疑念の灯火
「水場があってよかったね。もしなかったら非常用水で歯磨きするところだったよ」
冗談じみたことを口にしながら
時は10時過ぎとなっていた。そろそろ寝ようといった雰囲気になり、瑞理も眠たくなったのか欠伸を一つ溢してしまうことに。
寝るといっても、立派な寝具は揃っていないし桜に至っては制服のままであった。状況が状況でありとても熟睡できるような状態ではないだろう。
それでも、屋根があるだけまだマシであった。車内も空調が効いているため暖かく、食料もある。絆と身を寄せ合って寒さを凌ぐような生活にならなくて良かったと桜は感じていた。
例の化物がいつ襲いかかってくるかも分からないので遥疾が「夜は交代で見張りをしよう」と提案をし、その話と方向性が固まりつつある頃合であった。
運転席の方から小さなラジオの音とともに
「うーん、やっぱりなしか……」
「朱音さん、どうしたんですか?」
「桜ちゃんか…… いや、今ラジオつけているんだけど、全然例のニュースが報道されなくてさ」
例のニュースと言うのは恐らく北城村を襲った異形のことであろう。北城村だけでなく朱音達が暮らす東京にも現れているのでニュースになってもおかしくはないが……
「ええっ!? まだ報道されていないんですか?」
ひょっこりと桜の右側から瑞理が顔を出し、アーモンド形をした目が大きく見開かれた。しかしながら、思った以上に声が出てしまい口元に手を抑えることに。傍で寝ている絆がいるのだ。瑞理の声を受けても物ともしない程深い眠りについているが、瑞理は小さく「あ、ごめん……」と
「そうなんだよ。はぁ、情報が無いんじゃこちらもやってられないよね」
朱音がため息のようにそう言うと、大きな欠伸を一つしてぎぃっと音を
ラジオもテレビと同様に国が流しているものだ。国民の安全を守る報道ぐらいされているはずであろう、ましてや人の命が関わる事案だ。
そう思い耳を傾けて聞けば、確かに小さな音ではあるが『明日の天気予報』だの『経済動向』だの『道路交通状況』などと全く関係のない話ばかりが展開されている。無機質に
「でも、東京都に現れたということは流石に隠せないでしょうし……それに、旧東軍が迎撃している事からも事は大きくなっているはずじゃ……」
「そのはずなんだけどねえ。あんなもの、臨時ニュースになってもおかしくないのにね」
朱音が腕を組みながら口元を
それを聞いた瑞理は「もう3日も経ってますよ!」と隣で
「絶対おかしいですよ! だって、既に犠牲者が出ているんですよ!?」
寝ている絆には配慮しつつも、瑞理は静かな怒りを露わにして変だと主張した。セピア色の髪が大きく揺れる。
「瑞理ちゃんの気持ちはアタシも分かるよ。3日も経って触れられないだなんてどうかしているよ。ただ、桜ちゃんの言う通り、もう
換気のつもりか、そう言いながら朱音が車の窓を5センチほど開けた。
「
そうだ、この事件は3日経った今でも国が持つ皇軍ですら手をつけていない。今でこそ民間である『旧東軍』が対処しているそうだが、事の怪しさは
それに付随した疑念を抱いたのか、桜は「朱音さんが所属する本軍はどうなんですか?」と問いかけた。朱音は「アタシは現場の人間じゃないから分からないけど」と前置きを据え
「動きはない感じだね。お
と答えてくれた。その後口惜しそうに「有給申請しとけばなあ」と続けられたが。
「まあ、皇軍は皇女のいなくなった今、国防省の承認ありきて動くからその承認を得るために多少の
元々指揮していた皇女の崩御と『皇室を守る』と言う名目を失っていることから、軍を上げて臨時に対処する素早さも失ってしまったのだ。
「裏を返せば、国防省からの承認が降りれば報道もされるということですか?」
「どうなんだろ。まあ、現時点でされないということは恐らくそうなんじゃないかなあって思うけど……」
あんまり自分の発言に自信がなかったのか「アタシの勝手な憶測だけどね」と後になって添えられた。
仮にそうであるなら、何か意味があるに違いない。あえて足並みを揃えているのか、それとも触れずにこのまま有耶無耶にさせるのか……
「そんな、 皇女様がいた時の皇軍じゃそんなこと無かったのに……」
瑞理が息を吐きながら肩を落とした。「一体何が起きているんだろう……」瑞理の口から流れ出た言葉はここにいた全員の気持ちを集約させるものであった。
依然として喋り続けるアナウンサーの声。興味の薄い話題ばかりであり眠気を誘うものであった。当然、難しい話が苦手な朱音もまた一つ大
──その時である
『特集です。人々を震撼させた『皇女暗殺事件』。3年経った今でもなお事件の犯人である『売木夏希』死刑囚は東京都で収監されております。今日は改めてその事件の全容に迫っていきたいと思います』
誰もが聞き流していたラジオ。それこそ淡々と流れるようにして突然『その話題』について触れ始めた。
その瞬間、空気が一瞬にして硬直する。
奥で談笑していた九曜と遥疾の笑い声も止まり、音量は変わってないのにも関わらずやけにその話題だけはとても大きな音で報道されているようにも聞こえた。
誰しもが気を緩んでいた時であった。まさかこのタイミングでと瑞理も不意を突かれてしまい、思わず呼吸を止めてしまった。
朱音の耳にもラジオの言葉なんて殆ど右から左へと流れていたが、『そのワード』を耳にした瞬間ドクンと心臓が跳ねるような気分を味わい、思わず座席を揺らしてしまった。
──ま、まっず!
思わず口にしそうになったがそれはなんとか
もう遅い。 奥の方から飛ばされる九曜の視線がそう物語っていた。
あまりにも居心地の悪い沈黙が訪れてしまった。
流石の朱音も空気を読んで静かにしていたが、このままでは誰も喋らないのではないかと懸念してしまう程の強い静寂。耳鳴りの音すらも聞こえたかも知れない。
だがややあって、沈黙を打ち破ったのは桜であった。
「皆、私はもう大丈夫。だって3年も前の話なんだから……」
それは、皆へ気遣うための虚勢であった。『気にしていないから皆もそこまで神経質にならなくていい』。そう伝えれば、遥疾達は桜に対して壁も無く接することができるから、桜はあえて虚勢を張った
本音を言えば『気にしていない』だなんて嘘である。ずっとずっと気になっている、心の中で刻むように残っている。けれど、他の人達にこれ以上迷惑をかけたくないと思い、皆の前で『気にしていない』素振りを見せた。
本当は桜も事件のことを引っ張り続けるのをやめにしたいと思っていたのかもしれない。そもそも事件は3年前の話である。いくら当時、悲惨な思いをしようが所詮は過去の話だ。そんな過去の出来事をいつまでもいつまでも追い続けている自分が、前を向き歩み続ける瑞理達の姿を見て情けなく思えたのだろう。だから『気にしない』といった言葉をあえて口にした。
口にすれば、本当に過去に囚われない自分へ変われると……期待したからだ。
「桜ちゃん……」
心配そうに朱音が桜を見やる。
「当時は色々あっためどもう3年も経ったんだから、私も流石に受け止めているよ。だから皆も──」「嘘」
続けられる桜の言葉が瑞理によって止められた。静かで落ち着いた声であった。
「桜……無理しないで」
瑞理はそっと、桜の手を優しく握る。
ずっと桜を見てきた幼馴染だ。桜が無理しているのを直様、見破ってしまった。
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