決意

「お姉ちゃん! これを!」


 絆の合図とともに一本の刀が空中で弧を描き、桜の手元へ引き寄せられるように舞い降りてくる。

 その手が感じる確かな重量感は決して真新しいものでなく、むしろ全く逆であった。

 

 記憶が、感覚が、よみがえる。長い間、手にしていなかった筈なのに、手に残る感触が全てを覚えていた。 

 


「お、桜花爛漫おうからんまん……」

 

 刀の名を口にする。久方ぶりに出会う懐かしさ、そして突如として受け取った躊躇ためらいが含まれていた。


 どうして、こんなところに……?

 

 疑念を抱きながらも桜はゆっくりと刀をさやから抜き、久しく見る刃渡りを確かめる。


『桜花爛漫』……それはかつて桜が姉達より剣術を習い始めた頃、夏希より贈与された刃渡り70cm程の細身の日本刀であった。

 その刃渡りの美しさは並ならぬ武器職人では到底辿り着けぬ領域に達しているという。まことしやかに妖刀ではないかと指摘されたことすらあった程、目を引く美しさと、あやしさを兼ね備えた至高の刀であった。


 夏希がどこで手に入れたのかは分からない。ただ、それは夏希が桜の為に誰かに頼んで作らせたと聞く。幼い頃は手に余る代物しろものであり到底扱うことがままならなかったが、年齢としを重ねるにつれて、そして桜の成長と共に徐々に手慣あつかえるようになっていった。まるで、桜の成長を待っていたかのように今となっては長さ、重さ共に体格に適合マッチしている。


 ただ、引っ越して以来手に持つことは稀少すくなくなっていった。日々に追われ、定期的に手入れはするものの使用つかうことは無く、ずっと家屋の奥へ仕舞われていたはずであった。

 出そうと思って直ぐ出せるような場所に置いているワケではないのに……


 それなのに、桜の危機を察知して召喚するかのように目の前に現れた。絆を守るという使命を果たす為、桜の手に帰還もどってきたのだ。絆の手によって……


「そうか……私はこの時の為に……」


 自分が剣術を習ってきた意義を。なんのために『桜花爛漫』を振り続けてきたのかを、そしてどうして夏希から『桜花爛漫』を授けられたのかを、桜ははっきりと気付かされた。


 だから……


 ──やるしかない!


 やるしかない。戦うしかないのだ。


 両手で柄に手を添えぐっと力を込めると沸々と力が湧き上がってくる。桜の決意に感応したのか、身体の震えが治まり、体温が上昇してゆくのを感じた。


 対峙する黒の化物。本当に禍々しい姿だ。見ているだけでも「怖い」という感情を抱いてしまう。


 だが、桜の付きまとう『恐怖感』や『不安感』というものは、本当の意味で人を守るのに必要な感情だ。恐怖を感じてしまうことから守ろうとする、生き延びようとする、強くなろうとする……防衛本能の根底だ。それは人を強くする『味方』であるとも考える事もできる。


 しかしながら、売木桜に付きまとう『味方』は『恐怖感』だけではない。両手で持つ『桜花爛漫』も、姉から教わった剣術も同様に桜の力となるものだ。


 そして、傍で祈る絆の存在が何よりの力だ。


「私が、やるしかない……」


 そうだ、売木桜・・・しかいない。夏希なつきでも、零佳れいかでも、弥生やよいでも、涼楓すずかでも、しずくでも他の誰でもない。が守るしかないのだ。



 桜は思い出すかのようにゆっくりと上段へと構え、目を据える。長いこと振ってない筈なのに身体が覚えていたのか、その動作には全く躊躇ちゅうちょがなかった。

 

 いや、忘れる筈がない。夏希や他の姉達と過ごし訓練したあの日々を忘れるわけがない。


「夏希姉さん……」


 そしてもう一度囚われの姉の名を口にする。誰にも聞こえない、颪風でかき消されるほどの呟くような小さな声。

 夏希が教えてくれた弱い自分、剣術、そして渡された『桜花爛漫』…… どれも桜が強くなる為に与えてくれたものだ。恐らくその言葉の意味は感謝の気持ちであろう。



 化物が奇声を上げる。家屋が崩れてしまいそうな程に高く、大きな声だ。ビリビリと全身が震えてしまいそうな声だ。


 けれど、逃げない。どんなに威嚇されようと逃げないと決めた。命を賭けて戦うと決めた。たくされた妹を何が何でも守ると決めた。


 だからかもしれない。覚悟を決めた瞬間ときふんわりとした暖かな声が桜をそっと呼びかける。


『絆を頼んだぞ……』と。


 絆と初めて出会ったあの時の男の声が、また聞こえた。


 いつもなら辛い時に現れる筈のその声だが、今は違った。使命を果たすと決めた桜を激励するかのように、桜の力をみならせる。


 その声の主は未だ誰だか分からない。けれどきっとどこかで自分を見守っている存在なのだろう。

 だとしたら、桜は一人じゃない。強い『味方』がもう一つ心の中に存在しているのだと捉えることだってできるのだ。


「分かっている。必ず絆を守る」


 あの日、男へ伝えることができなかった桜の返事。自分自身へ言い聞かせるように呟き、視線を据えて目の前にたたずむ影を睨みつけた。


 その眼差しに迷いは無かった。

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