14 追憶
公園側に車を止めて降りて、本当に少し歩いただけだった。
「ここだよ」
そこには小さいお城のような、レトロで洋風な家が佇んでいた。
窓枠や玄関は白を基調とした温かみのある木枠で囲われており、赤茶のレンガをモチーフにした壁財が綺麗に家を彩っている。玄関の前は駐車スペースと庭に別れており、枠で囲まれたガーデニングスペースにはまだ咲いている花がちらほらある。手前は芝生になっていて、小さな滑り台と砂遊びで使うプラスチック製のショベルやバケツが一箇所にまとめて置いてあった。
窓にはレースのカーテンが閉められており、車も駐まっていないので留守にしているのだろう。
「見た目は少し変わってるけどつくりは同じ。私の住んでた家」
「…いいお家。見た目が変わったって、どこが?」
「壁、私が住んでいた頃はクリーム色だった」
ここが、悠理が住んでた思い出の場所。楽しいことも悲劇も全てが起こった場所。私は実際に見たこともないのに、ひどく懐かしく思えた。クリーム色と白の洋風な創りの家に、幼い兄妹が庭でわいわいはしゃいでいる姿、微笑んで様子を見ている母親、仕事から帰ってくる父を出迎える家族。目の前の風景とは違うのに鮮明に想像できるのだ。
今は新たな家族がここで生活をして、また違う思い出をつくっているのだろう。
悠理の横顔は、柔らかい風が髪を揺らすせいで全く窺えず、ぼうっと立っているようにも見える。きっとここに来るのは久しぶりのはずだ。私も見ておきたい、ちゃんと。悠理の背負ってきたもの一つ一つを。
しばらくすると隣の家から突然パタパタと足音が出てきて、歩道に立っている私たちの元へ一人の女性が駆け寄ってきた。
「あなた、ゆうちゃんじゃないの?ねぇ、違うかしら?」
自分の両親より十歳は年上に見えるその人は、焦ったように眉を潜めて早口で悠理に問いかける。その表情には不安も混じっているように思えた。
悠理は少し控えめに微笑んで「おばさん、久しぶりです」と深々と頭をさげた。
***
「ずっと心配していたのよ、あれからすぐに引っ越しちゃったでしょう?」
綺麗なコーヒーカップを二人分テーブルに出しながら、矢島さんは向かいのソファーに腰掛けた。
悠理の家が建つ前からここで暮らしているそうだ。いつものようにコーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると立っている私たちに気づき、もしかしたらと思い急いで声を掛けにきたのだと言う。
少しで良いから上がっていきなさい、お友達も、と声を掛けられて一旦断ろうとした悠理だが「昔の写真も沢山あるから見ていってほしい」の一言を受けて私の顔を見た。もちろん頷くに決まっている。悠理の幼い頃の写真なんて、たぶん見られるのは最初で最後だ。
「あいさつもしないで出て行ってしまいすみませんでした。いっつもおばさんにはお世話になっていたのに」
「いいのいいの、あの時はそんな余裕無かったでしょう。ただね、もう会えないと思っていたから本当に嬉しくて…そしたらほら、こんなに綺麗に立派になって…。ゆうちゃんが元気そうで本当に良かった」
悠理は人懐っこく可愛い人気者だった。その証拠に、こうして隣人がずっと心配して心に留めていて、彼女をとても大切に思っている。幼い頃から周りから愛される人。
引っ張り出されてきたアルバムの表紙は色あせていたが、中には写真が綺麗にファイリングしてあり、一枚一枚丁寧に収められている。ページをめくると幼子が遊具で遊んでいる写真が現れた。
「ほらこれ、このときはまだ幼稚園かしらね。やんちゃっ子でいつも公園で遊んでたのよ」
「私だ!懐かしいなぁ…この遊具が好きだったなぁ」
目がぱっちり二重で小さいのに綺麗な顔立ち。小さい頃から本当に悠理は可愛かった。あどけない元気いっぱいの笑顔。可愛いピンクやフリルのついた服を泥だらけにしてポーズをとっていたり、鼻の上や頬が汚れていたり、膝に大きな絆創膏を張っているものもある。本当にやんちゃで活発に見える写真ばかりだった。今とはまるで別人の悠理。
何も知らない天使みたいな子供、全てが起こる前の純白な―
何かが、引っかかる。
思い出せそうな何かが。でも何を思い出そうとしているのかは解らない。自分も慣れ親しんで育った地元の写真だからだろうか。
「ほら、これは家の前。七五三のときね。ご両親とりゅうちゃんも」
「うわー、懐かしいなぁ。この頃くらいかな、お兄ちゃんらしくなってきたのは」
「そういえばそうね、確か年上に見られたくて違う学校の子には二つか三つ上だって嘘ついていたのよね。まだ子供でいていいのに、ふふっ」
「えっ」
思わず声が出た。
指差されている家族写真の男の子をもっとよく見る。何か、何か途切れた記憶の糸がつながりそうなのだ、過去の記憶たちが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
この子は、この男の子を私は知っている?年上でりゅうちゃん…りゅう、りゅーくん…
「わたし…わたし、知ってる、あったことある」
閉じられていた記憶がぶわりと開かれるように、あの夕焼けの綺麗な日が目の前に現れる。彼はりゅーくんと言われていたはず…大人びていて、やんちゃな女の子の面倒を見てあげていて…女の子の名前は思い出せない。けれど写真の子はうっすら覚えている、はきはきと明るく走り回るのが大好きな子…。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
ずっと昔に私は悠理に出会っていたのだ。夕日に溶け込むように帰っていく家族の背中は、私が知りたいと思っていた悠理の過去の一つだったのだ。
矢島さんがあらあらとハンカチを私に差し出してきて、そこで漸く自分が泣いていることに気づいた。どうして涙が出るのかはわからなかった。せり上がってくる感情の種類がわからないのだ。ただ、苦しくて温かい何かが押しあがってくる。
「亜純、お兄ちゃんのこと覚えていたんだね」
穏やかな声色だった。悠理はきっと、私と過去に出会っていたことに気づいていたんだ。だけど私が覚えていないから言わなかった。そういう人だよね、貴女は。
私は気づけて良かった。
「私の初恋、りゅーくんだもん。忘れるわけないじゃない」
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