思惑

 振動が落ち着き始めたことにより、車両はアスファルトの路面に入ったものと桜は推測した。


 けれど舗装して以降は管理があまり徹底されていなかったのか、かなりバンピーとなっており車両の発条バネをことごとく傷めつけようとする。


 とは言っても先より耳障りだった騒音ノイズは息を潜め、次に現れる原動機エンジン音が聞こえてきたが、それは桜にとって心地よいリズムのように感じられた。


 もう、完全に村は出たものとし、今は何処にいるのだろうか…… 桜の中にそんな思考が一つだけ芽生えたものの、遥疾はるとの話と全く関係無いことより直ぐに揉み消した。


 ──どうしてここまで来たのか。


 親友である神庭遥疾の投げかけに感応するかのように、桜の側に座る紋章あやき 九曜くよう雲雀岡ひばりおか 瑞理みずりが頷く。それはこの話の幕開けに関しては遥疾に委任する合図であった。



 外の灯りがひとつ、車窓を通して遥疾の顔を明るみに出す。整った顔立ちが眉をひそめた結果、少しばかり表情が崩れているのが伺えた。


「──東京まちもやられた。丁度3日前だったか、東京都のある場所に突如例の化物・・が現れたんだ」


 一瞬だけ桜の口から強い息が漏れ、それは不意を突かれた表れとなる。しかしながら長野の北城村に現れたのであれば、東京に出没しても何らおかしくない話だ。

 

 とはいえ、ひとつ考え方を変えれば中枢圏である東京にも現れ、遂に長野の片田舎にも出没したという事実から、全国的な被害をもたらしているものと捉えることもできる。


 東京より車で6時間以上はかかるこの場所にまで、魔の手が広がっているのかと邪推してしまう。

 

 ただ桜は何も知らない。何も分からない。憶測だけで勝手な判断をすることが出来ず、遥疾の言葉には黙ることしか出来なかった。


 しかしながら遥疾達むこう側も桜の反応には予測していたのか更に続けた。

 

「出没場所は局所的だったみたいだが、運悪く僕達の近所は酷くやられたよ……」


 遥疾の言葉に瑞理と九曜の表情にも曇りが見え始める。一体何をされたのか、どこまで被害を被ったかは分からないが、彼らの様相を見ればとても追及する気にはなれなかった。


 恐らく九死に一生を得るような出来事だったのであろう。

 

「そうだったのか。それで北城村までなんとか辿り着いた矢先に私も同じ目に合っていたと……」


 彼らも本来は避難の積もりで長野の北城村まで来てくれていたのであろう。

 街がパニック状態であるなら人気ひとけのない山奥へ逃げるのが通常だ。彼らも突然訪れた苦難の中、何とか辛うじて生き延びてかつ北城村ここまで来てくれたというのに……


  それを考えると不幸な出来事が連続しているだけに心が痛くなるばかりだ。


「すまない…… 皆。力になれなくて」


 何も起きなければ逃げる彼らを受け入れるつもりで当然いたが、状況が状況なだけに避難させることが出来なかった。

 


 3年前に助けてもらった彼らにまだ何も出来ていない、その意味で自分の無力さから出た言葉だった。

 

 訪れる静寂の中、前方で会話する絆と朱音の声の大きさが先より小さくなっていることに気付く。朱音のおかげで絆もかなり落ち着きを取り戻したようだ。


  




「違うの、桜」


 セピア色の髪が前へ揺れた。

 

「そうじゃない、私たちは北城村まで単に逃げてきた訳じゃないの」


 確かに避難する意味も含まれていたが、本命はそうではないと。本来の目的があってここまで来ているのだと…… 瑞理みずりからそう言いたげなものと感じた。


 3年ぶりに出会うとはいえ幼馴染、瑞理の発言の意図は大体分かっている。


 ただ続く言葉を詰まらせ、瑞理は慎重に目配せをする。言うべきか、言わないべきか…… ほんの数秒であったが遥疾と九曜へ確認をとっているようにも思えた。


 

 とはいえ、言わずして話も始まらない。意を決した顔を見せ更に瑞理は小さく口を開いた。


「実は、私達の周りで一番被害が酷かったの…… 桜が元々住んでいただったの」


「……私の?」


 桜は目を見開き、かの姉と酷似する黒い眼差しをあらわにした。


 ──私の……?


 心の中で反芻はんすうすれば、すぐに以前住んでいた自宅の情景が浮かび上がってくる。


 姉と共に剣術を学んだ庭、皆と机を囲んで食事したリビング、自室…… そして連鎖して一緒に過ごした思い出も無意識のうちに湧き出てきた。


 北城村に住む前、桜は東京都の練馬区に住んでいた。例の事件以来あの家は確か空き家になっていたはずである。


 どこかに売却する話も浮上したが、経緯を考えればほぼ事故物件扱いになっていた。そのため全く買い手が付かず、また物件所有権が消息不明の親名義になっていたことから手放すことがかなり面倒だと言うことで放置され続けていたはずの家だ。

 

 ここに来る以前は長く暮らしていた家。当然思い入れも強いそんな家が……


「うん、真っ先に壊された…… 建物の原形が無くなるくらいに」

「そ、そんなことが……」


 桜が動揺することは分かっていたのか瑞理が安心を与えるように両手を握りしめた。

 だが、唐突な展開に理解が追いつかず桜は言葉を失ってしまう。


 これは怒りや悲しみではない、どこか心の中にぽっかりと空洞が出来てしまったような気分だった。


「偶然だと思いたいけどな……」


 九曜がジャージのジッパーを首元まで上げながらそう呟く。思い出して寒気がしたのだろうか。


「すまない、桜。 僕達じゃ何も出来なかった。それどころか目の前で破壊される桜の家を尻目に逃げてしまったんだ」

「遥疾達は何も悪くない筈だ。謝る必要なんかない。 それどころかこうして生きて会えただけで十分だ」


 思い入れはあったが、3年前から一緒に住めないと割り切っていた。ただ喪失ロスに対する虚しさはどうしても付きまとってしまうのは致し方ないであろう。時間とともに薄れるのを待つしかない。


「俺達もあの化物の正体は分からないが、ここに来て瑞理の予想が当たっちまったのは確かだな」

 

 九曜が襟元に顔を埋めながら脚をゆっくり揺らす。当たってほしくなかった予想だったのだろうか……桜は手を握り続ける瑞理に視線を移し追及した。


「瑞理の予想……?」


「あんまり考えたくない事だったんだけど……」


 出だしはかなり歯切りが悪かったが、次いで瑞理は一呼吸置いた。しっかりと桜に伝わるようにと……


「桜の家が襲われた時、あの化物が何かを探すように見受けられたの」

「探すように……?」


 包帯で縛られた左腿が若干痛み出す。無意識が何かを感じたのかも知れない……

 

 桜の復唱に瑞理は黙って首肯し更に続けた。


「探すと言うよりも何か......むさぼるようにして、必要以上に襲い続けていたの。 中に誰もいないはずなのに……複数が寄ってたかって」


 思い出すだけでもおぞましいのか…… 瑞理の声が少しずつ震えか細く・・・なっていく。


 異常な出来事に異常が重なる。一体どのような有様だったのか、当時現場に居なかった桜は潤みかけた瑞理の瞳から感じ取るしか方法が無かった。


「あれは、どう考えても不自然だったよな」


 同じ目撃者である九曜が瑞理の証言を後押しする。遥疾も全く反論しないことより事実なのは間違いないようだ。


 ──貪るようにして……? 探すようにして……?


 随分と引っかかる表現だ。仮にあの化物に意志があるとすれば桜を付け狙うような偏った攻撃も出来るものと思われるが、相対した時はそうとも思えなかった。


「九曜君の言う通り本当に不自然だったの。私には…… 桜や絆ちゃん達を狙っているようにしか見えなかった……」


 吐ききるように声を振り絞る。



「──っ!」


 瑞理の予想…… それは友人として考えたくもないものだった。へ不幸が降りかかる要因にもなりかねない不吉な思考。言霊。

 

 瑞理自身も言葉にしたくなかったのであろう。

 

 けれど……



「俺はあの時信じちゃいなかった…… だが、桜。 現実今でもお前を良しとしない人間がいるのは確かだろう? 瑞理はそこ・・を一番恐れていたんだ」


 言葉がまとまらない瑞理にかわり九曜が代弁した。


 皇女暗殺実行犯の妹…… 不幸な血縁が桜に対して牙を向ける要因であった。時間が経った今でさえ過激な思想を持つ人間は一定数いるだろう……

 


 親身な友人が故に行き着く思惑。


 あいつら・・・・は刺客とでも言うのか。 何かが形を変えて桜へと襲い掛かる、そんな存在であると。

 


「だから…… 私を助けに来てくれたのか……」

 

 現に桜は襲われていた。瑞理の考えに基づき桜の危機を恐れた彼等は6時間以上の時間をかけ東京から北城村までやって来てくれた。

 

 そして偶然に対峙する桜と絆を救ってくれたのだ。

  

 ──その予想・・が当てはまる出来事が起きてしまったのだ。


「……結果としてそうなったな」


 瑞理の仮説が有意へと流れる事象が一つ増え、桜は肩を震わせる。


「私も信じたくないよ。まさか本当にいると思わなかった…… 北城村に着いて無事桜と再会することができるものと思って、考えが外れる事ばかり期待していたのに」


 そんな仮説はでっち上げだと、それを確かめる意味で桜の元まで足を運んできた積もりだった……


 最悪な事を考えて応急キットなどを用意していたが使う予定など全くなかった……


 瑞理は桜が襲われた光景を目にした時、自信の不吉な考えが故意に現実から平仄ひょうそくを合わせに来ているではないかとまで思えてしまったと言う。


 ──狙われている。

 

 短絡的で根拠の無い仮説なのかもしれないが、現に桜に対し恨みを持っている人が存在するのは確かだ。あの化物が何らかの意思を持ち皇女関連で自身の命を狙っていると思えばそれも腑に落ちるだろう。

  

 


「結果論だ九曜、瑞理…… 確かに瑞理の発言から僕たちは結果・・桜達を助ける事ができた…… けれど、その考えに至るまでには全くもって材料が足りないはずだ」


 悪い流れを振り切るかのように遥疾が強めの口調で声をあげた。


「だな。実情を見れば壊されたのは桜の家だけじゃない。それに多くの人間が被害を受けていることを考えれば当然無差別だとも考えることができるしな」


 北城村で襲われた時も桜の家以外の家屋が壊されていたのを見ている。九曜の考えだって十分あり得るはずだ。瑞理の予想に当てはまらない材料の方がまだ多いくらいだろう。

 

 


 そうだ…… そうであってほしい……


 だが…… それでも…… それでも改めて伝えたいことがあった。


「……瑞理、本当にありがとう」


「桜……」


 瑞理が私を思う気持ちがあったから桜と絆は救われた。予想が有意であるかどうかはさておいても救われたのに事実・・だけは変わりないだろう。


 

 彼女の発言が無ければ私は今頃


 間違いない、命は無かった。


 瑞理もどこか救われた気持ちになったのか、桜へと微笑みを返す。いつも見ていた幼馴染の笑顔…… それは空白の3年間を感じさせないものであった。


 現実ではこうして生きて出逢えている。生きている限り何かが起きるはずだ。


 桜が口角を軽く上げると九曜から「ようやく笑ったな」と揶揄からかわれた。次いで遥疾の顔も笑みを溢しており、ここまで来てようやくお互いの緊張感が解れていくのを感じた。




 ──私が狙われている。いや、もっと詳細に言えば私達・・が狙われている。


 穏やかな雰囲気に流れる中、桜は他の人にばれないよう脳裏にひっそりと思惟する。

 

 自身でもこれは悪い癖だと認識しているが、可能な限り考える可能性は追究したくなる性分だ。元いた家が狙われ、そして北城村で桜と絆は殺されかけた……



 それだけで既に一つの懸念事項が浮かび上がってしまう。



 ──だとすれば、他の姉達は大丈夫なのだろうか?

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