#404NF:銃大国日本探偵録
紅藍
第一章:死を思えぬ者たち Memento mori
#1:樺太にて
樺太侵略……ああいや、侵略と言ってしまうと一部の人に怒られるのだったな。いわゆる樺太紛争が終結してそろそろ一周年が経とうというころで、樺太はさぞやお祝いムードに包まれているのだろうなと、俺は素朴にそんなことを思っていた。
終戦ってのは目出度いものだ。たとえそれが、自分から仕掛けた喧嘩であっても。
しかし空港を降りて、そんな適当でほわほわした春の綿毛みたいな気分は霧散した。
いや霧散したというか押しつぶされたというか。
雪に。
「……さむっ」
東京だってまだ春と呼ぶには寒い三月上旬だったが、樺太は真冬の極寒のままだった。終戦一周年記念のお目出度い雰囲気など、雪が全部押しつぶしてしまっていた。北海道よりさらに北に位置する樺太はサハリン州、今は日本国北海道特別管轄区樺太自治区豊原市は、吹雪いてこそいないもののしんしんと降り積もる雪に、すべての高揚感を潰されていた。
あるいは、もともとそんなものはないのかもしれないが。
失敗したなと思う。まあ俺の人生はその半分以上が失敗なんだが、今回の失敗は極めて単純、服装を間違えた。下にきちんとセーターこそ着込んではいるものの、アウターがウィンドブレーカー一枚というのは判断ミスも甚だしい。これならちゃんと、ネットで樺太の気温を調べて来るべきだったと思う。その反面、どうせ気温の数値だけ見たって寒さなんて想像もできないんだからどのみち失敗していた気もするのだ。適切な手順をとれば失敗しないという考え方は、いかなる手順を踏んでも失敗という陥穽に落ちることもあるとまだ知らない中学生の理屈だ。
とはいえ、今回の失敗は大したことではない。俺は別段、樺太に観光へ来たのではないのだ。その目的のおおよそは室内で果たせるのだから、移動の際に少し寒いのを我慢すればそれで済む。我慢はできる。大人だから。
ゆえに今の懸念事項は終戦一周年記念ムードがどこにもないことではなく、当然寒いことでもなく、空腹でありまた予定の時間より早く空港を出ているということだ。
国内旅行ですら経験の乏しい身。ましてや樺太への飛行機移動など人生で二度目のことだ。その上一度目は経験としてカウントしていいか怪しいと来ているものだから、空港でどれだけ時間を使うか想像もつかなかった。ゆえに早め早めの行動を心掛けたわけだが、おかげで時間的猶予がある。最悪昼飯は移動中のバスの中で
どのみち、目的のバスが出るバスターミナルは空港から離れて豊原市の街中であり、そこまでは歩くのだ。バスターミナルに向かう道中、適当な食堂を見つけたら入るとしようか。
そんな軽い気持ちで、俺は樺太の街を歩いた。数年前まではロシアのものだったのか日本のものだったのか何ともあやふやな土地だったのに、今はもう日本語の看板があちこちに並んでいる。歩いているのも日本人ばかりだ。ここに住んでいたロシア人はどこに行ってしまったのか。それは考えないのが「賢い大人」というやつなのかもしれない。
しかし俺に関しては、そう賢しらに振舞ってばかりもいられなくなるのかもしれないが。
歩いていると、軍の放出品を扱っているらしい店を見つけた。店頭にはミリタリージャケットがいくらも掛けられている。そういえばこんな感じの店、アメ横でも見たことがあったなと思う。ジャケットの薄汚れた感じやどこかくたびれた感じからして、ミリタリー風ではなく実際に使われていたものなのだろう。日本の国防軍が使っていたものから米軍のもの、果てはロシア軍のものまで様々ある……はずだ。俺にはそれらの区別などあまりつかないから分からない。
たぶん暖かそうでひときわくたびれていて、それからかなり値段が安いのがロシア軍のものだろう。なにせつい一年くらい前まで敵だった国の装備なわけだから、どうしたって人気が落ちる。人気がないなら安くなる。道理だな。
よっぽどここでジャケットを調達してしまおうかと思ったが、やめた。荷物を増やすのは趣味じゃないし、ミリタリー系も趣味じゃない。ロシア軍のジャケットなんて着た日には冗談抜きで撃たれかねないし。樺太じゃどうか知らないが、本州ではロシア系移民が最近また二人撃ち殺された。後でロシア系ではなく東欧系だと判明して大騒ぎになっていた。
俺はジャケットを扱っている店を尻目に、先を進む。少し歩くと、大衆食堂が居を構えていた。樺太まで来て東京にもあるようなチェーン店に入るのも情緒がないし、かといって店を探すのも面倒だ。ここでいいだろう。いかにも個人経営の店だが、樺太の土地事情を考えれば昔からやっているというわけではあるまい。わざわざ樺太まで来て個人で食堂を経営するくらいだから、腕にはそれなりの自信があるのだろうと適当に考えてみる。
『もし不味かったら? それも旅の思い出だ』
「…………」
不意に、昔の相棒の言葉を思い出した。あいつはそういう、ポジティブなやつだった。今にして思えば、あいつにとって不味い飯などそうなかったのだろうというのが実際のところなのではないか。軍用レーションに比べれば、温かい食事なら大抵うまい。そういう環境で育った男の言うことを鵜呑みにしても詮無いことだ。
店に入る。中は暖房が利いていて暖かかった。それだけで十分助かる。マットの上できっちり靴の雪を落としながら入る。カウンターが八席、テーブル十席。それなりに広い。東京じゃ狭苦しい店ばかりだから、広いというだけで少し新鮮な気分になる。
店には店主らしい女性がひとりと、カウンター席に常連らしい男がひとり。額を寄せ合って話していた。内緒話でもないだろうが、そうやってこそこそ話すのが彼らの性分になっているらしい。それこそロシアじゃあるまいに、秘密警察などうろついて……ないよね? 樺太を管理する樺太方面隊がどういう威光を光らせているのやら、俺には分からん。関東軍しかり、中央から離れた軍隊は何をしでかすか分からないからな。
「ご注文は?」
店主の女性がカウンター越しに聞いてくる。俺はテーブル席のひとつに着きながら、適当に目に入ったメニューを言った。
「山菜天ぷらそば」
「はいよ」
水は……おしぼりと一緒にセルフサービスか。客あしらいが雑で、ずいぶんな殿様商売っぷりだが、これくらい粗野な方が樺太ではいいのかもしれない。
着ていたウィンドブレーカーを椅子に引っかけ、鞄を使っていない椅子の上に置き、カウンター横の給茶機を使う。おしぼりも一枚持ってテーブルに戻ると、こそこそと店主と常連の男が話しているのが聞こえてくる。
「銃、持ってるね」
「あんな陰気な男も軍人なのかねえ」
陰気で悪かったな。
俺の左腰にぶら下がっている拳銃が気になったらしい。これは仕方ない。アウターを着ていると隠れるのだが、脱いでしまえば見えてしまう。見えれば気になる。なにせ銃。人を殺す道具だ。そんなものを堂々と下げているやつとお近づきになりたくないし、どんなヤバいやつなんだろうと思ってしまうのは当然のことだ。
置いてくればよかったかな。今回の仕事で使う予定もないことだし。とはいえ護身用の銃を携行しておかないで、なにかあったらどうするんだということでもあり……。
せめて
「二十年くらい前は日本人で銃持ってるなんて、警官と自衛隊くらいだったのにねえ」
「今じゃそこら中ぶら下げててさながら西部劇だ。うちの息子も何丁も持ってる。あんなに持ってて何を撃つんだか。国防軍に志願して露助を撃ちには行かなかったくせに」
こそこそと、店主と客は会話を続けている。話は俺の銃を見たことで、銃規制緩和の話に飛んだらしい。意外とインテリというか、政治的なことを話す御仁たちだ。
二十年くらい前か……。俺がまだ中学生くらいだったころかな。日本で銃規制が緩和され、いきおいアメリカに次ぐ銃大国になったのは。当初はとんでもないことだとみんな言ってたのに、三年経ったら銃乱射事件のニュースを聞きながら朝食を食べるようになっていた。そういえば、自衛隊が国防軍に改編されたのも同じ時期だったな。ふたつを合わせて日本が戦争をする国にするための改正だと盛んに言われたものだ。
軍靴の足音が聞こえるなんて言えば、当時はだいぶ笑われたものだが……。どっこい二十数年後の今、比喩でもなんでもなく外では軍靴を履いた男たちが闊歩しているわけだ。
店主と常連の会話をずっと盗み聞きしているわけにもいかず、俺は何か暇をつぶせるものはないかとあたりを見る。……なんて大仰なことでもなく、すぐにテレビがついているのを見つけ、これ幸いとそちらに目線を送った。テレビではニュースが流れていて、それは何かのワイドショーのようだったが番組名が分からない。仕事柄テレビには一通り目を通しているのだが……樺太か北海道のローカルだろうか。
その番組は討論会のような形式を取っていて、スーツを着た堅苦しい男たちが岩みたいな顔をして何事かを話していた。どんな内容かと思ってみていると、すぐにCMに移ってしまった。
『お客様の銃を素敵にカスタム。こちら樺太ウェポンサービス、KWSです。ロシア軍が使用していた古い銃をお持ちではありませんか? マカロフ、モシンナガン、SKS……銃を現代風にアレンジするカスタムキットを販売しております』
「山菜天ぷらそばお待ち」
無造作に、そばの入った丼が俺の前に置かれる。卓の上にある割り箸を取って、適当に啜った。クタクタの麵。自分が家で乾麺からそばをゆでたときと同じ味。旨いとはいいがたいが、不味くないならそれでいい。
『樺太ニュースタイム。今日の議題は広がる非正規雇用格差。現在、日本の多くの職場で非正規雇用の職員が働いています。正社員と同じ仕事をしながら、給料は安い彼らの存在が、日本にどんな影響を及ぼすのか。特に近年ではPMCという新しい形態の職場ですら非正規雇用が広がっているとのこと。地元のPMC樺太警備局の方をお招きして、議論を進めてまいりたいと思います』
CMが明けてニュースに戻る。ご丁寧なことに、途中から見た人のために話の流れをアナウンサーが解説してくれた。非正規雇用か……つい最近まで自分もそうだったから、あまり他人事には思えないな。
じゃあ今がより安定した雇用形態かというと、全然そんなことはないが。むしろ雇用される側からする側に、どうしてか回ってしまって四苦八苦だ。
ままならないな。
『PMC樺太警備局は樺太での日本人雇用を創出していると盛んに喧伝しています。しかしその大半が非正規雇用との指摘があります。中には退役軍人のような、きちんとした経歴と技術を持った人間すら非正規で使っていると。その点はどうお考えですか?』
『ご指摘には当たりません。PMCは危険性の伴う業務ですので、そこで働く労働者……コントラクターと呼ばれる銃を持つ人たちはすべて、正規雇用でまかなっております。非正規雇用は事務員に限定されておりまして……』
『いやそういう話じゃなくてですね……。それについ先日、コントラクターも非正規雇用――――』
そこでテレビのチャンネルが切り替わる。店主がおもむろにリモコンを操作したのだった。あまり内容を気に入らなかったのかと思ったが、すぐに店主は常連との会話に戻っており、番組を気にしている様子はない。単なる手癖なのかもしれない。
テレビは全国放送のニュースに切り替わり、東京で起きた銃殺通り魔事件について報道していた。俺はテレビにも興味を無くし、そばを啜った。
それが、樺太という、いつの間にか日本のものになっていた土地での昼の出来事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます