第63話 深窓の令嬢がじゃじゃ馬娘になっていた件

 侯爵は部屋の中を右往左往しながらフレーデリックの帰りを待つ。歩きつつふところから懐中時計を取り出し、時間を確認し、懐へしまう。それを何十回と繰り返している。




 物音に気づき、振り返った侯爵はマイラを抱いたフレーデリックの姿を認め、近寄りマイラを抱きしめた。


 フレーデリックに降ろされた瞬間に父に抱きしめられて、マイラは目をみはる。


「深窓の令嬢だとばかり思っておったが、とんだじゃじゃ馬娘になっていたとは……」


 侯爵の身体が離れ、マイラの顔に両手を添えた。


「怪我は無いか? 変なやからに絡まれなかったか? よくもまあ一人で王都に向かったものだ」

「お父様」


 父を見上げると、眉を下げた父と目が合う。銀色の瞳は潤んでいた。


「ボリスからの手紙で、肝が冷えたぞ」

「ごめんなさい。私のわがままで、心配をおかけしました」


 反省している声音に、侯爵はため息を漏らす。


「立ち話も何だから、座って話さないか?」


 フレーデリックに手招きされ、親子はソファーに座ると、メイドが紅茶を用意してくれた。


「マイラ、屋敷を飛び出して来たなら、相当な覚悟があると私は理解した。さらわれた状況を説明するとなると、攫われた当時を思い出さなければならない。辛くはないのか?」


(お父様は私を思いやってくださるのね。茉依は攫われるより酷い仕打ちを受けてきたから、思い出しても大丈夫よ)


「お父様、心配は無用です。フォルクハルト様たちの罪の重さが決まるなら、協力を惜しみません」


 マイラは心配する父を安心させようとほほ笑みを浮かべる。


「それに、私はフォルクハルト様には罰を与えたいと思っています」

「!?」

「!!」


 フォルクハルトに罰を与えたいと聞いたフレーデリックと侯爵は固まった。


 我に返り、フレーデリックと侯爵は顔を見合わせた。お互いに狐につままれたような表情をしている。


(マイラがサラッと怖いことを、言わなかったか?)


「まっ……マイラ? 今何と?」


 動揺を隠せない侯爵が、顔を引きつらせ、改めてマイラに問う。


「フォルクハルト様に罰を与えたいと言いましたが?」


 マイラは不思議そうに答える。侯爵は雷に打たれたような衝撃を受けた。


 大人しい娘が、罰を与えたいと口にした。罰とは、もしかして、フォルクハルトをむちで打つつもりなのかと、想像が膨らむ。


「マイラよ、令嬢が自らの手で罰をくだすのは、いかがなものかと思うが……散々、理不尽なことをされ続けたし、使えない王太子を補佐するために、王太子が学ぶべきものをそなたが学んでいたしな。仕返しをしたい気持ちはよくわかるが……」


 侯爵としての建前と、父親としての本音を吐き出した。


「令嬢が罰を与えるなど、外聞が悪い。攫われた状況を話してくれたら、後は私たちに任せなさい。フォルクハルトあの者に、どのような刑罰が下されるかは、謁見の間で私の隣で見届けるといい」


 マイラをさとすように侯爵は告げた。父がそこまで言うのなら引きさがるしかないと、マイラは眉を寄せ、唇を噛み締めて頷く。


「殿下、一度ならず二度までも助けていただき、ありがとうございました。マイラ、帰ろう」


 屋敷へ帰るぞと侯爵が促す。マイラも父の言葉に頷き、別れの挨拶をしようとフレーデリックに向き合う。


「侯爵、待ってくれ」


 フレーデリックに止められ、侯爵は驚く。


「一晩、マイラを宮殿に泊めてほしいのだが……」


 フレーデリックの申し出に、侯爵は目を丸くした後、眉間にくっきりとしわを寄せた。


「助けていただいた立場で、このようなことを申し上げるのもなんですが、マイラは未婚の身です。婚約者でもない殿下の宮殿に泊まるのは……」


 侯爵は苦言を呈する。フレーデリックも誤解されたと気づき、顔を赤くして、慌てて否定する。


「いや、決して変な下心で言った訳では無い。せっかくマイラがいるのだから、マイラの侍女だったカルラとニーナに会わせたくて」


 ほぅ、と侯爵は片眉を上げる。娘に視線を移せば、嬉しそうに瞳を輝かせている。

 マイラの侍女の一人はフレーデリックの乳兄弟で、近衛騎士団団長の娘だと聞いている。 


 フォルクハルトに罰を与えることをあきらめさせたのだから、娘が会いたいなら叶えるべきかと侯爵は考える。


「マイラに良くしてくれた侍女だと聞いた。積もる話もあるだろう、宮殿に泊まりなさい」

「はい! お父様、ありがとうございます」


 マイラは花がほころぶように笑う。その笑顔をまぶしそうに侯爵は見つめた。


「明日、責任を持って屋敷に送り届けよう」


 キリリと顔を引きめたフレーデリックの言葉に侯爵は一礼し、退室した。


「カルラとニーナには明日、特別に休みを取らせるから、ゆっくりしてほしい」


 僅かな動きで色が変わる不思議な瞳を前にし、マイラの胸は高鳴る。


「ちょっと失礼」

「!?」


 ふわりとマイラの身体が浮いた。気がつくと、マイラはフレーデリックの右腕に乗せられていた。


「ふっ、フレーデリック様?」


 マイラの顔は林檎のように真っ赤に染まっている。


「こうすると、目線が同じになるから。マイラの顔をよく見たいし……」


 色変わりする瞳がマイラに向けられているうちに、フレーデリックの頬がほんのりと赤味を帯びる。









 侯爵は屋敷に戻り、ボリスに手紙を送る。受け取ったボリスは手紙に目を通した後、深いため息をついた。


 検問所の近くまで行っていたことに驚いたが、フレーデリックが王宮まで連れて来たと書かれていて安心した。

 マイラはフォルクハルトの判決を傍聴してから領地に帰るという。


 マイラが帰ってきたら、こんこんと説教をしなければと思うボリスだが、マイラの不在をロジータにどう伝えるか、理由を問われたら、どう答えるかさんざん悩んだ末に切り出した。


「ロジータ、マイラは爺様じいさまに用事があって、急いで王都に出かけたんだ」


 ロジータのなんでどうしてに、どう対応するか、身構えていたが。


「ふ〜ん」


 あっさり返され、ボリスは拍子抜けした。マイラの騒動で夕食を食べ損なったボリスは誰もいない食堂で、冷たくなった食事を無言で食べ終え、トボトボと書斎に戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る