#6:銃声

 子どもを撃ち殺し平然とする少年。英雄視する教師。脅迫状。狙撃手。見つかる狙撃地点。……事態はただでさえ単純ならざる厄介さを帯びていたのに、さらに混迷を極めた。

 影本が卒業式に参加することがメディアに報道されると、すぐにそれはネットで拡散される。二年前に起きた事件とともに。「影本? 誰だっけそれ」と思っていた人たちも、すぐにやつが何者だったか思い出す。

 国守区一帯が騒然とした。少なくとも俺にはそう感じた。どことなく落ち着かない空気というやつが肌を撫でる。単に、俺が影本を守らなきゃならない立場だからそんな気がしているだけというわけではないはずだ。

 三月もようやく日付が二桁になったころ、国守第三高校の卒業式は予定通り行われた。延期や中止も考慮されたようだが、結局決行することにしたらしい。そこにどういう意図と力学が働いているのかは分からない。学校ってのは社会常識や倫理観とは隔絶した理論でものごとを判断するところだからな。

 どのみち依頼を受けたわが社は、影本を警護するという選択肢しかない。せめてもの対応策として、警察の天竺と一緒に説得し、影本の登校時間を遅らせることにした。他の生徒と一緒に登校されれば警備しづらいし、万が一のとき巻き添えが発生しかねない。そこで卒業式が始まる午前十時過ぎくらいに、影本を学校へ向かわせることにした。

 天竺は影本がこの案を渋るかもしれないと思ったようだが、俺は逆にすんなり受け入れると踏んでいた。影本の目的はあくまで同級生を見送ることであり式典に出ることではない。そしてさらに真の目的は、同級生を見送ることですらなく、脅迫に屈しない己を見せつけることだろうと俺は見ている。だからやつは危険性が増すのが明白にも関わらず、メディアに自分が卒業式に出ることを言ってしまったのだ。

 英雄的行為は誰かに目撃されることで初めて英雄的行為として記録される。英雄には語り継ぐ目撃者が必要なのだ。……と、影本が考えているかは知らない。短慮で馬鹿なガキの考えを、こっちが奥深くまで読んでやる義理はない。馬鹿は馬鹿という評価だけを下しておけばいい。

 卒業式当日。

 高校の正門前には、人だかりができていた。

 メディアの取材陣。単なる野次馬。影本を英雄視する一団。それに対するカウンター集団。その四勢力のごたまぜ状態となった。

 前者ふたつはまだいい。メディアは邪魔だし、野次馬は最悪巻き添えで撃たれて死ぬが警備対象じゃない。影本に対する攻撃性もないから放置でかまわない。

 問題は後者の二群である。影本を英雄視する一団とはすなわち、二年前に樺太侵攻推進派として盛んにデモをしていた連中のことだ。そこに日本人以外を撃ち殺してもいいと思っている排外主義者レイシストも加わっているが、それは連中の集団としての性質を何ら読み替えるものではない。

 彼らは影本に対する攻撃性こそないが、別方向への攻撃性を有している。すなわち日本人以外の移民らに対しての攻撃性、である。それは移民らを守る人たちに対しても向けられるかもしれない。連中の中には銃を堂々と持ち歩いているのが何人もいて、単純にそれだけで危険だ。

 とくにこっちには、彼女がいるし……。

「銃を持っている集団がいますが、彼らは……」

「近づくなよ。冗談抜きに撃たれかねないから」

「はい」

 元少年兵の彼女は、しかし連中の攻撃性に対してやや鈍感に見えた。まあ、戦場にいるような兵士とは攻撃性の質が明らかに違うから、彼女の兵士としての直感センスに引っかからないんだろう。マジで銃口を向けられればさすがに反応も変わるだろうが。

 厳密にはロシア系ではないが、実質ロシア系の彼女は連中の攻撃対象だ。近づけないようにしないといけない。これなら彼女は事務所に置いてくるべきだったかもしれないと思ったが、彼女の技術と知識は影本を警護する上でも役に立つ。警察が味方についたとはいえ俺ひとりでは結構厳しいものがある。

 さて、そして問題のもう一群は、カウンター連中だ。

 こっちは、単体ではさしたる危険性はない。武器も持っていないからな。集まって興奮状態になれば暴力沙汰に発展する可能性はないではないが、それを加味してもなお影本ひとりの危険性に遠く及ばない。

 彼らの危険性とはだから、攻撃性を有するという意味での危険性ではなく、攻撃にさらされるという意味での危険性だ。レイシスト連中とぶつかったとき、彼らが攻撃される可能性がある。下手すると火蓋を文字通り切るのが影本ということすらある。それこそ二年前の事件の再演だ。それだけは避けなければならない。

 人道的見地からしても、俺の極めて個人的な目的からしても、今は怪我人ひとりすら出してはいけない。

「君はあの集団に混ざっているんだ」

「影本の警護はいいのですか?」

「そっちは俺がする。あの集団が攻撃にさらされそうになったら守るんだ」

 彼女には、カウンター集団の警護を頼んだ。あの連中に混ざっている方が彼女は安全だろう。影本の傍に寄ったら、それこそレイシスト集団に影本を狙う犯人と間違われて撃たれかねない。

「これを持っていけ。あとこれもして……」

 彼女にボイスレコーダーとメモ帳、それから鉛筆を渡しておく。そしてジャケットの上に無地の黄色い腕章を巻いた。記者のフリ作戦である。影本を守る探偵社の一員と思われると、それはそれで嫌な目で見られかねないからな。身分を偽っておいた方がいいだろう。

 ついでに俺の銃も渡しておこうかと手を伸ばすが、止めた。彼女は根津を撃つにも躊躇がなかった。仮に正当防衛だったとしても、人を殺せば手続き上の処理が面倒極まりない。彼女に銃を持たせるわけにもいかない。

「じゃあ頼んだ。くれぐれも気をつけてくれ」

「了解しました」

 敬礼をして、それから彼女はカウンター集団の方へ走っていく。俺も、影本を警護するために正門前へ移動する。

 正門前では警察の一団が控えていた。その中には根津と天竺もいる。

「探偵……あのロシア娘はどこだ?」

 根津がぶしつけに聞いてくる。

「カウンター集団の中に紛れ込ませた。こっちに近づくとレイシスト連中に撃たれかねん」

「犯人に間違われてか。そうかもな」

「お前が代わりに撃たれてくれれば万事解決なんだがな」

「なんでだよ! 探偵お前オレの扱いおかしくないか?」

 それはともかく。

 天竺の方に向き直る。

「狙撃地点はどうですか?」

「今のとこ、怪しいやつは来てないとさ。お前さんらが特定した狙撃地点三か所、そこにオレらが選定した狙撃視点四か所を加えて七か所、全部に人を配置してるから大丈夫だ」

 さすがに警察はマンパワーが違うな。俺と彼女だけなら一か所に山を張るのが精いっぱいだったが、警察は全部を警戒してなお人手が余る。

「SWATだかSATだかは来てないんですね」

「さすがにな。機動隊が堂々と警護すると『税金で人殺しを守るのか』って苦情が来ちまう」

「それもそうですか」

 スーツ姿の警官が何人も寄ってたかって影本を警護するなら、結局同じ気もするが……。こういうのは雰囲気というか、絵面が結構大事だったりするからな。機動隊が盾を構えて堂々と影本を守るよりは苦情が少なくて済むだろう。

「そろそろ十時か」

 天竺が腕時計で確認する。俺もスマホで確認した。

「探偵、お前さん腕時計持ってないのか」

「必要ないですからね。そういう天竺さんはしてるんですね」

「警察官は時間が大事だからな。ほら、十五時十分犯人確保、とかやるだろ」

「マジでやるんですか。ドラマの中だけじゃなくて」

「後で書類に書くからな。時間覚えてないと大変だぞ」

 腕時計の話が出たので、俺は何となく着ていたウィンドブレーカーの袖を引っ張って手首を隠した。刺青を……もっと言えば傷跡をなんとなく見られたくないと思ったのだった。天竺は、根津と違ってそのあたり鋭そうだったし。

「そういえばそのウィンドブレーカー……」

「……」

 天竺が話を振る。てっきり俺は傷跡を隠したのがバレたのかと思って身構えたが、どうも違うらしかった。

「PJ社のだな。独立して探偵する前はそこだったのか?」

「ええ。非正規雇用の冴えない職員でしたよ」

「PMCの非正規雇用も問題だからな。最近も樺太で非正規の職員が自殺したって聞いたぞ」

 まさかその件に俺と彼女も関わっているとは思うまい。

「……来ましたね」

 などと適当な話をしていると。

 影本がやってくる。

 彼は学校前までタクシーに乗ってやってきた。重役出勤これ極まれりだが、車が一番安全だから仕方ない。警察車両で送り迎えすると、それはやっぱり苦情を招くのでここまでは自力で来てもらった。

 車から影本が降りてくる。メディアの取材陣が彼を取り囲もうとするが、先んじて警察が連中を押さえ、影本を正門まで案内する。俺も天竺たちと一緒に彼に近づいた。

 影本はそれこそスターにでもなったかのように、手を振ってメディアに応じていた。英雄様様というわけか。レイシスト集団からは歓声が、カウンター集団からは怒声が響き渡る。

「早くこっちにこい」

 俺は影本を引っ張って正門へ連れて行く。

「なんだよおっさん。やけに苛立ってるな」

「人の命がかかった現場で平静になれるほど達観してないんでな。それにこの場で怪我人ひとりだって出たら困る」

「依頼がふいになったらあの子が学校に通えなくなるもんな」

 ……事情はさすがの馬鹿でも察していたらしい。じゃあなおのこと挑発するなという話だ。

「本当に狙撃されないんだろうな。俺を守ってる警察が盾になってくれるのか?」

「それこそまさかだろ。狙撃地点に人を置いてる。もし犯人が現れれば狙撃の前に確保できる」

「ふうん」

 どれだけ粋がろうと自分の命を狙われているという状況にまったく怯えがないわけでもなかったらしい。ずいぶんと、やつは警備状態を気にしていた。

「ならいいけどよお……」

「いいから早くしろ。校舎内に入ってしまえば安全だ」

 周囲を警戒しながら引っ張っていく。あと少しで正門を潜れる。メディアも野次馬も正門から先に入ることはできないから、そこさえ抜ければ後はスムーズに校舎へ移動できる。

 が、なかなか、そう簡単にことはいかないもので。

「あっ、待て!」

 根津が守っていたところからするりと、誰かが潜り込むように抜けてきた。

「人殺し!」

 飛び出してきたのは、まだ小学生くらいの少年だった。日本人……少なくとも外国籍であることを推定させる外見的特徴はない。一瞬、どっち側の人間か分からなかったのとまさかこんな子どもがいるとは思わなかったので硬直したが、少年の続けて発した言葉で我に返る。

「お前が殺したんだ……! マーちゃんを……。なんで殺したんだよ!」

 少年は影本の殺人を非難した。それだけで立場は鮮明になる。

「おい、こら!」

 根津が少年の手を引っ張って引き離そうとする。だが少年は逆に根津を押して突き飛ばした。根津がひっくり返る。使えない刑事だな。

「…………ちっ」

 影本が舌打ちをする。

「うるせえガキだな。さてはテメエが俺の命狙ってんのか?」

 腰から、銃が引き抜かれ…………て、え?

 こいつ……卒業式の日にまで銃持ってきてやがる! しかも子どもに向けるか! 二年前の事件をやっぱり何も反省してない!

「待てっ! 撃つな――――」

 言ってみたが、とはいえ、銃の引き金に指をかけた人間から安全に銃を奪うのは難しい。既に影本は狙いを定めてしまっていた。

 せめて狙いを逸らそうと、俺は腕に手を伸ばすが……。

 一瞬早く、銃声が轟いた。

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