雪山に現れる美妖怪が雪女とは限らない

宇部 松清

第1話 吹雪の山にて、雪男と出会う

 これは寒い寒い北国の話。

 険しい山に囲まれた、小さな村があった。そこに茂作もさくという年寄の木こりと、美濃吉みのきちという若い木こりの父子おやこが住んでいた。


 この二人は冬になると、鉄砲を持って山へ入り、猟をする。いつもなら、兎やら狐やらを仕留められるのだが、今日はなかなかうまくいかない。その上、天候は急に荒れ、一寸先すら見えなくなってしまうほどの猛吹雪に襲われてしまった。こうなれば無理に下山する方が危険である。二人は何とか山小屋を見つけ、そこで夜を明かすことにした。


 こういったことは珍しくはない。

 だから、茂作も美濃吉も、特に焦ることもなかった。囲炉裏の火をおこし、携帯していた握り飯をそこで温めて食べ、ごうごうという風の音を子守唄にして横になった。


 真夜中である。


 美濃吉は、寒さに震えて目を覚ました。

 見れば、火は消えてしまっており、うっすらと戸も開いている。火が消えてしまったために小屋の中は暗かったが、その、薄く開いた戸から漏れる月明かりでちらりと見えるのは、囲炉裏の向こう側で横たわる父、茂作である。彼はというと、この寒さでも平気なのか、目を覚ます気配はない。

 吹雪は多少おさまったようだが、それでも戸が開きっぱなしでは凍えてしまうし、火だってまだ必要だろう。そう思い、美濃吉はまずは火を熾すことにした。


 と。


 パチパチと薪の爆ぜる音を背に、戸を閉めに行こうと立ち上がった時、美濃吉は気が付いた。


 茂作の枕元に、誰かが座っているのだ。

 淡い橙色の灯りでは表情まではよく見えなかったが、白い着物を着た、細身の人物であるらしい。長い髪を一つに結わって肩に垂らしているところから推察するに、女だろう。彼女もこの吹雪で下山出来ず、避難してきたに違いない。


 美濃吉は、一瞬のうちにそう考えた。


 この小屋はそういった者達が利用するためのものであり、このようなことも稀にある。ただ、ほとんどの場合、それは馴染みの猟師仲間であった。つまりは自分達と似たような年恰好の男だ。


 美濃吉は、早くに母を亡くし、茂作と二人暮らし。むさくるしい男所帯である。

 正直言って、若い女に飢えている。


 何、こういう時には人肌で温め合うのが一番と言うではないか。

 すぐそこには父親がいるが、よく眠っているようだし、問題はない。


 そんなことを考えて、彼は立ち上がった。


「おい、そこの女」


 言うや矢庭に距離を詰めると、依然として茂作の枕元に座っている女の肩を抱いた。


 ――が。



「男じゃねぇか! 紛らわしいっ!」


 肩を抱き、その唇を奪おうをしたところで、美濃吉は気が付いた。女とばかり思っていたその人物が男である、ということに。


 確かに線は細いし、髪も長いが、華奢に思えたその肩はなかなか立派な筋肉に覆われており、顔つきも女にしては少々いかつい。ただまぁ、美男の類ではある。それが尚更悔しい。


「あなたが勝手に勘違いしたんでしょう!」


 そしてその男の方もまた、美濃吉に負けじと声を張り上げて来た。若い野郎が二人、大声でやいやいと叫んでいては、さすがの茂作も目を覚ます。


「おい、何なんだ、うるせぇな」

「あっ、親父。聞いてくれよ、こいつ、男だったんだよ!」

「僕は生まれた時からずっと男です! それをあなたが勝手に女と勘違いして迫って来たんでしょう! 厭らしい!」

「い、厭らしいとは何だ! こういうところに若い女と男が二人でいたら、そうなるんだよ!」

「おい、若くない男もここにいるんだが」

「親父は黙ってろ!」

「聞いてくれって言ったくせに……」


 せっかく気持ちよく眠っていたところを起こされたかと思えば理不尽に怒られ、茂作は「昔は優しい子だったのに」とそっと涙を拭った。


「そもそもお前、何なんだよ。そんな着物一枚で山に入るとか、死にに行くようなもんだろ、山舐めてんのか!」

「舐めてませんよ。ていうか僕は一年中この恰好ですし、第一、この山は僕の庭みたいなものです。僕から言わせてもらえば、あなたの方が山を舐めてますよ」

「何だと?!」

「山の天気は変わりやすいんです。どうしてもっと早くに下山しなかったんですか」

「それは……獲物を一匹も仕留めずに帰るなんて出来なかったというか」

「獲物と自分の命とどちらが大切なんですか!」

「そりゃあ自分の命だけどよぉ。……って、お前は何なんだよ! 偉そうに! 一年中その恰好だぁ? 嘘つくんじゃねぇ! 夏ならまだしも、こんな真冬にそんな薄っぺらい着物一枚なんて、雪女でもあるまいし!」


 と、口にしてからその存在を思い出す。

 

 大声を張り上げていたせいで一時的に上がっていた体温が、急激に冷える。いやまさか、そんなはずはない。雪山に出る妖怪というのは『雪』なのだ。だからこいつは妖怪ではない。


「そりゃ雪女ではありませんけど――」


 案の定、その男はそう言った。だよな、と美濃吉はほっと胸を撫で下ろす。


「雪男ではあります」

「!?」


 その言葉に、美濃吉はもちろん、何かもう面倒臭いから二度寝するか、と再び横になった茂作すらも、がばりと跳ね起きて驚いた。

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