『鬼』と指す場合もあるとか」
「じゃあ吸血鬼は鬼じゃなくて……」
「そうですね、多分思っている通り。この本によると吸血鬼というのは死んだ人間が蘇って成ったものかもしれない、とあります。その特徴から陽明国の人は鬼の字を当てたのでしょう。そしてヤマト国と陽明国の文字は源流を辿れば同じですし、名だけ残り意味は異なるようになったのではと。とどのつまり吸血鬼は『血を吸う鬼』というより『血を吸う蘇った死人』の方が核心をついた言い方でしょうかね。まぁここまで想像の域を出てはいないですけど」
陽ノ華は心の臓を突かれたような苦しさを感じた。あの時滝の裏の洞窟で話してしまった考え、ドラガは一度死んでいるのではという想像が途端に現実の色を増してしまった。五郎とつむじは心配そうな顔でドラガを見つめる。
だが当の本人は何も思うところはないといったような表情で飄々と詠月の手元を見ていた。詠月も会話を聞いていたのかいないのか分からないが特に気にする素振りもなく別の本を開いていた。
「だけど、気になることが一つあって」
「気になること?」
「吸血鬼は日の光が苦手、いや日の光に当たれば死んでしまうとされています」
「ふーん、そうなのか」
呑気な声を上げたのはドラガ本人であった。
陽ノ華としてもドラガが日の光に当たっているところはここまで何回も見ている。幾分夜の方が活動的に見えてはいたが、昼にしか動けなかったり日の光を嫌う様子は見せたことがなかった。むしろ相撲を取るほどに活動はできている。
「他にも心臓に杭を打ち込むと死ぬとか、銀の鏃や大蒜が弱点とか、あと水の流れを渡れないだとか」
「海でめちゃくちゃ流されてましたよドラガさん」
「めちゃくちゃ流されてたんですか!?」
「ともかく吸血鬼の全ての特徴がドラガに当てはまるわけではなさそうですね」
「まぁ、この本の著者も吸血鬼を目の当たりにして書いたわけではなくて人からの又聞きであるとは書いてあります。そも吸血鬼は陽明国のもっと西にしか住んでおらず、記録に残せるほど数はいないとも」
「そんな希少な妖怪なんですね。吸血鬼というのは」
そう陽ノ華が溢すと詠月はうむむと唸った。
「僕の持っている情報としてはここまでです。どうでしょう、お力になれました?」
「別に俺にはぴんと来ることはなかったがな。俺が吸血鬼だと言われても、ああそうなのかとしか」
「えー、もうちょっと驚いてくれても」
「俺が日の光を浴びても死なない最強の吸血鬼であることが判明しただけで重畳だろう。そのオニ?とやらも俺には簡単に倒せるな」
「何を根拠に偉そうなんでしょう」
ドラガはぼやく詠月を軽く蹴り付ける。興味はとうに失せたようでごろりと床に横になった。
「他にはどんなことが書いてあるんだ?」
「おや、いいですね〜お話ししましょう」
「話して、話して!おいら、海の向こうのこともっと聞きたい!」
一方でつむじは目を輝かせ、詠月の膝に乗り色んな話をして欲しいとせがむ。さながら物語りをもっと聞きたいと師に迫った在りし日の陽ノ華自身を思い出しどこか心が暖かくなった。五郎も頷きつつ、本の挿絵を指差しては何なのかと詠月に問いている。昼と一転して一躍人気者となった詠月は満更でもないにやけ顔になっていた。
「ふふふ、いいですよ。何しろこれは僕自身が大陸に渡り集めた珠玉の本たち!これには文化や技術に加えて、まだヤマト国の誰も知らぬ物語が詰まっているのです!まぁ読み解くのにはもうちょっとかかりますけど……」
「大陸に行ったことがあるんですか!すごいなぁ」
「ありますとも!それはもう波の荒れる酷い旅でしたし言葉も通じず身振り手振りでなんとかしてました。でもそこで出会った食に芸能に建築に衣服、文化の煌びやかさたるや……大陸文化万歳ですよ」
大振りで芝居掛かった動作にドラガは眉を顰めるが、五郎とつむじは感激したようにおおと声を上げていた。陽ノ華としても話の続きを聞きたいところだったので黙ってはいたが。
「でも僕は大陸の文化の凄さを伝える前にですね、『剣聖イザヨイ』の話をこの国に紡ぎたいと思っているんです。皆さん知ってます?ヤマト国から唯一大陸に渡り大立ち回りをしたとされる猛き侍のことを」
また別の本を開き周りを詠月は見渡した。つむじとドラガは首を傾げ、五郎は考え込んでいた。陽ノ華はその名だけを聞いたことがあった。
「確か陽界を救う使命があるとかで帝の命を受けて大陸へ旅立った侍、でしたっけ?」
「そうですね。もっと踏み込むとイザヨイが旅立つ直前、陽界は未曾有の危機にありました。それを救わんと立ち上がる者達の中にイザヨイがいたとされています。救う者達は徒党を組み、その仲間に入るためにイザヨイはヤマト国から出て大陸へ渡り合流したらしいですね」
「そこまでは聞いたことありませんでした」
「えぇ、ヤマト国ではそう伝わってはおらずイザヨイ本人にのみ旅の本当の理由は伝えられていたようです」
「どうしてそれを詠月は知ってるの?」
「ふっふっふ。それはですね」
また笑いながら荷物から何かの束を取り出した。先程まで周りに見せていた本より紐は朽ちてほつれ、大きな染みや傷が目立っている本であった。いや本というより紙の束と読んだ方がいいほどだった。
「イザヨイは大陸での旅の道中、手記を認めていたんです。手記の中でこの旅の目的に加え、旅の中で出会った人々や行き先を書いています。『吸血鬼』についても幾つかこの手記に書かれていました。ただ状態が悪いものや散逸して全部を手に入れてはいないのですけど……。それでもこれらを紐解くことで、大陸の文化に加えて陽界を救ったイザヨイの誰も知らない英雄譚が生まれるのではないかと僕は考えています」
詠月は真剣な目で紙の束を見つめる。この紙に誰も知らぬ物語が詰められているのだと思うと陽ノ華もまたそれが輝いて見えた。
「物語はいいものです。語るそこに自分は居ないはずなのに戦での高揚や恋の熱、別れの哀しみを感じられる。瞼の裏に大海に樹林、砂漠に洞窟が思い浮かぶ。この体験は話を聞いた本人だけのものなんです。僕はイザヨイの物語を初めに知り初めての感情を味わいたい、そしてこの感動をヤマト国中に伝えるのが夢なのです!」
うっとりとした目で詠月は語り、愛おしそうに紙の束を抱きしめた。のらりくらりとした昼の態度からは一変し、物語を方々に伝えることに燃え盛る情熱を注いでいるその姿に陽ノ華は驚いた。だがそこまで熱を注げる何かがあることに少し羨ましさもあった。
それにイザヨイの物語に熱烈に興味を惹かれるのも確かであった。大陸文化への興味もあるが、詠月の言う通り物語の魅力のなんと抗い難いことだろうか。昼巫女の修行中、勝手な外出を許されなかった過去を持つ陽ノ華としては僅かな休息に物語を読むのが唯一の励みだった。いや励みというより一つの師ともいえるかもしれない。青く広い海も聳える山も滝も洞窟も初めて知ったのは物語の中であったのだから。
「聞いてみたいです。イザヨイの物語」
いつの間にか陽ノ華は口に出していた。それまでずっと静かに聞いていたから誰も陽ノ華がそう相槌を打つとは思っていなかったらしく、全員が驚いた顔をこちらに向けていた。だんだんと顔の温度が上がっていくのを感じる。
「……いいじゃない!私だって物語は好きよ」
「そう言ってくれるの嬉しいなぁ。ありがとう陽ノ華さん」
詠月の礼にまた顔が熱くなる。
ひと時ののち、また大陸の話に花が咲き詠月と五郎とつむじの間が騒がしくなった。ドラガは昼に歩いたおかげか今の時刻になって眠くなっているらしくうつらうつらと船を漕いでいる。陽ノ華も久しぶりの屋根と床のある休息に身体が落ち着けと言っているのを跳ね除け難かった。
揺らぐ視界をなんとか戻し陽ノ華は立ち上がった。
「もう遅いですし私は部屋に戻ります。おやすみなさい」
「おや?そんな時間ですか。ではまた明日に」
「僕も実はうとうとしかけてて、布団に入ろうかな」
「おやすみ陽ノ華!おいらはもうちょっと起きてるよ。あっ大将もう寝てる」
襖を閉めても三人の賑やかな談笑が漏れ出ていた。
「都ってのは本当に良いところなのか?」
幾分時間が過ぎた頃、詠月の背から静かに声が聞こえた。つむじと五郎が寝入ったため詠月も床に入ろうとしたところ、入れ替わるようにしてドラガが起きていた。
「いい所ですよ。飯は美味いし物は最新の流行を取り揃え演劇場だってある。人が多すぎるのと宿が高めなのが痛いところですかね」
「そんなに人がいるからか?ここでもうっすら『嫌な匂い』がするのは」
「嫌な匂い?」
詠月は己の袖や周りを嗅ぐ。鼻には畳の青臭さや荷物の埃っぽさだけが入るのみだ。
ドラガは眉を顰めじっと外を見つめる。
「咽せ返るほどの血の匂いがする」
赤い眼はじっと松明に照らされた都の門を映していた。
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