暖かさと懐かしさと



 遅い時間であるが、何か食べようということになり一同は車内へと戻ることに。絆もまだ寝ているままであり、依然として起きそうになかったので遥疾はるとが近くにあったブランケットをそっとかけてくれた。


「大したものじゃないけど、一応食料を持ってきたから皆好きなものを食べてよ」


 遥疾はるとがそばにあるボックスから探るようにしていくつか食べ物を出してくれた。大きなプラスチックケースに乗せられたのは、乾パン、缶詰、日持ちの良さそうな菓子類をはじめ、一応湯も沸かせるのか即席麺や即席スープなど……あらかじめ夜を明かすことを想定していたのかそこそこの食料が揃っており取り合いになることも無さそうである。


「アタシはこれで決まり!」


 食料が広げられるとほぼ同時に颯爽さっそうと朱音が現れ、即席麺をうばうようにしてさらっていった。まるでとんびえささらうかのような鮮やかな早業はやわざであり、一同がきょとんとしてしまうことに。


攫われたのは醤油味のラーメンであり、最初からこれを狙っていたのか知らないがあまりに俊敏な動きを前に瑞理みずりが吹き出してしまった。

 

 九曜くようが「寝るんじゃなかったのかよ!」と鋭く突っ込みを入れると即座に向こうから「食べてから寝る! アタシもうお腹ぺこぺこ!」と返ってくる有様だ。疲れてもなお食い意地だけは達者のご様子である。


 本来であれば一番年長である朱音が最後に選ぶような流れが一般的と考えられるが、彼女を前にそんな常識は通用しないようだ。彼女曰く『早い者勝ち、弱肉強食』の精神のようで、朱音らしいと言えばらしい行為でもあろう。

 

「ふふふ、朱音さんいいのかなぁ〜? こんな時間にラーメンなんて食べちゃって。自制しないとすぐお腹にお肉がついちゃうよ」


 瑞理が不敵な笑みを浮かべてそんなことを言うと、簡易コンロで湯を沸かそうとしていた朱音が「うげっ」と顔をゆがませる。


「あ、アタシはいいの。だ、だって運転で沢山動いたし! ほ、ほら、君たちも食べないと食べ物無くなっちゃうよ」


 瑞理の言葉が相当刺さったのか、朱音は歯切れの悪い言葉を残しながら運転席へ逃げるようにして戻って行ってしまった。そんな彼女の後ろ姿を見ながら瑞理が「全く、朱音さんはしょうがないなあ」と口元に手を当てながらくすくすと笑う。


「ま……まあ、朱音さんがダウンしてしまったら僕達も動けないからね。倒れないように朱音さんには精をつけてもらわないと」


 苦笑いを浮かべた遥疾がすかさず朱音をフォローすれば、直様奥の運転席から「そうだぞー、遥疾の言う通り! もっと大人をいたわれ!」と謎の加勢が聞こえてきた。無論、朱音であるがそこまでしてあの即席麺が欲しかったのかと桜は逆に感心してしまう。


「朱音さんは相変わらずだなあ。ほら、桜も何か食べる? お腹空いてない?」


 遥疾と九曜が呆れ顔でそれぞれ食べ物を手に取った。それを傍目はために見やりながら瑞理が尋ねてきてくれた。


「えっ?」

「ほら、晩御飯食べていないんでしょ? 桜も好きなものを取っていいよ」


 瑞理がアーモンドの形をした目をぱちくりさせながら、桜の顔を覗き込む。どことなく呆然ぼうぜんとしていた桜は「はっ」となり大きなプラスチックケースの上に並べられた食料へと目をやった。


 正直、腹は全くといって良いほど空いていなかった。確かに瑞理の言ってくれた通り桜は夕飯を口にしていなかったが、色々あって疲れすぎたのであろう…… とてもじゃないが、何か食べたいという気にもなれなかった。


 何か固形物を食べても恐らく喉を通らない。それ程に今の桜には食欲が無かった。


 黙って神妙な顔をする桜へ瑞理は心配そうに「もしかしてお腹空いてない?」と声をかけてくれた。


「すまない、瑞理。せっかくだけど、今……あんまり食欲が無くて」


 瑞理達の好意を無碍にするように感じた桜は、膝を抱えながら声を落とす。そんなことを聞いた瑞理が明るい声色で「そっか、そうだよね」と桜へ肩を寄せてくれた。


「実は私もあんまりなんだ。でも、何か口にしないと元気が出ないよ」

「瑞理……」


 ほんのりと心の底が暖かくなるのを感じる。

 ずっと絆と二人だった時にはこんな感情は湧かなかった。一人で悩んで一人で解決しようと抱え込んできたからだ。

 けれど、今は違う。心強い味方がすぐそばにいるのだ。


「一口でもいいからこれを飲んで。少しの時間でも味覚と嗅覚を働かせるのはとても大事なことだよ。特に今の桜にとってはね」 


 そう言葉を残した瑞理は、紙コップ2つを取り出して即席スープの素を入れ始めた。








「はい、桜。熱いから気をつけてね」

「あ、ありがとう瑞理」


 しばらくして、瑞理から紙コップを渡される。手に取れば風味豊かな香りが鼻腔をくすぐしずまった桜の食欲を若干であるが湧かせてくれた。


 視線を落とせば、車内灯に照らされる湯気立った琥珀こはく色の液体がゆらゆらと波を立たせていた。


「コンソメスープ。桜も好きでしょ? 私が用意したの」

「そ、そうなのか……」


 桜と同じく両手で紙コップを掴む瑞理が得意気な顔を作り、桜の隣へと座る。


 じんわりと手元にぬくもりを感じる。スープを手にして初めて自分が思ったより体温が奪われたことに気づく。ぼんやりとしていた桜へ瑞理が「冷めないうちに召し上がってね」と一声添え、紙コップへ口を付け始めた。


 桜もその動作に合わせるようにして、紙コップへと口を付けてゆく。



 一口飲めば、舌いっぱいに優しい感覚が広がっていくのを感じた。

 それだけじゃない、全身がポカポカと暖かくなり思わず「ほっ」と息を漏らしてしまうことに。


 

「美味しい……」

「本当? よかったあ」


 上流なシェフが作ったものではない、ただの即席スープである。それなのにも関わらず、ここまで美味しいと感じたスープは今までに無かった。



「あれ……?」  

「ん? どうしたの桜?」


 無意識のうちに車窓を通して空を眺めていたら、いつの間にか雲が晴れていた。明るい月が顔を出し、またこちらも車内を眺めるようにしてキャンピングカーを照らしてゆく。


「空……晴れてる」

「あ、本当だ。 星が綺麗……」


 ロマンティック好きな瑞理が目を輝かせ窓へ張り付くようにして空を見上げた。北城村で長く暮らす桜にとっては新鮮味は感じなかったが、星の少ない東京に住む瑞理にとっては息を呑む光景であろう。満点の星空を前にして瑞理は「わあ〜」と感嘆の声を上げながら空へ向かいかじり付いてしまった。


 北城村にいたときはあれだけ曇りだったのに、いつの間に……?


 思えば、北城村から逃げていた時は月明かりも溢さないほどの曇天、風も強く今にも嵐が来そうな雰囲気すらあった。それなのに、今となれば緩やかな風と晴天だ。山の天気は変化かわりやすいと言われるが、ここまで顕著に現れるのも珍しい話ではなかろうか。


 

 湯が沸いて暖かな飲食料にありつけることができたのか、徐々にやや重苦しかった車内の雰囲気が暖かくなっていくのを桜は感じていた。

 向こう側では遥疾と九曜が乾パンを二人で共有していた。スープを片手に談笑をしており、なにやら盛り上がっている様子でもある。それでも眠る絆へ気遣っているのか声のボリュームは抑え気味であるが。


 そして運転席の方から豪快に麺をすする音が聞こえ始め、これは言わずもがなといった感じだ。相当腹が減っていたのも伺える食いっぷりである。



「一応、歯ブラシとかの日用品アメニティも桜と絆ちゃんの分を用意してあるから好きな時に使ってね。今日はここで寝泊まりになりそうだし」

「そこまで気遣ってもらってすまないな」


 麺を啜る音を背景バックに瑞理がそっと耳打ちするように桜へ伝えた。とはいえ、流石に耳障りになったのか瑞理が運転席に向かい「朱音さん、早食いは太っちゃいますよ!」と容赦ない牽制を投げてゆく。しかしながらそんな牽制も「ノロノロ食べていたら麺が伸びちゃうでしょーに」と弾かれてしまったが。


 北城村では感じることのなかったなごやかな空気。桜もその柔らかな空気に身を預けるように浸りながら、コンソメスープを飲み干していった。

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