第7話 吸血鬼、思い返す
風によって倒れた草木と掘り返された土を踏み締める。
陽ノ華は昨日のことを思い出しては、なんとも実感のできないことだと噛み締めていた。
塗壁や小豆洗い、鎌鼬と妖怪に立て続けに遭ったこと、言葉をやりとりしたこと、妖怪の住む村らしき場所を訪れ一晩寝泊まりしたこと、初めての連続があり中々寝付けないものかと思ったが杞憂に終わり、山道を進んだ疲れが迷いなく眠りに付かせてくれた。
白梅も汚れが所々にあるだけで怪我はなかったことも何よりだった。
少し気になることといえば旅程の大幅な変更により五郎を柴浜村から連れ回してしまっていること、当初の目的であるドラガは未だ謎のままであるということだ。
ぐぅ、と伸びをしてうろの村を見回す。穏やかな陽光の中、向こうには山々の緑が映える。
「あっ、おはよう」
白梅が喋った。
いや違う、白梅の上に乗った小さな鼬がこちらに顔を向けて挨拶していた。
「おはよう、ええと…」
「つむじだよ。昨日はありがとう」
ぴょんと飛び降りて鎌鼬、つむじは礼をする。
昨夜纏っていたぎらぎらした殺意や悲しみは幾許か薄れて柔らかい印象がある。
白梅も穏やかに鳴きながら顔を擦り付けて挨拶するあたり、陽ノ華だけ感じている訳ではなさそうだった。
「ありがとうなんて、特に私は何もしていないよ」
むしろ荒れ果てたうろの村の中でまともな家(つむじの生家らしい)を提供し、あまつさえ一晩の寝床を提供してくれたことには感謝しかない。
「いえ、陽ノ華さんがあそこで止めてくれなかったら僕は放り投げられていましたよ」
白梅を挟んだ向こうから五郎が顔を出した。どうやら毛繕いをしてくれていたらしい。
「あの時はそうするしかなかったというか、むしろ危険な目に遭わせてすみません」
慌てて首を振るも五郎は笑顔を返してくれた。
陽ノ華としても五郎がここまで着いてきてくれていることに対して申し訳なさが増してきていた。命を救ってくれたからといって利益にもならないこの旅に同行しあまつさえ知らない行程と妖怪の邂逅に振り回してしまっている。
そも彼はどこまで着いてこようとしているのだろうか?都までの道はまだ続くだろうし、五郎にこれ以上迷惑をかけるのは気が引けていた。
滝の先の村まで行ったら五郎に聞いてみようか、そんな考えが巡りかけた時、ふと足元から引っ張られる感覚を覚えた。
「ん?」
下を見ればつむじが足のそばに立ち陽ノ華の袴をくいくいと引っ張っていた。
黒豆のようにきらきらした眼がこちらを見つめる。
「あのね、おいら頼みたいことがあるんだ…」
「は〜?それでこの獣も付いてくるだと?」
ドラガが棺桶の上で胡座をかいて不服そうにぼやく。
陽ノ華に貼られた霊符の影響か無理矢理寝かせられた後、棺桶に突っ込まれていた。陽ノ華らの出立寸前に起き上がり、乱れた髪と衣服で死人が起きたと一悶着があったのは別の話である。
「うるさいわね…あんな眼で見られたら断れなかったのよ」
ドラガに聞こえないくらいの声で陽ノ華は返した。
つむじが彼女の足に縋りながら出した願いは簡単なものであった。
兄らの仇を探すために旅について行きたい。
彼の言い分としては納得できるものであった。守るものがもうない村に留まり続ける理由は無く、村を襲った犯人がここに戻る保証も無いならばこちらから行くしかない。
復讐なんてするな、と綺麗事を言うことはできなかった。死を覚悟しかけた彼の秘めた思いに発破をかけたのが昨夜のドラガの叫びと自分の言葉だというなら尚更だ。
昼巫女としても村を全滅させる程の脅威を持つ妖怪が、もし人里に現れたならばと考えていた。どうすべきか陽ノ華自身が対処するわけではないかもしれないが、被害が少なくないことは簡単に予想が出来た。ならば協力者としてこの鎌鼬と共にいてもいいのではないか。
……あのきゅるきゅるした眼とふわふわの毛皮に屈した訳ではないのだ。
「聞いてるか?おいこら無視するな」
「ドラガさん、陽ノ華さんはうろの村を襲った犯人が人の住む村にも出た場合の協力者としてつむじくんを受け入れたんですよ」
棺桶を引き摺る白梅の横で歩く五郎は笑顔で話す。陽ノ華のいないうちに仲良くなっていたのか、肩に乗ったつむじの頭を掌で優しく撫でている。そして陽ノ華の言葉を額面通りに受け取ってくれていて幸いであった。
「ド、ドラガ…」
するり、とつむじは五郎の肩から降りた。
そして棺桶の上に飛び乗るとドラガと見つめ合う。
「ドラガの大将!」
「あ?」
突然のつむじの呼び名に全員が素っ頓狂な声を上げた。
「昨日、おいらを助けてくれたから…兄貴じゃないけどすごいなって思って」
「助けたつもりはない、勝手に死ぬのをやめただけだろう。しかしいいのか?俺はお前の村を襲った妖怪と同じ匂いなのだろう?」
「あんたがいなかったら今のおいらは居なかったよ!……確かに匂いは似てはいるけど、違うことにも気付いたんだ。ごめんよ」
足元に手を添え、お辞儀を繰り返すつむじをドラガは訝しむような目で見ていた。
「ふん、勝手にしろ。だが大将というのはどうなんだ?」
「じゃあドラガの旦那?」
「それもいまいち」
「うーん、師匠?」
「俺の眷属なら『ドラガ様』でいいだろう」
「別においらけんぞく?じゃないしなぁ」
「何っ」
「とりあえず大将!おいらがそう決めたよ!」
「決めるな!長細い獣め!」
わいぎゃいと子供の喧嘩のような言い合いをする妖怪二人に陽ノ華は溜息を着いた。だが命をやりとりしていた昨日のような剣幕はもうそこには無く、誰からも安心して見ることが出来るほどに刺々しい雰囲気は払拭されていた。
他の村へと繋がる東の道へはそよぐ風と淡い陽光だけが三人と一匹を包んでいた。
そして水煙と共に滝壺が現れ、裏にぽっかりと開く洞窟へと入っていった。
洞窟は思ったよりも荒れていなかった。いや荒れていなさすぎる程であった。
白梅が通れるほどの広さと高さを備え、岩壁には点々と松明の跡がある。この場所が普段から人、いや妖怪が多く通っていた道であることを示していた。
洞窟の入り口から遠ざかるにつれ、光は細く頼りなくなっていく。
手持ちの松明を付けて暗闇の中を慎重に進むことにドラガ以外は緊張感を露わにしていた。
「ところでさ、大将は何の妖怪なの?」
たまに水が天井から滴り落ちる音が響くだけで、誰もが黙りこくっていた時、つむじが尋ねた。
「何の?俺は俺だが」
「うーん、そうじゃなくて」
悩むときの癖なのだろうか、ぐるぐるとその場で円を描くように回るつむじを陽ノ華は心なしか可愛いと思ってしまった。
だがつむじの問いも最もである。陽ノ華はここまでの道中、道程確認する合間に度々考えていたことであった。
数多くいる妖怪の名前、ひいては特徴を知ることは重要である。
どのような姿で、何処に現れ、何時に姿を見せ、何を喰らい、何を得手とし不得手とするか。
それによって弱点として突くべき箇所があれば突き、何も出来ないとわかれば逃げることも視野に入れ反撃の機会を伺うべきである。
知ることによって見えてくる対処がある。これは陽ノ華が昼巫女の修行中に叩き込まれたことであった。
訳あって修行中の身が長かった陽ノ華は、いつか来る旅立ちまでにそれはもう念入りに記憶した。目の当たりにする妖怪はまだ少なくても生き字引と自負したくなるくらいには知っているつもりであった。
だが初めて見た妖怪がいた。それがドラガである。
「確かに、私もあんたが何の妖怪なのか知りたいわ。銀の髪に紅い眼、怪力に妖怪を喰らうなんて聞いたことないんだもの」
「えっ!大将は妖怪を喰うの!?」
「おう、喰うぞ。お前だって……」
「わぁぁぁ!」
怯えて叫んだつむじが、それこそ風のような速さで陽ノ華の肩に飛び乗った。
その姿を見ていやらしそうににやにやと笑うドラガのなんと子供っぽいことか。
襟巻きのように首に巻きついてきたつむじを優しく撫でながら続けた。
「そもそもあんた何処から来たのよ、あの村の洞窟にずっと住んでたわけじゃないんでしょう」
「何処?何処と言われても……」
「それがですね、陽ノ華さん」
突然、五郎が口を挟む。
松明の灯りに照らされ、ぼんやりとだが不思議そうな表情をしているのが見てとれた。
「ドラガさんは海の中の棺桶から引き揚げられた時より前の記憶が無いようなんです」
「えぇ?」
「そうだ、さっぱりと抜けている」
五郎らが夜の海でドラガの棺桶を拾ったことは柴浜村で聞いていた。海に沈んだ棺桶から出てきたことは驚いたがそれに至る経緯は何なのかについては聞いていなかったが、まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかった。
棺桶の上で踏ん反り返るドラガに溜息をつく。
ドラガは懐かしさを含んだ声で胸元の赤い石を取り出し、じっと見つめた。
「覚えているのは名とこの石が大事だということだけだ」
陽ノ華は、出会った当初にドラガが妖怪どころか陽界陰界も知らないことに仰天したが、責める気はもうなかった。
それよりも思ったより何も無い彼が、無いことに憂いも哀しみも抱かない様子で前を向けることに少しの羨望と恐れが見え隠れしていた。
「それは大将の大切な人からの贈り物なのかな?」
いつの間にかつむじはドラガのもとに戻っていた。赤い石をきらきらした眼で見ている。
「そうなのかもな?なーにも覚えてないがな」
「もしかしたらあんたは元々死人だったりするのかも?棺桶の本来の用途を考えるなら、その石は埋葬品だったとか……」
そこまで言って陽ノ華は後悔した。暗闇の中でもつむじと五郎が信じられないといった顔をしているのが目に浮かぶ。
死人が無念の情念を纏って妖怪となることも少なく無い。それは陽ノ華も知っていた。ドラガの青白い肌や血を欲する姿から共通点を見つけつつあったのだ。
だがしかし、お前は死んでいるのでは、なんて側から見れば侮辱にしかならない。だけど考えていたことが言っていいか否か熟成させる前に先に口から出てしまう、陽ノ華の考え込むときの悪い癖であった。
「そうなのかもな。俺は死んで生き返ったのかもしれん」
撤回しようと声を上げかけた時、ドラガのなんともないような抑揚の声がまた洞窟に響いた。
「だとしたら行幸だ。また生きられる機会を掴み取ったというなら俺は掴み続けてやる」
ドラガの眼が沈み掛けの西陽より紅くぎらつく。
何がここまでドラガを生に執着させるのか、陽ノ華には理解が出来なかった。
「も、もしかしたらこの国のどこかにドラガさんの仲間の妖怪がいるかもしれないですよ」
「そうだよ!あるいは大将の家族とかいるかも!」
「かぞく……?」
慌てて助け船を出した五郎とつむじに対し、ドラガは呆けたような返しだった。まるで家族というものも知らないように。もしかして家族についての記憶が無いというより家族という概念が抜け落ちているのではないか。
妖怪の発生には諸説ある。獣のように子を産むものもいれば自然発生するものもいる、らしい。らしいというのは誰も見たことがないからだ。
ドラガが仮に蘇った死人から成る妖怪だとしたら、妖怪としての親はいないことになるのかもしれない。だから首を傾げている可能性もある。だけどその肉体を辿れば、ドラガに成る前の誰かには親がいたのかもしれない。
陽ノ華がそんな思いに耽っているとドラガはまた言葉を続けた。
「別に急いでいるわけでもない。まぁ俺が何の妖怪なのかはおいおい分かるだろう。分からなくたって死ぬわけじゃあない」
端的に言って彼はもうこの話題に飽き始めているのだろう。猫のように大口を開けて欠伸をするとつむじを頭の下に敷いて横になった。
「えー、何するの大将。重いよう」
「うるさいうるさい。枕くらいにはなれるだろ」
緊張感も何も無い会話に陽ノ華はいつの間にか突っ張っていた肩の重さが解かれるのを感じた。彼の言うことも最もだ。知りたい気持ちは十分にあるが、陽ノ華だけがやる仕事では無い。日輪の本拠地には妖怪を探り、名を付ける部署がある。彼のことを聞いてみれば何か手掛かりは見つかるかもしれない。
いつの間にやら洞窟は終わりを迎え始めていた。一行の行先からは流れる水の音が聞こえ始めた。岩場を反響する白梅の蹄の音が外へするすると流れ始め、淡い光が見え始めた頃、全員が水辺に面した出口をその眼に映した。
と同時に人影が待ち構えるようにこちらを向いていた。
「あれ、誰かいます?」
逆光で目を細める五郎が問いかける。一行皆は同じ思いだっただろうが、その顔には誰も見覚えがなかった。
痩身で細面の男であった。僧衣と思しき衣服を纏っていたが、陽ノ華の知る以上にそれは華美な色に染まっており、そもその男は剃髪しておらず黒髪を雑に縛っていた。
眼前に立ち塞がる男は、筆で素早く引いたように細い眼を開き予想外に弾んだ声でこちらに声をかけた。
「立ち聞き申し訳ありません。そちらの御仁の正体について……」
すらと伸びた指先がドラガに向けられる。
ドラガは片眉を上げ鋭い睨みを男に向けた。
やけに話し慣れたような声の抑揚が場のそぐわなさに合わせて全員に緊張を張らせた。
「一つ、お耳に入れていただきたい話があります。なぁに、損はさせませんよ」
にこりと笑いながら男は両手を広げた。
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