#3:捜査開始
すぐに警備兵が呼び出され、警察にも通報されることとなった。
収容所を管轄する樺太警備はPMC、すなわち民間軍事会社であって警察ではないからだ。こうした状況に対する捜査能力を持つのは警察か、あるいは
警備兵が到着し、ひとまず少女を現場から連れ出していくのを横目に見ていた。ただ警備兵たちの動きはそこで止まる。何らかの問題が発生した折、とりあえず捕虜を隔離するというのはマニュアル化された動きなのだろう。しかしその次がない。暴動ならともかく、こんな殺人事件は警備兵の想定する事態ではない。
警察が到着してからどうのこうのするのも嫌だし、ここは俺が動こう。探偵も捜査能力を持つ人間ではないのだが、今は動いた方がいいという直感が働いた。なんというか、ここで自発的に動いておかないと後が面倒だぞという警告が発せられた気がしたのだ。三十数年生きていると、なんとなくそういう場面というのは分かるようになってくる。
ものぐさでいてはいけない時と場所がある。
「失礼。俺は探偵です」
懐から探偵バッジを取り出して見せつつ、集まっていた警備兵に伝える。
「警察が来るまで現場を保存しておきたいのでご協力ください」
自分たちのテリトリーで探偵が勝手に振舞ったら反発するかもしれないと思ったが、そんなこともなくすんなりと警備兵たちはイニシアティブをこちらに譲ってくれた。いらない人員は警備に戻り、面会室には俺と門倉、それから二人ばかりが残る
「これは……しかしいったい……」
門倉はまだショックから回復していない。とはいえ、取り乱し方は許容範囲内だ。パニックを起こされたり盛大に吐かれたりしていないだけいい。
こういうときはこっちから質問を投げかければいい。
「これが誰か分かりますか」
「ええっと……ああ、芦原さんです」
「なるほど……」
芦原……俺がここへ来る途中にすれ違った男二人が話していた人物かもしれない。ひょんな偶然もあったものだ。一応、屈んで胸元の名札を確認すると、確かに芦原の名が書かれていた。
死因は……こめかみを撃ち抜いているな……。しかし左のこめかみか。芦原は左利きだったのか。見ると、なるほど左手に銃が握られている。左手首には安物の時計が巻かれ、カチカチと秒針が音を立てているのも目に入る。
俺は銃に手を伸ばし……そこで手を止める。おっとっと。そのまま触ったらまずい。
手袋を取り出し、はめる。そのとき、ちらりと自分の手首の内側に彫られた刺青が見えたが、すぐ手袋に隠れる。
「自殺でしょうか」
門倉が聞いてくる。
「ぱっと見はそう見えますね」
椅子に座り、左手で銃を持ってこめかみに当て発射。死亡後、机に突っ伏した。そう見える。
銃創は……確認が難しい。俺に検視の能力は皆無だ。銃口に血が付着しているから、かなり近場で発砲したのは間違いないが……。
銃に軽く触る。銃は……これは俺でも知っている。
こんなとき、相棒がいたらなあ。あいつなら銃の種類も、傷口についても詳しくてすぐいろいろ気づく。
「…………」
いないやつのことを考えても仕方ないか。他に分かりそうなことは……。
「なんだこれ」
警備兵の一人が床から何かを拾い上げる。それは空薬莢だった。使われた銃がリボルバーでないのなら、当然排莢されてどこかに転がっているとは思っていたが……。
「なんか太くないか、これ」
もうひとりの警備兵も覗き込む。言われてみると、空薬莢は拳銃弾サイズではあるのだが、普段よく見る9mm弾よりはずんぐりしているように見える。45口径だろうか。
受け取って、薬莢底面に刻まれた刻印を確認する。
「『.40S&W』……。40口径弾? また珍しいものを……」
しかし……どうだったかな。USPに40口径のモデルはあっただろうか。もしないなら、それは何を意味する?
「しかし探偵さんよお、そんな熱心に調べても仕方ないだろ」
警備兵のひとりが言う。
「犯人はあのガキで決まりなんだからな」
「……と、いうと?」
「いや分からねえのかよ」
警備兵は肩をすくめる。
「芦原……だっけ。まず面会室にガキが入ってたんだろ? そこにどうしてか芦原が入った。で、ガキが銃で殺した。それだけだよ」
「…………」
ああ、そういう筋書きになってしまうのか。俺は彼女が殺人をするとは考えていなかったので、むしろ盲点だった。
いや。
これも変な話だ。どうして俺は彼女が殺人をしないと決めてかかっているんだ。子どもだから? 一応は知っている相手だから? それとも……あいつに託されたから?
彼女の経歴は知っている。そして経歴だけを見れば、警備兵の言い分の方が正しい。なるほど、俺が動くべきというのはそういうことか。やはり直感には従うべきだな。
このままでは彼女が犯人に仕立て上げられる。……あくまで理論的に言えば彼女が犯人である可能性は残っているが、それは検討に値しないと俺は理解しているから無視だ。無視だが……それはそれとして、彼女の疑惑を晴らす必要がある。
「彼女が犯人という可能性は低いでしょう」
俺は薬莢を机の上に置き、警備兵に反駁する。
「彼女は身元を引き受けられ、収容所から出る予定があった。ここでの待遇はどんなものか知りませんが、自由の身になれるチャンスをわざわざ棒に振りますか?」
「それは……その芦原がガキを襲おうとしたとか……」
「なら正当防衛も視野に入りますし、殺害に正当性があるなら彼女が真っ先にそれを主張するでしょう」
それに……机を見たが、取調室らしい造りの部屋ではあっても、机は固定されていないようだ。暴れればそれなりに乱れる。だがこの部屋にはその様子がないし、それは芦原と彼女、ふたりにしても同じ。つまり芦原が少女を襲い、それでやむなく殺したという線はどのみち消える。
「そこが妙なんですよねえ」
門倉が言った。
「仮に時系列を定めないとして……。芦原さんが先に入っていて死んだところに女の子が入ったにせよ、その逆にせよ、芦原さんが死んだ時点で彼女が人を呼ばなかったのは不自然ですね」
それは、そうだな。芦原がどう死んだにせよ、少女はしばらくの間、死体と面会室で向かい合っていたということになる。なぜ少女は芦原の死体を発見したタイミングで、人を呼ばなかったのか。
「…………」
ただ……これはまだ確証のないただの勘だが、俺はそこはさして重要じゃないと思っている。彼女という人間に限り、それは起こりうることだと思っている。
少なくとも、あいつから聞いていた彼女の人となりを考慮すればあり得る話だ。
だからむしろ重要なのは、周辺だ。なぜ芦原は死んだのか。どういう経緯で死んだのか。そこら辺を明確にしておかないと、この少女の不審行動を説明するのに苦慮するだろう。
「自殺にせよ他殺にせよ」
俺は話を少女の件からずらした。
「銃が使われたのは間違いないでしょう。銃声は聞こえなかったんですか?」
「あー……」
警備兵が思い出すように顎を掻く。
「ここ、基地が近いからなあ。銃声は割とよく聞こえるんだよな」
「あ、でもよお」
もうひとりが何かを思い出したらしい。
「昼休み頃、一発だけやたら響いた銃声が聞こえなかったか? 昼休みが終わる頃だから十三時近くだ」
「そういえばそうだな。ひょっとしてあれ、面会室で撃たれた銃声だったのか?」
その可能性は高いだろう。まあ俺自身が聞いてない以上何とも言えないが、そこら辺は警察が芦原の死亡推定時刻を割り出せばはっきりする。
「十三時ごろ……。あの子が面会室に通されたのは?」
「探偵さんが十四時ごろに来る予定だったので、あらかじめ十四時には通してました」
門倉が答える。なるほど、それが正しいなら、まず芦原が面会室に入り死亡、その後に彼女という順番になる。
「ところでこの張り紙は……」
面会室の扉の内側に貼ってある紙を見る。掃除当番が掃除をしたのを記す紙だ。
「掃除をいつ行ったか書いてあるみたいですね。それによると今日は十一時過ぎに佐藤さんが掃除をしたと」
「ん? じゃあ芦原が面会室に入ったのはその後ってことか?」
警備兵が尋ねる。
「そうなるんじゃないですか。俺はこの収容所の清掃業務は知らないですけど。芦原さんを最後に見たのはいつですか」
「俺らは管轄が違うから知らねえな」
「十時ごろには見たと思います」
これには門倉が答えた。門倉は首をひねったが、そこではっきりと思い出したらしい。
「ああ、確かに十時過ぎのはずです。朝の見回りを終えるのがいつもその時間で、戻ってくると芦原さんが課長にさんざん怒鳴られてましたから」
「怒鳴られていた?」
「ええ。断片的にしか話は伝わってきませんでしたが、射撃練習場でバケツをひっくり返したとか、反省文だとか……」
じゃあここで死んでいる芦原は俺が来る途中に聞いていた芦原と同一人物で間違いないのか。
すると芦原は十時過ぎに上司から反省文を強要されて、そこから先は目撃……されていないかもしれないな。どこで反省文を書いていたのかにもよるが、俺の聞いた話が正しいなら反省文はただちに書かれたはずだ。ゆえに交代の時間に芦原は通常の勤務に復帰できなかったと……。
今分かるのはこんなものか。どのみち、最も重要な人間から話を聞かないことにはこれ以上の捜査の目途は立たないだろう。
「今、彼女はどこに?」
「ひとまず他の収容者にこの騒ぎが伝わるとマズいですし、彼女が犯人の可能性もあるので懲罰房で隔離してます」
懲罰房あるんだ、ここ……。まあいい。隔離されているならむしろ好都合か。
「会うことはできますか」
「それは……可能です。案内します」
門倉に連れられて、俺は一度面会室を後にした。
懲罰房へ向かうには、一度収容者たちが暮らす区画を通過する必要があった。刑務所と違い、明確に区切られているというわけではないはずだが、やはり収容者が大勢いるところは少しだけ、雰囲気が違っている。ロシア人ばかりだから当然と言えば当然だ。捕虜の収容部屋は監房のような鉄格子ではなく、どちらかと言えば病院の入院棟のような造りになっていた。それだけ、ここの収容者を警戒する必要が薄いということなのだろう。実際、収容者たちを見ても、彼らが本当に元兵士なのか怪しいところがあった。どことなく覇気に欠け、けだるげな人が多い。とはいえ、それも当然か。戦争でロシアに強制動員され、捕まって日本に来て、いつ帰れるとも知れないとなれば無気力にもなろう。その中でも少しだけ精力的に動き回っている人たちは、門倉の言っていた帰還や解放の目途が立った人たちなのだろう。
収容者の暮らす区画を通過し、懲罰房は少し離れたところに位置していた。これなら芦原が死んだ事件のことを他の収容者に漏らすことなく話ができそうだ。折よく、懲罰房に他の人はいないらしいし。
「入るぞ」
門倉が鍵を使って懲罰房を開く。さすがに懲罰房はやや独房めいている。ベッドとトイレしかない狭苦しい部屋だ。件の少女はベッドに腰かけてぼうっとしていたが、俺たちに気づくと姿勢を正した。背筋を伸ばし、きちっとした姿勢でいることが身に沁みついているようであった。
「椅子を」
「どうも」
部屋の外にあったパイプ椅子を門倉が持ってきてくれる。そして俺の後ろに控えた。
俺は椅子に座って、彼女と相対した。
「…………」
「…………」
俺と彼女はしばらく、無言で向かい合う。
彼女は……警戒している、のだろうか。目の前に知らない男が現れて、どう対応しているのか迷っている……? いや、迷っているという素振りではなく、命令が入力されていないコンピュータのようにフラットで無機質だと感じた。
無感情。彼女の表情からは何も読み取ることができない。退屈、困惑、不安、焦燥……。今の彼女の立場なら感じていそうなあらゆる感情を読み取れない。
悪い意味で「お人形さんみたい」だと思った。
俺から何かしらアプローチを仕掛ける必要があるらしい。
とはいえ、どうしたものかな……。どうやって話しかけたものか。身元を引き受けると決めてからいろいろ考えたが、どうにもなあ。
同じ人間を知っている同士ではあっても、肝心の俺たちが実質初対面というのはやりづらい。やりづらいが……大人がそうも言ってはいられない。
「どうも。俺は東京の404Notfound探偵社から来た羽柴理三郎だ。なんかいろいろ面倒なことになったが、君を引き取りに来た」
「伺っています」
間髪入れず、滑らかに差し込まれるように少女が言った。
彼女は明らかに日本人ではないが、流暢に日本語を話した。
「あー、そうだ、東京って分かる?」
「日本の首都だという知識はあります」
「探偵は?」
「二〇一〇年代に日本で制定された法律に基づく個人事業者――厳密には小規模な民間軍事会社に近しい立ち位置だという情報を持っています」
「じゃあ俺のことは?」
「初対面です」
うむ。この調子なら覚えていてくれると思ったんだが、そう甘くはないか。
だが少なくともコミュニケーションはできている。ならばよし。
「羽柴様……失礼。階級が不明なのでそうお呼びしますが、羽柴様は小規模民間軍事会社すなわち探偵社の社員という認識でよろしいでしょうか」
「ああ」
おっと、向こうから質問が飛んできた。いい兆候だ。
「社員というか、所長代理だ。ひょんなことから、今は俺が一番トップということになっている。ちなみに階級はない。軍隊じゃないからな」
「承知しました。では初対面の羽柴所長代理がわたしの身柄を引き受けるということは、探偵社の社員として雇用するという形式だという理解でよろしいでしょうか」
「………あー」
そういう認識になるか。
「いや、違う」
「…………?」
そこではじめて、彼女は不思議そうに目を丸くした。そういう表情もできるらしい。
「無論、君の進退は今後の課題だから、場合によってはうちで働くことになる可能性もあるが、今はそこは置いておいてもらいたい。俺が君の身元を引き受けに来たのは、探偵社とはまったく関わりのない……わけではないんだが、まあなんだ、仕事とは違う」
「意味をとらえかねます」
あまり不鮮明で有耶無耶な言い方は混乱させるか。
「宍道志郎という名前を聞いたことがあるか?」
「いえ、初耳です」
「じゃあ、レオン――――」
と、そこで。
俺がその名前を口にした瞬間だった。
少女は立ち上がる。稲妻に打たれたように。
あまりに突発的な行動だったために、すわ暴力的行為に及ぼうとしたのかと思ったのか、後ろで門倉も慌てたように音を立てる。だが彼女は立っただけだった。だが、その反応はあまりにも激甚だった。
「レオン大尉……」
「…………」
彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「大尉は、今どこにいますか!?」
動揺、不安、期待、焦燥……。さっきとは打って変わって、彼女の感情を表情から読み取るのはたやすかった。俺はそのことに、一方では安堵した。彼女にきちんと感情が備わっていることにほっとした。
だが一方で、むしろそうであってほしくなかった自分もいた。彼女が完全に心を失った機械のような人間なら、とても扱いやすかったから。
「志郎……レオンは、今は君に会えない」
言葉は、スムーズに出た。これは練習していたから。
「これは日本人の俺より君の方がよく分かると思うが、彼は立場上かなり難しい状態にある。君に会いに来ることができない。だから知り合いの俺が、君を引き取りに来た」
「知り合い……」
そう。
それが相棒の頼みだった。だから俺は、今こうしている。
「まさか、あなたがミスター・デュイット?」
心臓が、びくりと跳ね上がる。
あいつだけが知っている俺の綽名を、彼女が言ったから。
「ミスター・デュイット?」
今まで黙って俺たちの成り行きを見ていた門倉がさすがに疑問そうに呟く。そりゃあな。明らかに日本人の俺にはどうもしっくりこない綽名だろうから。
「手首を……」
少女はそう言って、一度目元を拭う。息を吐き、力を抜く。
次の瞬間には、「お人形さんみたい」な、無機質な少女に戻っていた。
「手首を見せてもらえますか」
「ああ」
俺はウィンドブレーカーの袖をめくり、手首を見せた。
俺の両手首の内側には、鎖の刺青が彫られている。これが俺の特徴だと、彼女はレオンから聞いていたのだろう。そのおかげで話が早い。俺とレオンが知り合いであるということをどう彼女に納得させるかは少し悩みどころだったんだが、さすがにレオンはそのあたり抜かりがない。
「………失礼しました。羽柴所長代理、いえミスター」
背筋を正し、少女は敬礼する。
それは彼女の年齢にはあまりにも不釣り合いな、軍人として洗練された所作だった。
「レオン大尉の復帰まで、
「ああ、そうしてくれると助かる」
今はまあ、それでいい。きっと後でいろいろ苦労はするだろうが、今のところはそれで。
こうして俺と彼女は適切とは言えないが関係を持つにいたり、現在の懸念事項である芦原殺しの一件に取り掛かれるようになった。
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