ナツカゼ

きむち

風の匂い

蝉が、鳴いている。


うるさくて煩わしい。


体にまとわりつくような暑さと湿気が鬱陶しい。


僕は、そんな夏が、嫌いだ。



熱く照らされたコンクリートの地面を踏んで進む。


高校2年生の僕達は、体育の授業で、学校の敷地内に設けられているプールに向かっていた。


コンクリートには陽炎がのぼっていて、それを見るだけで立ちくらみそうな暑さだ。


やっとのことでプールに着いて、一斉に準備体操を始める。


僕たち男子はこちら側のプールサイドで、女の子は、プールを挟んだ向こう側でそれを行う。

自然と、目が動いた。


僕の視界の真ん中には1人の女の子が映っていた。


高校生特有の膨らみを持つその胸に、勝手に目が移る。

キレイな瞳に、スラリとした脚。


そのときの僕が、彼女に対してどんな感情を持っていたのかは知らない。

けど、僕の目には彼女がいつも映っていた。


少し経って、準備体操が終わると


「それじゃあ、ゆっくり入れー」


という教師の声が響いた。


それに対して僕たち男子は、


「っしゃー!」「やっほーい!」「きもっちぃ!」


などと様々な声と、白泡を飛ばしてプールに飛び込む。教師の声など僕たちには届かないのだ。

しかしそれに教師は何も言わず、少し笑っていた。


僕もプールの中へとに飛び込んで、その床に足をつけた。

暑い空気と湿気で熱せられた体の熱が、一気に冷たい水に流れ込むのを感じた。


プールを満たす水は、僕たちが入り込んだことにより、小さな波を作る。

それに揺らされる水面は、眩しい陽射しに照らされて、鋭く煌めいていた。


そんな景色の向こうに、また、目が移る。


彼女だった。友達と笑い合う姿が見える。途端、その僕の視界を、水飛沫が覆う。


「うわっ」


「なにぼうっとしてんの、らしくないじゃん」


隣から聞こえる声は、小学校からの幼なじみのものだった。そして、どうやら僕に水をかけたのはコイツだったらしい。


「わるい、暑すぎてやられた」


「前言撤回、わ。お前らしい」


そう言って僕達は笑った。


「とりあえず潜んない?せーのでいくぞ?」


「おっけ」


せーの。その彼の声に合わせて、僕は目を瞑って、大きく息を吸ってから水の中に体を沈めた。


どこまでも落ちていく、そんな感覚と。不思議な浮遊感が僕を襲った。


けど、嫌な心地ではない。むしろ、気持ちが良かった。


そして、ゆっくりと瞼を開ける。


ブワッと、僕の瞳を水が覆う。



キレイ、だった。



きっと僕は、この景色を一生忘れないだろう。


揺れる水面から落ちる光は、まるでベールのようで、淡くその光を、青い水の中のどこまでも届かせる。

見上げる宙に、空なんてものはなくて、ただただ揺れて輝く果てしない一色


口から漏れる空気は、いくつもの泡となって、宙へ登る。


やがて、一緒に水中へと潜った幼なじみと目が合った。


2人で口からいくつかの空気を浮かばせて笑って、もう一度、無限に続く蒼を見た。


バッと、顔を外へ出す。


「はぁ──、はぁ──」


息を吸って、吐いて、また吸う。

身体中に酸素が巡るのを感じる。


そして、隣に同じようにする彼がいる。


ふと、空を見上げると、濃く広がる空に、目眩がするような太陽と、大きく背を伸ばす入道雲が登っていた。



「徳川家康はこのようにして天下を──」


教師の声が、エアコンでよく冷えた教室に響く。


どこか気だるそうな教師のそれは、体育授業でのプールを乗り越えた生徒の睡魔を呼び起こす。


教師の講義を無視して、僕は教室の中を見回す。


コクコクと頷くようにして眠る生徒や、机に突っ伏して眠る生徒、肘を着いて寝ていることを悟られないように誤魔化しつつ眠る生徒などが殆どだった。


当の僕は、学校での授業で眠ってしまったことが1度もなく、今も睡魔に襲われることはない。


換気のために開けられている窓から、ぬるい風が吹き込んで、カーテンをなびかせる。

窓の外から、蝉の声がよく聞こえた。


講師の話に耳を傾けようとしたその時だった。


後ろから誰かが僕の肩を叩いた。


その犯人が誰かは分かってるけど、後ろを振り向く。


振り向いた先では、白く細やかな肌に、大きな瞳とまつ毛をした女の子が不思議そうな顔でこちらを見ていた。


プールで見つめてしまった彼女だ。


「なにしてるの?」


彼女がそう言うと、なぜか、胸がキュッと締まる気がした。


「いや、みんな寝てるなって思ってただけだよ」


「ふうん、君は眠くないの?」


「うん、眠くないよ」


「そっかぁ、私はすごく眠いよ」


「じゃあさ──」


再び、カーテンがふんわりと、風によってなびく。

その風が僕の頬を優しく撫でた。


「──話そうよ」


ふしぎな、感じがした。


「──いいよ」


彼女は小さい声で、そう言った。


そのときの僕が、彼女に対してどんな感情を持っていたのかは知らない。


けど、プールの終わり、頬に当たる風が好きだった。




蝉が、鳴いている。


うるさくて煩わしい。


体にまとわりつくような暑さと湿気が鬱陶しい。


僕は、そんな夏が、



嫌いだ。

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ナツカゼ きむち @sirokurosekai

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