#8:どうかお前は死んでくれ
「城下町に青柳鈴郎がいる、というのはどういうことでしょう?」
店を出て俺が自分の考えを述べると、マチルダはすかさず質問を投げかけてくる。
「その結論の根拠をお教えください」
「連中、呑気してただろ。それが証拠だよ」
夜も更けた街を歩きながら、俺は掴んだことを教えていく。
「捜査にかかる費用は脱柵者に請求される。だから連中タダ酒が飲めるってんでああしていたんだ。取り巻きはまだ経験が浅いようだが、あの口ひげはそういうことを何度かやっているんだろう。手慣れている感じがした」
「なるほど」
「だが脱柵者を見つけられなければ、自腹を切る羽目になる。公務員がキャバレーの飲み代を上に請求なんてできないからな。そんな中、俺と青柳さんを尾行していたやつを呼びつけてまでここでどんちゃん騒ぎしたんだ。連中には鈴郎くんを確保できるという確証があるということだ」
おそらく、ここで適当に騒いで満足したら捕まえに行く算段なのだろう。
「しかし城下町のどこでしょうか。わたしが捜索した範囲では見つかりませんでしたが」
「今日はボーイとしての仕事はしていなくて、表に出てきていないのかもな。まあどのみち、こういうのは知っているやつに聞くのが一番いい」
「知っているやつ……」
「ひょっとするとそろそろ連絡が来るかもしれない」
などと冗談を言っていると。
本当に連絡がきた。
スマホを取り出して電話に出る。
「赤貝くんか」
『はい! 今どこにいますか? レーさんが見つかったって』
「落ち着けよ。城下町だろう? 今そこにいる」
『え、ええ……。じゃあ羽柴さんも居場所に気づいて?』
「いや城下町ってのは分かっているんだが、具体的な場所まではな。でも捜査の一員に加わっている君は連絡が回ってきたんだろう? だから電話してきた」
『そうです。オレも今城下町にいて向かっているところです。早くしないとレーさんを確保されてしまう……』
「大丈夫だ。連中は鈴郎くんを見つけたから安心してどんちゃん騒ぎをしている。最低限見張りはつけているだろうが、確保するのはもう少ししてからだ。その隙に俺たちが先んじる」
『分かりました。住所をメッセージで送ります。そこで合流しましょう』
電話が切れる。すかさずメッセージが入り、住所が判明する。住所など見てもさっぱりだが、建物名も書いてある親切さだ。
「クラブキラーラビット……」
「その店なら見かけました。こちらです」
「よし、案内してくれ」
マチルダに先行させ、後を追う。念のため住所を地図アプリに打ち込んで場所を確認した。彼女は迷いなく目的地へ進んでいるらしく、地図上でも現在地が徐々に近づいていく。
クラブキラーラビットは城下町の外れにある、場末のクラブだった。ここまで中心から離れると、もう海外からの観光客を当て込むことはできないだろう。単に城下町の治安の悪さだけを引き受けたよろしくない立地だ。店も単なるホストクラブやキャバクラではなく、いわゆる性風俗店やラブホテルが多かった。夢城区のギャンブルで勝った連中は日本人だろうと海外観光客だろうとこんな僻地へは来ないだろう。負けた連中が鬱憤を晴らすための安い店、という感じだな。
問題のクラブは、路地裏にひしめく雑居ビルの一階に入っていた。そのビルは一階以外に店が入っている様子がなく、ひょっとすると二階より上もクラブが事務所などに使用しているのかもしれない。
「住所はこの裏手だな」
雑居ビルの裏が目的地なのだが、そこへ入るための道は明らかに兵士らしい男に監視されている。ここを通れば確実に口ひげに連絡されてしまうだろう。適当にごまかして一時的に通れたとしても、向こう側にいるだろう鈴郎を説得し連れ出すのに時間がかかるし、彼を連れて出たところを見られれば同じくアウトだ。なんとか長時間、あいつの監視を剥がしたい。
俺が善良な市民のフリをしてあの兵士に頼みごとをして連れ出すという手もあるが……。マチルダでは鈴郎を連れ出せない。いきなり探偵を名乗るロシア系の少女が現れても鈴郎は混乱するばかりだろう。彼を連れ出すには俺が説得するしかないが、逆にマチルダに兵士のおびき出しを頼むのも難しい。こんな時間に城下町をロシア系の少女がうろうろしていたらそれだけで怪しい。警戒されかねない。
こうなったらいっそのこと気絶させてその隙をつくか? マチルダにそんな繊細なことができるかは分からないが。俺はもちろんできない。手詰まりだな……。
「羽柴さん」
物陰に隠れてこそこそと様子をうかがっていると、後ろから赤貝がやってくる。
「この先にレーさんが……」
「ああ。だが見張りが邪魔だ。あいつを排除したい」
「ではオレが理由をつけて連れ出します。その隙にレーさんを」
「分かった」
やはり持つべきものは内部の協力者だ。いるといないじゃ動き方が段違いである。赤貝なら怪しまれず長時間連れ出すこともできるだろう。後でバレて彼がお叱りを受ける可能性は高いが、それは俺の気にすることじゃない。あくまで依頼は鈴郎くんの発見である。
赤貝が先に出る。見張りに話しかけ、すぐにどこかへ連れ立って去っていく。それを確認してから、俺はマチルダと一緒に物陰を出た。
雑居ビルの脇の道を通り抜けると、そこは奥まった袋小路だった。そして小さいボロボロのアパートが立っていた。名前を書いた看板はないし、不動産屋が入所者を募集しているような広告もない。ひょっとするとキラーラビットの従業員を住まわせる社宅のようなものかもしれない。
「さて、ここだが……」
「ミスター所長代理」
どこの部屋に鈴郎がいるのか探ろうかと思ったが、すぐにマチルダが反応する。
「異臭がします。……煙も」
「煙?」
「二階右側の窓です」
言われて、そちらを見る。空が暗くなっているせいで判別が難しいが……言われてみれば確かに、閉じられた窓の隙間から噴き出すように煙がわずかながら出ている。
いや、それ以前に……。
「待て、あれは……」
気づいた。
窓の隙間。こちら側からでもうっすらとだが分かる。
ガムテープが貼ってある。あれは目張りだ。古い家屋で隙間が多いから目張りをして、その上で煙……。
まずい。
「急ぐぞ!」
「所長代理?」
「自殺だ! 鈴郎くんが自殺しようとしている。……いやあの部屋にいるのが彼かは分からないが! しかし誰かが自殺しようとしている!」
外階段を駆け上り、部屋の前まで急ぐ。二階の一番奥の部屋。そこが問題の場所だった。
「くそ……やっぱり鍵が」
古い木造住宅とはいえきちんとした扉と鍵だ。タックルで押し開く膂力は俺にはない。
「仕方ない。マチルダ、少し下がって……」
後ろにいたマチルダを下げ、俺も少し下がる。銃を抜いて狙いを定めた。
特殊部隊が扉を開くために散弾銃を用いる話はレオンから聞いたことがある。どんな扉でも開くことができるのでマスターキーなどと呼ぶらしい。ともかく、散弾銃で扉を開く際、撃つ箇所はドアノブや鍵穴ではなく、蝶番なのだという。二か所の蝶番を散弾銃で破壊し、特殊部隊は突入する。
じゃあ拳銃しか手元になかったらどうするか。レオンに聞いたら、こう返ってきた。
扉がある程度脆いという前提で。
跳弾の危険が無いよう正面ではなく斜めの角度で銃を向け。
鍵穴そのものではなくその上下を撃ち、破壊する。
そうすることで鍵の接続部が脆弱となり、あとは蹴破れるようになる。
できれば訓練したかったが、ぶっつけ本番だ仕方ない。
二発、鍵穴の上下に打ち込む。45口径ならいざ知らず、9mm弾でどの程度破壊できるか疑問だったが、思いのほか大きな穴を開けて扉を破った。脆くなった鍵穴に向かって雑に蹴りをお見舞いすると、木材が割れる音がして扉が開いた。
急がなければ。中の人間が窒息する前に救出する必要があるのもそうだが、今の銃声で見張りが戻ってきても困る。
中へ入ろうとしたが、すぐに足踏みを強いられる。煙はそこまでではないが、ワンルームの狭苦しい部屋の中央に七輪が置かれ、窓にガムテープの目張りがきっちりとしてある。明らかな窒息自殺のための道具立ての数々に、さすがに心が怯む。
酸欠による窒息死は、眠るように死ぬことができる。だから準備の手間さえ惜しまなければ、自殺の方法としてはかなりおすすめの部類だ。昔調べたからよく分かる。手首を切って自殺するより、よっぽど楽だろう。準備するまでに正気に返らなければ……。
「どうしました、ミスター?」
「いや、なんでもない」
マチルダの声で現実に引き戻される。ぼうっとしたのは酸欠のせいじゃない。大丈夫だ。
部屋の中央。七輪の傍で誰か倒れているのが目に入る。顔は見えないが、背格好は鈴郎らしく思われる。
「中は酸欠状態だ。入っていいものか……」
「窓を開けては?」
「ガムテープで固定されている。剥がしている間に窒息しかねない……いやそうだ」
俺の手元には銃がある。そして窒息の方法は七輪であることから練炭による一酸化中毒に違いない。ガスの元栓を緩めたというなら引火の危険もあるが、そうでないなら……。
銃を窓に向け、撃った。三角形を描くように三発、窓に打ち込むと大きく割れて窓が開く。
「これで少しはマシだ」
念のため口を覆って中に入る。倒れている男性を仰向けにしてみると、確かに鈴郎だった。青柳さんに言った通り、俺は弟である彼のことを知らない。だが顔を見ればすぐに分かるくらいには姉とよく似ていた。
銃をその場に置いて、両手で鈴郎を引っ張る。
「すまない……すまない」
「……意識があるのか?」
彼は言葉を発した。まだ意識があるのかと思ったが、どうも朦朧とする中でのうわごとらしい。
「知らなかったんだ。中にいるなんて。……あんな子どもが……」
マチルダが入ってきて、手を貸す。鈴郎は赤貝ほど体格のがっちりしたタイプではないが、さすがに兵士だけあって鍛えているのか重い。成人男性の平均より非力な俺ひとりではなかなか引っ張って動かせなかった。
ふたりがかりで、ようやく鈴郎を部屋の外に引っ張り出せた。
「よし……。うわごとを言えるなら大丈夫だろう。しかしこうなったら救急車を呼ぶしかないな」
国防軍の連中にバレてしまうが、ことはもうそういう領域じゃない。おそらく鈴郎は命に別状ないだろうが、それでも処置を早くしないと後遺症が残る危険もあるのだ。
スマホを取り出そうとして、ポケットを探る。だがそこにスマホはなかった。さっきの騒動で落としたかと思ったが、すぐに探っているポケットが逆なのに気づく。そこでポケットから手を抜こうとして、指が何かに触れる。
「ん……?」
硬い、何か……。
ポケットから摘まみ上げて引き抜く。入っていたのは、銀色のメダルのようなものだった。
「所長代理。それは?」
「いや、心当たりが……」
なんだっけ。
なんか、どこかで見たことあるような。
そのとき。
アパートの外階段を何者かが上ってくる、カツン、カツンという金属音が響いた。俺とマチルダはそちらを見る。
てっきり、見張りが戻ってきたのかと思った。あるいは、赤貝か。
しかし。
現れたのは、まったく予期しない人物で。
「青柳さん…………?」
俺たちの前に姿を見せたのは、青柳さんだった。長い髪を振り乱し、急いでここに来たのが分かる。
いや、だが……なんでここに?
そんなことを考えていると、彼女はポケットから銃を取り出し…………銃?
乾いた火薬の音が爆ぜる。
目の前で鮮血が散る。
「なっ…………」
青柳が撃った弾丸は、鈴郎の右足を貫いた。
「………………っ!」
鈴郎は声を上げず、そのままがくりとうなだれた。意識を失ったのかもしれない。
「なにを、しているんだ君はっ!」
思わず叫んだ。ことここに至って、見張りに見つかるとかどうとか、そういうことを考えている余裕はない。
「どいてよ、理三郎くん。鈴郎を殺すから」
「だから何言ってんだ! そもそもどうしてここが分かった?」
「気づかなかったんだね。あたしがGPSタグを忍ばせたこと」
「…………!」
俺の手に持っている、メダルみたいなもの。そうかこれはGPSタグか。本来は鍵などの小物に取り付けて、紛失したときにスマホで場所を見ることができる道具。だが他人の持ち物に忍ばせたりすることで相手を追跡するストーキング行為に悪用されることもあるという。
実物を見たのは初めてだったから思い至らなかった……。そもそもいつ……ああそうか。あのときか。靖国の資料館で一度、彼女が身を寄せてきたとき。俺は赤貝から送られてきた鈴郎の置手紙を見られないようそちらに意識が向いていたが、彼女はあのときタグを忍ばせていたのか。
なぜそんなことを? それはもう彼女の行動として答えが出ている。俺が鈴郎を見つけたとき、自分も追いつくために。俺たちは国防軍から鈴郎をかすめ取ろうと考えていたが、同じことを青柳も考えていた。
だが分からない。なぜ鈴郎を撃つ?
銃。
銃だ。護身用だと思っていた銃。
マチルダの言った通りだったのだ。銃は誰かを殺すもの。青柳は、鈴郎を殺すために銃を持っていた。マチルダが銃を見たとき、鞄に仕舞ってあったのはまだ鈴郎が見つかっておらず使う機会がないから。ゆえにさっきは、鞄からではなくポケットから取り出した使うタイミングだと分かっていたから!
しかし、なぜ。
なぜ鈴郎を殺そうとするんだ。
「なんで彼を撃つんだ! 君は……彼を探していたはずだ」
「そうだよ。殺すためには、探さないとね」
青柳の声は冷たい。割に付き合いは長い方だが、彼女がこんな寒々しい声を出せるとは、知らなかった。
「鈴郎は自慢の弟だったよ。国のために軍に入って、樺太でロシア人をたくさん殺した。樺太は自分たちの領土だって言い張る傲慢なロシア人を! でも帰ってきたら、軍を辞めたいって言いだすんだもんびっくりしちゃった。なんで辞める必要があるの? 鈴郎は敵をたくさん殺した英雄なのに。何を後悔する必要があるの?」
「…………」
分からない。……分からない?
分かるはずだ。彼女が、何をどう思っているかなんて。靖国での彼女の言葉の端々を思い返せば、明白だった。
俺はただ、見ないようにしていただけだ。
まさか青柳が、彼女が……。
「駄目だよ、ダメダメ。鈴郎は誇りなのにさ。軍を辞めちゃったら自慢できなくなっちゃう。ロシア人を殺したのを後悔して軍を辞めたなんで知られたら、恥ずかしいよ」
昔から知っている彼女が、人を煽って戦場に送るだけの、その辺にいる愚かしい有象無象の
「だから鈴郎には死んでもらうね。永遠に、我が家の英雄でいてもらわないと」
死人に口なし。
本当は死にたくなかった特攻志願兵も、ロシアの少年兵を殺して悔いる鈴郎も、死ねば黙るしかなくなる。
生きたいという願いも殺したくないという想いも声にならず、残るのは勇ましい結果だけ。
英霊が出来上がる。
だから、殺すのか。
「やめろ……」
青柳はただ、銃をこちらに向ける。
そのとき。
飛び出す影があった。
マチルダだ。
彼女は着ていたフライトジャケットをなびかせ、右手を前に突き出す。
その手には、俺が部屋に置きっぱなしにしていた拳銃が――――。
「ま――――」
制止するよりも早く。
銃声が轟いた。
青柳の左太ももで血が弾ける。
がくりと、彼女は姿勢を崩す。
二発目。
今度は左の肩。青柳は一歩、後ずさった。
「――――」
声が、出ない。
三発目。
銃弾は青柳の眉間を撃ち抜き、後ろに倒れていく彼女は、階段から転がり落ちた。
「……………………」
後には。
わずかに口元を歪ませて佇む、ひとりの兵士がいるだけだった。
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