運命の享受

 玄関を出て数メートル程のところで二人はその足を止めてしまった。


 あの足音が多方面から聞こえたと思えば、先ほども見た黒い化物がいくつも姿を現したからである。


「嘘、そんな!? 囲まれている!?」



 拍子に絆が2歩程踵を返し、後ろへと振り返るが……


「こ、こっちにも!?」


 待ち伏せをしていたのか分からないが、既に外では数体の化物が徘徊しており、二人はあっという間に囲まれてしまった。

 前も後ろも合わせて5体ほどだ。先程桜が倒した化物が今度は5体も現れたのだ。


「こんなことが……!」


 やるせなさをにじませながら、桜は声を振り絞った。理不尽から来る悔しさがまたも桜を襲おうとしていた。



 堪ったもんじゃない…… こんなの命がいくつあっても足りない……


 

 桜の心の中で何かがごっそりとぎ落とされてしまった。それは生きる気力であろうか、それとも姉と再会する希望であろうか……


 既に満身創痍まんしんそういの桜にとって、これはあまりにも耐えられない現実であった。


 しかしながら相手はそんな気持ちなんてものを一切にいとわず、不快な声を上げながら2人を中心とした円となり、じっくりと詰め寄ってくる。


「──っ!」


 思わず弱音を吐きそうになり、桜は言葉の出る寸前で歯を食いしばった。絆の目の前で弱い姿を見せたくない。そんな思いが喉元まで来ていた『弱音』をなんとかこらえさせたのだ。


 それでも桜の中には絶望感だけが占領し始めていた。


 こんな状況、もう打開策が見えないと、あきらめじみた感情が自然と流れ出てくる。

 ただでさえ一体相手するのに苦しい敵だというのに、5体も同時に現れるというのは今の桜にとってあまりにも厳しく、残酷な現実であった。

 

 立ち向かってどうこう出来る数ではない。2体でも一度に攻撃されたら終わりであろう。付け焼き刃の打開策すら苦しいであろう現実によって、桜は叩きのめされてしまう。

 


 ここに来て運の無さを呪えと言うのか…… 

 

 

 やり場のない怒りが込み上げてくる。その感情を抑え込むようにして、桜はゆっくりと鞘に収まっていた『桜花爛漫』の柄をつかんだ。それは絶望に対する僅かな抵抗だった。


 先のように握れば奇跡を起こしてくれた刀であるが、今は握ったところで何も呼応することもなく『桜花爛漫』は沈黙を続けていた。静かに、眠ったように……


 あんな奇跡的な感覚が、もう一度訪れてくれるだなんて期待すら出来ない様子である。


 こんな状況、どうせよと言うのか。

 

「お姉ちゃん……」


 だが、絆の顔を見て、桜の覚悟は直ぐに決まった。激しく葛藤するものだと思っていたが、案外すんなりと冷静に決まってしまった。

 いや、ここまでくればむしろ躊躇う必要なんて無かったのかもしれない。ここまで極端な状況だからこそ、手段が限られているから迷いが無かったのかもしれない。


 売木桜として、売木絆を守るために最後に出来ること。  


 それは…… それだけは、たとえ生きる気力を失おうが、絆との約束を果たせなくなろうが、譲ることが出来なかったものだ。


 桜は目を伏せながら静かに口を開いた。 


「絆……」

 

 心で決めたはずなのに、全く声にならなかった。

 風に流されそうな程の小さな声であったが、絆の耳にはしっかりと届きこちらへと視線を合わせてくれた。

 そして、次こそはしっかりと声になるように胸に手を当て息を吸い込んだ。



「に、逃げてくれ……絆」


「えっ……!?」


 決して聞き逃した訳ではない。何かの聞き間違えであってほしいという絆の思いが躊躇いにして現れたものであった。


「私がこいつらの相手をしている間に、絆は逃げてくれ……!」

「──そんな!」


 絆だけは、なんとしても生き残らせる。

 たとえ、己の命が散り果てようとも、絆だけは守り抜く。

 

 それは桜が選んだ最悪最後の手段であった。



「そんな…… お姉ちゃん、何言ってるの!?」



 徐々に絆が涙目へと移り変わっていく。たとえ、呪われた運命だとしても二人で一緒に乗り越えてきたのだ。こんな発言、到底認められるものではなかった。


「嫌だ、嫌だよお姉ちゃん!! お姉ちゃんを見殺しにすることなんて出来ない!!」


 腕を引っ張りながら訴えるが、桜は目を背けてしまった。


 こんなこと、言いたくて言ったわけではない。自己犠牲なんて何も実るものはないし、逆に絆を悲しませてしまうのだ。


 けれど、桜には使命がある。どんな境地に追い込まれようと、桜は絆を守ると言う使命があるのだ。それゆえに、先に絆を死なせてしまう事だけは絶対に許すことができなかった。


 だから桜は命を賭けた決断を下した。1体でも多く倒し、1秒でも長く時間を稼ぐこと。それが今の桜が可能な絆を生存させることに繋がる全てであった。


 絆の意向を無視して桜は掴まれた腕を振り払う。そしてゆっくりとさやから日本刀を抜き上段へと構えた。


「早く!! この場を離れろ絆!」


 声を荒げる。待ってくれる相手ではない、時間なんて無いのだ。


 ──お願いだ、振り返らずに逃げてくれ……




「やめてよそんなこと言うの! お姉ちゃんがいなくなったらもう……!」


 絆のほほが濡れ始める。姉の覚悟、その大きさは絆が一番知っていた。そして今の桜の気持ちも痛い程に理解していた。

 

 だが絆はその桜の言葉を受け入れることができなかった。立ちはだかる様にして姉へ抵抗する。


 絶対に飲めない、飲むわけにはいかない……

 

「嫌だよ、一緒に生きようよ!! 生きて皆と会うって約束したのに!!」


 一緒に生きて姉達と会う。一度でもいいから、生きて姉達と顔を合わせる。その為に絆と桜は必死に北城村の寒さを凌ぎ暮らしてきたのだ。


 その願いが、夢が、希望が……何もかも潰れる。大切な桜だけじゃない、絆を支える全てを失ってしまうのだ。

 




「──私だって、嫌だ……」


 聞いたことのない声であった。いつもの様な芯の通った声ではなく、細く、もろくか弱い声。

 あの絆ですら一瞬桜が発したものと思えなかった細い声であった。



 桜の目にも涙が流れ始めていた。堪える様にして唇を噛み締めているが、それでも涙が止まることはなく、つらつらと雪解け水のように流れ出てゆく。


 桜の泣く姿。絆が見るのはこれが初めてではなかった。


 自分を必死に支えてきた姉…… けれど本当は寂しがりで、不安気で、陰で泣いていたことも絆は知っていた。

 自分の前で弱気にならないように、心配させないようにと一生懸命繕いながら振る舞っていることも知っていた。

 

 全部全部、絆は知っていた。だけど、それは密かに見てしまったものだ。今のように絆の前で弱さを見せることなんて今までに無かった。

 


 もう限界であった。



 桜はもう耐えることが出来なかったのだ。こんな理不尽続き、姉が一人で受け止めることができるものではなかった。

  

 夏希の罪により地元を離れることを余儀なくされた。家族と離れ離れになってしまった。親しい友人とも離れてしまいたった二人、故もしらぬ村で過ごすことになった。

 それでもなんとか3年近く、もがき苦しみながらも生活できるようになってきた。


 希望が中々見出せない生活ひびが長く続いた。二人で生きて姉達みんなに会う、そう約束しどんなに辛いことがあろうと、理不尽が重なろうとここまで必死に乗り越えてやってきたのだ。



 そんな中、起きた一つの不幸…… 命を脅かす存在がある日突然襲来するという、誰もが予想できなかった事態が桜の中に溜まった感情が溢れ出す引き金を引いてしまった。

 

 桜の膝は今にも崩れ落ちそうであった。ただ側にいる絆の存在だけが彼女を立たせていた。


 

「お姉ちゃん……」


 呼ばれた桜は人に見せることのできる顔じゃないと、隠すようにしてそっと後ろへ振り向いた。どこを見渡そうとも化物たちが構えており、自分が飛び込まなければ血路は切り開けないであろう。


 前を向き、細く長く息を吐く。桜の体温を帯びた空気は白色となり儚く姿を消していった。


 

 死ぬ覚悟なんて簡単にできるものじゃない。私だって怖い…… 

 姉達と違い、私はただの臆病者なんだ…… 


 だが、絆だけは……!


 その思いが桜へ最後の力を与えてくれる。死への恐怖を和らげてくれる。




 化物が土を蹴ろうと踏み込もうとし、それに合わせ桜は上段に構えた。

 

 

 

 その時であった。


 どこからか、低く唸るような音が聞こえてきた。


「──音?」


 低い音と言っても明らかに目の前にいる化物の音ではなかった。それどころかどちらかというと生活音に近く桜も絆も聞き慣れていた音。耳にした二人は直様、それがどういった音なのかを理解した。


 遠くから吠えるように車両の排気音エキゾーストノートが鳴り響いている。


 かなり高回転でかしているのか激しい轟音が八方山麓を木霊こだまし、閑静な北城村が地鳴りのような音に包まれてゆく。




 化物も突然の出来事に気がれたのか音の発出源へ振り向き始めた。音に敏感か分からないが、普通の運転ではまず出すことのない音で気にしない方が難しいだろう。


「この音……?」


 明らかに自動車クルマの音である。それは分かるのだが、桜と絆は思わず顔を上げて怪訝な表情を浮かべてしまった。 


 この時間に車が通ることなんて滅多にないのだ。いや、こんな夜に車が来るなんてこと……もしかしたら今まで一度も無かったのかもしれない。それ程北城村は車の通りが少ないのだ。


 音だけで推測するに、相当なスピードを出している。相当急ぐようなことがあるのか分からないが、その排気音は徐々に大きくなっていることからこちらへと向かって来ている・・・・のが分かった。


 ──もしかして……


 旋回スキール音が聞こえてくると桜の予想は確証へと変わっていく。

 

 車の音に気を取られている時では無いと分かっていたが…… 今はわらをも縋る思いであった。

 何でもいい、生き残ることができるのなら何でもと…… 生き残るすべをあらゆる現象に賭けるしかなかった。 

 

 数秒もしない内に向こうから前照灯の光が見え始め、轟々とけたたましい音と伴にその姿を現す。

 車のハイビームが化物達を大きく怯ませ、そばにいた2人も思わず強い光を感じて目元を手で覆ってしまった。




 一般車両よりかなり大きく、一瞬トラックかと思ったが……


 その車両はキャンピングカーであった。



 特徴的な外見からすぐに判断がつく。バンコンタイプのキャンピングカーだ。 どうしてこんな時間にこんな車両が通っているのか、桜も見当がつかず目を丸くしてしまった。


 しかしながら戸惑う桜と絆を余所よそに、その車両が全くスピードは落とさず勢いそのままにこちらに向かって突っ込んで来る。

 


「こっちへ来るよ! お姉ちゃん!」

「まずい、かれる!!」



 避けようと絆を引っ張るが、キャンピングカーの狙いは桜達ではなく、目の前に並ぶ化物達であった。

 大きく旋回しながら容赦なくき倒し、ぐちゃぐちゃと音をたてながら複数の化物が目の前で吹き飛ばされていった。


 そんな異様な光景を目の当たりにし、桜と絆は理解が追いつかず呆然と立ちすくんでしまうことに。



「い、一体何が起きているというんだ……!?」



 戸惑う暇も与えないかのように車は急停車し、勢いよくリアドアが開かれ中の人がこちらへ手招くような仕草を見せた。

 

「おーい」と大声を上げ、車へと誘うようなジェスチャーをとり2人を乗り込ませようとしていた。



 ──あの姿は……


「桜! 絆ちゃん!! 早く! こっちへ!!」


「ど、 どうしてここに……!?」

 

 若い男の声…… そして聞き覚えのあるような声だった。 見覚えのあるシルエットを目の前にして声を上げてしまった。


 ──まさか…… あいつなのか……?


 私の記憶の中ではもう少し体つきが小さかったが、間違いない……

 信じられない…… どうして今、アイツがここにいるんだ……!?


「そんなことって!? な、なんで北城村に!?」


 桜よりも数秒気づくのに遅れたが、絆も男の正体が分かると戸惑いを見せながらも嬉しそうに声を上げた。



「そんなことは後で話す! いいから早く乗り込むんだ!!」


 向こうへ一瞥いちべつすると、被害を免れた残りの化物が体勢を立て直しながらこちらへ攻撃を仕掛けようとしていた。男の言う通りもたもた・・・・している暇なんてない。


 桜と絆は目を合わせた後走り出し、滑り込むようにキャンピングカーの中へ乗り込んでいく。



「回収したよ、朱音あかねさん!」

 

 2人が完全にキャンピングカーの中に入ればすぐにリアドアが閉まり、中に居た女性が合図を飛ばした。それもまた桜…… そして絆も聞き覚えのある懐かしい声であった。


「おっけい! 皆、捕まって!!」


 運転席から歯切れの良い女性の声が聞こえると車は勢い良く出発した。

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