239:立派な王様への助言


「そういえば、イーサ。お前、明日の戴冠式のスピーチ、何を話すつもりなんだ?」

「分からん!」


 あっけらかんと答えてくるイーサに、俺は「そうだと思った」と笑った。


「……マティックとカナニ様が困ってたぞ?渡した原稿を読みたくないって癇癪を起したんだってな。どうしたらいいかって、さっき二人から相談を受けた」

「なんと!そんな事をしていたからイーサの所に来るのが遅くなったのだな。まったくアイツらときたら、罰として、罷免してやらねば」

「あの二人を辞めさせたら、イーサはもっと忙しくなるんじゃないか?」

「……それもそうか。罷免は止めて、もっと働けという罰に処してやる」

「それなら、あの二人の罰はもう十分だろうよ」


 クスクスと笑いながら、イーサは俺の掌にグイグイと頭を押し付けてくる。そんな姿を可愛いなんて思ってしまう俺は、もう大分イーサに毒されているとしか言いようがなかった。


「……マティックの持って来た原稿は、読む気が全くしなかったんだ」

「どうして?」


 俺は撫でていた手を止め、ベッドの縁に腰かけた。そして、今度はイーサの後ろ髪を手遊びするように弄る。イーサは擽ったそうに目を細めるだけで、嫌がったりはしなかった。


「戴冠式のスピーチは『イーサが王様になったぞ』と国民に知らせる為のスピーチだ」

「そうだな」

「同時にイーサが王様として今後どうしたいのかを知らせる為のモノでもある」


 指の間に感じるイーサの髪の毛が手の甲を擽る。短かったイーサの髪も大分伸びてきたようだ。


「マティックの持って来た原稿用紙には『愛する国民よ』とか『愛しい我が子よ』なんて、欠片もイーサが思ってない事が書いてあった。あんなのを読んでいたら、きっとイーサは途中で可笑しくなって吹き出してしまうと思ったのだ」


 おいおい。

 戴冠式のスピーチの合間に吹き出すなんて、見てるコッチは笑えない。世紀のスピーチを一体何だと思っているんだ。だが、イーサは至って真剣な調子で言葉を続ける。


「イーサは……明日スピーチをする“国民”とやらの顔が一つも浮かんでこないんだ」


 イーサは言うだけ言うと、ゴロンとベッドの上へと横たわった。そして、あもの顔が変形するくらい力強く抱きしめている。


「明日、イーサは一体誰に向かってスピーチをすればいいんだ?」


 あもに顔をうずめ、苦し気に呟くイーサの姿に、俺はなんとなく気持ちが分かる気がした。そりゃあそうだな。伝えたい相手の“顔”が見えなければ、伝えたい言葉など浮かんでこよう筈もない。自分の戴冠式のスピーチを、渡された原稿を読むだけの、白々しいモノにはしたくないのだろう。


「顔が浮かんでこない、か」

「ん?」

「だったらさ、イーサ」


 俺は寝転がるイーサの体の隣に寄り添うと、イーサの目元に俺の手を添えた。これで、イーサには俺の声だけが聞こえる事になる。俺は呼吸を深く吸い込むと、出来るだけ“寝る前の子供”に言い聞かせるような調子で静かに言った。


「全部忘れて、俺に話せ」

「っ!」


 添えた掌に、イーサの吐息が触れる。次いで、瞼が微かに震える感触がした。俺はもう片方の手でイーサの胸に触れると、そこに感じる心臓の音を確かめるように撫でた。


「イーサ、俺がこの世界でお前にしてやれる事は……もう多分何もない」

「……さとし?」

「何もしてやれないけど、一つだけお前に“あげられるもの”がある」


 俺は息を吸い込むと、ここに来る瞬間の“あの日”を思い出した。イーサ役に落ち、金弥がイーサ役に選ばれた。俺の方が上手い、俺の方がイーサの事を分かってる。そう思って、ヤケ酒をしてあの場所に行きついた。

 星空と月が反射する水面を見つめながら、俺はイーサの台詞を口にした。


--------そこで聴いてろ、キン。俺がお手本を見せてやる。


 金弥に聞かせるように。

 あの時、俺の視界の片隅には確かに金弥が居た。居ると思って台詞を言った。こうやるんだぞってお手本を見せるみたいにさ。


「お前に最高の声をくれてやる」

「……声?」

「そう、声だ。だって、もうお前は俺の一部なんだから。俺に話しかけるみたいにしてスピーチをしてくれれば、きっと格好良い声で、最高のスピーチが出来る筈なんだ」


 そうすれば、きっと俺は完全に“イーサ”になる事を諦められる。

 俺はイーサの目の上に乗せていた手をソッとどけると、ジッと此方を見上げる金色の目を見つめ返した。窓の外から入り込んでくる月の光に照らされるソレは、もう宝石みたいに綺麗だった。


「さとし……」

「ん?」


 俺がイーサの呼びかけに極力優しく答えると、イーサの手がソッと俺の目元に触れてきた。


「すこし、赤い。もしかして、泣いたのか?」


 どうやら真正面から見つめられたせいで、微かに残っていた涙の跡がバレてしまったようだ。俺はどう答えたものかと思案したが、もういいかと息を吐いた。


「うん、泣いた」

「誰に泣かされた?」

「いいや、別に泣かされたワケじゃない。ただ、嬉しくて」

「嬉しくて泣くのか?」

「泣くよ。嬉しくても人間は泣けるモンだ」

「……さとし」


 イーサが甘えた声で、俺の名前を呼んだ。

 「なんだ、イーサ」と、俺は“仲本聡志”の声で応える。きっとイーサのこんな声を知ってるのは、俺だけだ。あぁ、そうさ。このイーサの声も俺が作ってるんだ。俺は、なんだか腹の底から湧き上がってくる強い感情を吐き出すように息を吐くと、イーサの言葉に耳を傾けた。


「さとし、口付けをしてくれ」


 どこか分かっていたイーサからの命令に、俺はイーサの体の上へとまたがると、そのまま腰を折りイーサの唇に触れるようにキスをした。

 ただ、すぐは離れない。唇を食み、角度を変え、舌を使い、イーサの唇に触れる。イーサはされるがままだ。


「……っふ」


 イーサの声が漏れた。これは気持ち良さからくる声ではない。俺が微かに目を開くと、そこには静かに涙を流すイーサの姿があった。ハラハラとイーサの目尻から流れる涙が、シーツを濡らす。先程の声は、イーサの泣き声だ。昔はよく聞いた、懐かしい声。


「……本当だな」

「ん?」

「うれしくても、涙が、出るのだな」

「そうだろ?」


 俺はハッキリと笑ってみせると、そのままイーサを抱き締めるように体を重ねた。


「イーサ、明日は俺に格好良いところを見せろよ」

「うん」

「後ろから見てるからな」

「うん」


 俺の言葉に素直に頷くイーサ。そんなイーサに、俺は耳元で答えの分かりきった問いを投げかけた。


「イーサ、なにする?もう、あもと寝るか?」


 そんな俺からの問いかけにイーサは首を激しく振ると、元気よく言い放った。


「サトシと朝まで遊ぶ!」

「いや、朝までは勘弁してくれ」

「いーやーだ!」

「っあはは!」


 笑いながら、俺とイーサは互いの体に、たくさん、たくさん触れ合った。触れたイーサの体は、心臓の鼓動がとてもうるさく、そして――



 とても熱かった。



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 熱い、熱い、熱い。

 汗が体中を流れる、息も上がる。そんな中、俺はずっと、金弥の背中を見ていた。


『サトシー。まだ持ってるー?』

『……』

『サトシー?』

『……うん、持ってる』


 自転車を漕ぐ金弥の背中は、すごくしっかりしていて、自転車を漕ぐ足も迷いが無い。バランスもしっかり取れている。

 もう、俺が支えてやる必要は無くなっていた。


『サトシー、ほんとー?ほんとに持ってるー?』

『うん!持ってるー!大丈夫!』

『もうちょっとだけ持ってて!そしたら、乗れるようになるから』

『わかったーー!』


 言いながら、とっくに一人で自転車に乗れるようになっている金弥の背中を見送る。熱い、夏だから仕方がない。遠く離れていく。汗が頬を伝い、流れていく感覚が気持ち悪い。


「キン……」


 俺は離れて行く背中に、ゴクリと唾を飲み下すと深く息を吐いた。


「キン!」


 俺は声を張り上げて叫ぶと、そのまま遠く離れて行く金弥の背中を追った。あぁ、クソ。金弥、俺を置いて行くな。


「金弥!」


 走る、走る、走る。

 俺は金弥の背中を追って、必死に足を動かした。


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