重なる面影

 いつの間にか息が荒れており、目頭に陣痛が走るのを感じていた。


 少しずつだが、集中力が切れかけているのだ。


「こんなところで……!」

 

 一度額に手を置きながら桜は深く息を吐き、再び柄を握り直した。


 こんな中で途切らせてはいけないことぐらい分かっているが、思った以上に集中力が削られており、研ぎ澄まされた桜の精神に若干の乱れが生じ始めてきた。


 あまりにも暗すぎるのだ。辛うじて緑白の灯りがうっすらと化物を照らしてくれているが、だとしてもとても心もとないものだ。暗い中、小さな光だけを頼りに、素早い黒の影を目で追い続けること、攻撃を見極め続けるという行為は暗戦に慣れていない桜の集中力をごっそりとぐものであった。ましてや一瞬の油断が命取りになる戦いだ。どれほど莫大な集中力を要するものか想像し難い。


 そう考えるとだ、長引けば長引く程桜が不利になっていくのだ。このままなんとか持ち堪えているような状態が長く続かないことは明白であろう。なんとか奇跡的な感覚一つで凌ぎきってきたが、いつまでも続くようなものではない。


 おまけに攻撃も見えづらく、足元も不安定でとても戦いにくい。その上、桜以上の素早さと力を持つ相手だ。それ故に刀を手にしたとはいえ、桜が取れる戦術もかなり限られている。


 だとすればだ……


 思考を巡らせ行き着く一つの選択肢。


 一気に仕掛けるしかないだろう。


 残された集中力、体力を全部出し切るつもりで勝負に出る。

 元々持久力スタミナ勝負で勝てるような相手ではないのだ。削られる前に一気に削るしかない。

 

 そっとやいばを前に構え、刃先の一点を見つめながら桜は瞬時に集中力を練り上げる。


 当然、攻めに転じるのもリスクがある。返り討ちに合うことだってある。相手と刺し違える形で終わってしまってもそれは失敗だ。勝負は一度きりのみ。失敗は絶対に許されないのだ。


 刃先へと焦点を合わせながらわずかに残る躊躇いを打ち消し、極限まで集中力を高めてゆく。

 悩んでいる時間など無い、迷いは命取りになると心の中で唱えながらその感情は徐々に『殺気』じみたものへと変貌を遂げた。


 その時『殺気』にも似た何かを感じたのか、桜の決意に呼応するように『桜花爛漫』が妖しくひかり始めた。


 淡い赤色にも似た色だ。


 この刀は見る方向によって光の反射の影響か、異なる輝きを放つ不思議な作りをしているのが特徴的であった。

 妙な話でもあるが、ここは暗闇で外は月光すらも遮られた曇天である。部屋にある唯一の光も緑白であるため赤の光源なんてものは近くにないはずだ。一体どこから刀を反射させるような光が入り込んできたのだろうか。


 けれど、間違いなくひかっていた。込められた感情を示すかのような色を持った『桜花爛漫』は更に妖々ようようしさを増しているようにも見えた。


  

 タイミングは一度しかない……

 


 覚悟を決めた桜は刀を上へ持ち上げ、桜は再び襲い掛からんとする化物へ視線を合わせた。

 

 桜の眼差しが色濃く変わり、ぐわっと並々ならぬ圧がかもし出される。その立ち姿はまさに……




「夏希……姉さんだ」


 思わず声を出してしまった絆はすぐさま口元を抑えた。何か不幸なものを感じ取ってしまったのか絆の瞳は震えていた。


 あの、姉の面影を見てしまったからだ。


 夏希にあって桜に無かった最後の欠片が、ここにきて埋まってしまった。桜は完全に夏希へと変貌してしまったのだ。

 


 普段、桜のことを見ている絆ですら認めざるを得なかった。

 普段、桜と夏希の相関関係を否定している絆ですら認めざるを得なかった。


  

 絆の中で悪寒が走り、「やめて……」と願うように呟き目を伏せる。


 遺伝じゃない、血縁じゃない、憧れじゃない……

 こんなもの『呪い』だ。


 桜にとって夏希の存在が呪いの領域まで来ているものだと、そこまで思わなければ今の現象が理解できないと絆は考える。

 

 桜は夏希のような不幸な運命を歩むことは無いと信じていた。例えその様な道を歩みそうになれば自分が必ず止めると、因果を断ち切ってやると北城村へ来た時に決意していた。


 似ているからなんだ。夏希の妹だからなんだ。血が繋がっているからなんだ。


『血縁に呪われた姉を救えるのは、血の繋がってない自分だけだ』


 絆はずっとそう言い聞かせて桜を見てきた。だからこそ、今になって夏希と桜が重なってしまうことを認めたくなかった。認めてはいけなかった。


 けれど……


 今、目の前で不吉な運命へと踏み込もうとしている。絶対に辿ってはならない運命だ。それを止めることができるのは、誰でもない絆のはずなのに…… そんな絆はただただ傍で願い続けるしかできなかった。


 お願い、皆。お姉ちゃんを……桜お姉ちゃんをたすけて。


 声にならない言葉でこいねがう。零佳、弥生、涼楓、雫…… それぞれを道を歩んでいるであろう姉達へ心の中で救いを求める。




 だが、桜へその願いは届くことは無かった。それどころか、桜の意識の中では夏希しか存在していなかった。

 かつて夏希が教えてくれた、見せてくれた剣技を何度も何度も一時の間、思い出すように繰り返し脳内で再生する。


 羽ばたくように斬りかかり、音も無く振り落とすその姿。

 

 たった一度見せつけられただけで、桜の脳裏に焼き付かせた夏希の剣術だ。

 

 疾風はやく、華麗うつくしい一閃。

 

 自分と比べても、全く別次元の領域だ。足元にも及ばないであろう。



 だが……


  


 深く息を吸った瞬間──


 『ザッ』と化物が床を踏み込み一気に距離を詰めていった。床が捲れ上がる程の強い勢いだ。100kg以上あろう巨体が、慣性の法則を無視するかのように急発進を見せてくる。


 だが、桜もただ見ているだけでは無かった。相手のタイミングに合わせるようにして床を踏み込み、決死の覚悟で飛び込んでいく。



 攻撃速度は向こうのほうが圧倒的に速く、桜の先制にはならない。そこまで想定していた桜は寸前で脚に力を込めた。


「くっ!」

 


 相手が先に攻撃を繰り出そうとする手前である。桜は突然、きびすを返し半歩程下がった。まるで往復する振り子のような挙動だ。これによりタイミングを外した攻撃は、桜の胴を斬り裂く事なく空を斬った。

 そして爪が振り下ろされたと同時に桜は下段へと構え直すと……



「はああっ!」


 

 下から上へと縦一直線に、迷いのない太刀筋で斬り上げた。

 

 完全に斬り上げた時、化物は悲鳴にも似た叫び声を発したが、時間と共に徐々に沈黙と化していった。どろっとした体液のような何かが桜の足元へ垂れ落ち、二つに裂かれながらドサリという音を立てて倒れていった。



 しばしの沈黙が訪れ、ほんの少しすれば何事もなかったかのように、北城村は再び静かな風音を鳴らし始めた。



「はぁ、はぁ」

 

 暫くしても桜は俯いたままであった。

 瞬く間の出来事、何が起きたのか自分でも把握できてなかったのだ。

 

 だが、手応えがあった。あのなんとも言えないあの感触……斬ったものしか分からない不思議な感覚が手に残る。


「やった……のか?」

 

 小さく呟けば全身の力がするりと抜け落ち、桜はその場でひざまずく。視線を落とせば緑白に光った床が視界に入るが、暗闇ではない。それを見て初めて自分が生き延びていることを悟った。

 

 震えた手を拡げ、指の関節を少しだけ動かす。桜の思い通り正しく動いてくれた。



 ──生きている……!



 桜も、絆も生きている。あの脅威に立ち向かい、生き延びることが出来たのだ。


 さらに生きている証として感覚──痛み──が桜の左腿ひだりももを鋭く走る。


「いっ……」


 思わず左腿を押さえると、押さえた手が血でべっとりと塗れてしまった。暗くてよく見えないが、いつの間にか左腿を怪我していた。


 攻め込んだ代償として、太腿に軽い切り傷を負ってしまったようだ。拭っても拭ってもすぐに血が止まる様子は無いが、このまま放置しておけばいずれは血が固まるであろう。この程度なら行動に支障をきたす程では無い。胴を真っ二つに切り裂かれるよりかは随分マシな結果であると桜は自分を納得させ立ち上がる。




「お姉ちゃん! 大丈夫!?」


 奥から絆の姿が現れ、桜へと駆け寄る。


「なんとか…… それより絆は怪我は無いのか?」

「あたしは大丈夫だよ。それよりお姉ちゃん……あし、怪我しているよ!」


 心配する絆に、桜は「これぐらいなら大丈夫だ」と汚れていない方の手でそっと頬を撫でた。


「私のことは気にしなくていい。だが……」


 桜は暗い部屋を見渡した。


「随分と派手に荒らされてしまったな」


 あの化物によって部屋は散乱状態、電気も切断されてしまい、建物の壁を破られてしまった為、今にも崩れそうになっていた。どう考えても復旧までに時間を要するような状況だ。


「もう、ここじゃ住めないよね」


 曲がりなりにも3年間暮らした家だ。わずかながらも愛着があるのか、絆が寂しそうに声を落とす。絆の言う通り、この家は現状のままでは到底住めるような状態ではなかった。


「ああ、ここからはなれた方が良さそうだな」


 桜の言葉に絆も黙って首肯する。

 外へ出ようとも危険が付き纏うのは承知の上での回答だ。ただ、何もせずここに居続けるという選択肢は、もう二人の頭の中に存在していなかった。

  

「うん、これだけの出来事だよ。きっとどこかで誰かが避難していると思う。近くの小学校とかもしかしたら……」


 近くの小学校をはじめとするそれなりに耐久力のある建物──所謂、避難に適した建物──もここからかなり離れている。それに避難する程設備が充実しておらず大きな期待は出来ないであろう。それこそ誰か一人でもいたら御の字だ。 

 

「可能性は低いけどな」


 それでも桜は絆の提案に合意した。今ですら、死と隣り合わせの現状だ。少しでも生き残る確率が高いのであればそこへすがってゆくしかないのだ。


 そんなことを思考しつつ、桜と絆は急いで靴を履き玄関口から外へ出ようとこころみる。

 

「うわ!」

「くっ!」


 玄関を開けた瞬間に八方山の厳しい颪風が突如として吹き荒れ、2人の身へ直撃する。


 冷たい風が、腿の傷口を広げるようにして入り込み、桜は眉をゆがませた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る