影への対抗

 桜の牽制けんせいも間に合わず、爆破されたかのような衝撃をもろに受け2人の身がふわりと宙に舞った。


 爆発音にも似た音。それは壁に穴が開けられた時の衝撃であると、桜は宙に浮かびながらもそれを理解する。

 そして視界も暗くなってゆき、一瞬自分の意識が落ちたのかと錯覚してしまったが……



「……っ!」


 暗闇の中、桜が食器棚に叩きつけられたがなんとか受け身を取ることができた。それでも数秒は呼吸が出来なくなるほどの鈍痛が襲い掛かり数回咳き込んでしまうことに。おまけに古い木造屋がやられてしまったことから凄まじい量の木屑きくずほこりが舞い上がり桜の肺へダメージを与えようとする。



 咳き込みながら辛うじて立ち上がることができ、桜はようやく開いた片目をわせながら状況を確認した。

 

 壁には大きく穴が空けられている。先程の衝撃でやられたのかまるで大きなハンマーで突き破られたかのようにぽっかり破られており、その隙を見て入り込んだ八方山の颪風おろしかぜが舞った粉塵の勢いを加速させようとしていた。


 そして不幸にも衝撃の影響により電線が切断きられてしまったようだ。吹き飛ばされた時に失神ブラックアウトしたものと錯覚したのはこのせいである。


 真っ暗になってしまった部屋。ただそれでも出口にある緑色の非常口標識の電灯のみが電池式であった為、闇へと抵抗するようにほのかな緑白のあかりを照らすことが出来ていた。


 ぼんやりと遠くで人魂のように揺れる緑白の光。実際の距離は10mもいかないはずなのに彼岸の向こう側から見えるような光にも思えてしまう程の距離感を抱いてしまう。

 

 ──なんて力だ……


 侵入するのにももう少し手柔らかなやり方があるだろうと、小さな光が照らす木屑だらけの床を見てしまえばそう思ってしまう。

 

 もう1つ2つ咳き込んだ後、桜は服に付着した土埃を払いながら喉を鳴らした。


「絆!!」


 目が慣れるまで壁をつたい、桜は絆の安否を確かめる。


 そう広くない部屋のはずだ。それなのに暗転するだけでここまで広く感じてしまうことなんてあるのだろうか。それこそ非常口のあかりが無ければ何も見えない状態であったのだ。


 絆を呼び続けていれば少し離れたところより「な、なんとか大丈夫」との声が耳に入る。声を辿るに部屋の向こう側まで吹き飛ばされており怪我がないかと心配してしまうが、それ以上に自分達が危機的な状況であろう。慌てて駆け寄らず桜はそっと容赦なく風を流し込む穴へと目を据えていった。


 暗闇に目が慣れてきたのか、視界が徐々に明るくなるのを感じるがそれでも外がよく見えない。だが、ゆっくりと近寄る鈍い足音が聞こえてくることから──


「お姉ちゃん! こっちに来てる!」


 絆も桜も察することができた。


 そうだ、来てしまったのだ。夕方桜を殺そうとした『黒の化物』が。

 大きな影が破られた壁から重い足取りで部屋へと侵入してくるのを感じても桜は顔を引き攣らせることしか出来なかった。


 


 そして、無機質な緑白の光が闇のベールを少しつづ剥がし、影の正体を暴いてゆく。

 

 大きさは2m程の体格だ。手なのか不明であるが、鋭い爪が二つ備わっており身体が保有つ複数の眼球がぎろりとこちらを見つめてくる。

 下半身に2つほど伸びる足と思われるものもあるが、肢体の一部は百足むかでの足のように広がっており背が凍るような感覚を抱いてしまった。

 そして身体からみ出る得体の知れない液体がどろりと垂れ流されており木屑にまみれた床を濡らす。


 ただただ不快感しか感じられないその姿に本能は逃げを選択し、桜は自然と後退りをしてしまった。見るだけで背中に虫を入れられたような気分だ。

  


 ──もう少し、形を整えさせることはできなかったのか、こいつらは……


 そんなことも思いたくもなる。ここまで闇に隠されているのにも関わらずこの形容だ。まさに『化物』の名に相応しい容貌である。


 できれば見たくないその姿……桜はほんの一瞬目を背けてしまった。

 

 あらわになった敵の正体。初めて出くわす化物の姿に絆も「ひぃ」っと悲鳴にも似たかすれた声を上げる。


「な、何なのこいつら……!?」


 震えた声とはまた違う、拒絶を示す声であった。見た瞬間に、絆は完全に受け付けることができないと直感し拒絶反応が出てしまった。蜘蛛クモが嫌いな人が蜘蛛を見た時に、蜚蠊ごきぶりを完全に受け付けない人が蜚蠊と遭遇してしまった時に出る拒絶反応と似たものだ。


「無理、無理、無理……」と小声で呟きながら絆は倒れ込みながら少しでも離れようと懸命にもがくも、すぐに壁と接触してしまう。これ以上奥へは進めないという合図でもあった。


「な、なんなの!? お姉ちゃん、これ……何者・・なの……!?」


 呂律ろれつも回っていないパニック状態の絆の声が部屋中を響かせる。それを聞いたのか分からないが黒の影が反応し蛇が威嚇いかくするように鋭い歯茎摩擦音を鳴らしてみせた。新たな獲物エサを見つけて嬉しいのか、もう一人殺せるという悦楽えつらくひたれると感じたのかは分からない。何れにしても穏やかな感情ではないだろう。


 それに叫び続ける絆の意思をみ取れるような存在にも到底思えない。パニックになる絆をなだめるような言葉の通じる相手でもないだろう。


 だから、絆の放つ言葉を受けることが出来るのは売木桜、ただ一人しかいないのだ。


 けれど、現状で絆の言葉を唯一理解できる桜ですら、自我を保つ余裕を完全に削られてしまっていた。絆を落ち着かせるどころか、自分自身もわなわなと顫動せんどうし始めてしまう。



 殺される…… 



 脳裏にぎった時、呼吸すらもままならなくなっていた。


 自分の命が奪われる。絆の命が奪われる。

 だから、なんとかしないといけない。せめて絆だけでも生き残れる術を姉が導いてやらなければならない。

 

 一歩一歩迫り来る黒の影、時間はもう残されていないのは明白だ。



「絆!」


 残された時間を惜しむかのように桜は奥で座り込む絆へと目をやった。暗くて見えないものと思われていたが、目が慣れたせいもあるのかほんの少しだけ緑白の光に照らされる絆の顔が伺えた。


 それでも彼女の表情がしっかりと読み取れた。


「あ、あたし達、殺されるの……!? こいつらに、こんな化物に…… 嫌だ……嫌だよ……」


 緑色に写し出される絆の絶望を示す顔。ふるふると顔を横にふり、堪えながらも拒絶する仕草。

 

 当然、それは桜が見たかった絆の『笑顔』とは全く程遠いものであった。そしてその声も日常いつものように桜を呼ぶ元気な声でなく、慟哭どうこくにも似た声であった。


 桜の知っている生命力溢れる眼差しを持った元気な絆ではない。最後に見たかった、命を奪われる前に目に焼き付けたかった絆の姿ではない。

 

 絆がおののいている姿であった。

 絆がおびえている姿であった。

 絆が死を拒絶している姿であった。

 絆が死にゆく姉を懸念する姿であった。

 

 それが売木桜としての人生を終える最後の光景であると。

 それが絆を守ろうと誓った人間が人生を賭けてでも守りたかった『モノ』であると。

 それを見ても尚、絆を守ろうと誓った人間は何も出来ずに殺される末路を迎えるものであると。



 そんなことを……


 ──認めろというのか!!


 桜の中で何かが途切れた。いや、途切れたというより蝋燭ろうそくの火が消火きえたように何かがふっと無くなり、突然白の空間に放り込まれたような感覚におちいる。


 上も下も判別できない白色の空間だ。だが、その白の空間でたたずむ一人の面影が背を向いていた。腰あたりまでに伸びた漆黒の髪が風に靡かれており、左側に収められた一本の刀を持ち遠方を見つめていた。


「お姉ちゃん!」


 どこからか絆の呼ぶ声が何度も聞こえるが、一人の面影は全く反応しないせず、見晴らしたままだ。

 しかしながら、桜はその面影を知っていた。いや、忘れることなんてあるはずがない、自分自身が追い求め、追い続けた存在なのだから。


 空間の外から何度も何度も桜を呼びつける絆の声とシンクロするかのように、桜はその背に向かって桜は叫ぶ。


『夏希姉さん!』


 そう呼ばれた面影はゆっくりとこちらへ振り返り、正義感の強いあの眼差しで桜をじっと見つめてくれた。優しさもあるような微笑みを浮かべており、彼女の姿を見ると心の底から暖かみを感じてしまう程の安心感を得ることができた。


 その瞬間、桜は気付かされる。どうして自分が姉を追い続けていたのかを。


 何にだって助けてくれる、救ってくれるあの頼もしさが桜も欲しかったからだ。自分も強くなって絆を守ってあげられるような存在になりたいと思ったからだ。

 だから、一歩でも姉に近づくことが出来るのであれば辛くても、苦しくても鍛錬に耐えることが出来た。

 だから、どんなに重罪を犯そうとも桜の支えになり続けていたのだ。


 そして、夏希の姿を見ると同時に自分の不甲斐無さを噛み締めてしまう。

 今、自分が絆に見せている姿はどう写っているのだろうかと……

 恐怖に落とされ、命の危機が迫ろうともただ何も出来ない、何もしない情けない姿だ。


 頼もしさなんて微塵みじんも無いと、強さがあまりにも足りていないと、思えば思う程に自分が嫌になってしまう。

 

「お姉ちゃん!!」


 俯く桜を励ますように絆の声が白の空間に響き渡る。だが、それに反応したのは目の前の夏希であった。何かを察した素振りを見せ桜へと歩み寄ると、肩に手を置いてゆっくりと口を開いた。 


『桜、強さとは弱さを知ることだ。私だって桜と一緒で怖くて怯えてしまうこともある。けれど、本当の強さはそんな弱い自分ですら享受して得るものだ』 


 そう言い残すと夏希は風に吹かれた砂城のように儚く消えてしまった。そして現実世界へと、化物に睨まれる世界へと桜は戻る。


 あの言葉は、桜が幼い頃に夏希から受けた言葉であった。当時の桜には深く理解出来ず、あの姉ですら怖い思いをして戦うことがあるのかと……その程度にしか思っていなかった。


 だが桜はようやくその言葉の意味を、夏希が桜へと伝えたかった意味を理解する。



 桜の中では、夏希はそんな恐怖をものともせず勇敢に戦う逞しい存在であると。自分とちがい無双の強靭タフさを持ち、ありとあらゆる困難を乗り越えているものだとずっと勘違おもっていた。

 

 だが、それは違っていた。夏希も桜と同じよう・・・・・・・・・に怖さを抱き、怯え、時には涙を浮かべることもある一人の人間であったのだ。


 時には自分の不甲斐無さで嫌になり、己を嫌うことだってある。

 時には理不尽に叩き潰され、心をへし折られることだってある。

 


 だけど、そんな中でも売木夏希は戦っていかないといけない。

 剣を抜いて立ち向かわないといけない。


 どんなに心が折れようと、無様な姿を晒そうとなんとか夏希は立ち上がってきたのだ。


『怖がりな自分を受け止めて』

 


「夏希姉さん……」 


 死のふちに立つとこうも人間思考がままらないものかと桜は改めて感じてしまう。動いてもいないのに、口は乾き、喉は枯れ、頭が回らない。身体も重たく身動きが全く取れない。

 

 夏希だってこのような絶望、過去に何度も味わってきた筈だ。


 いや、それだけじゃない。


 夏希は騎士ナイトに選定される前から、軍に入った時から、いやそれ以前、両親が消息を断ち家族を守る・・と誓ったあの日から、ずっと押し潰されそうな不安と戦ってきたのだ。

 

 自分が家族を支えないといけないという重圧に。

 

 皇女を守らないといけないという重圧に。

 

 長い時間にわたり、のしかかる・・・・・ストレスと夏希は戦い続けてきたのだ。


 恐怖に打ち勝てない自分を嘆くのではなく、『弱い自分を受け止めて』強くなる。売木夏希は天賦てんぷの才能を得た人間ではない、スマートに強くなった人間でもない、一歩一歩泥臭くても歩み進んだ人間だったのだ。

 

 それが売木夏希という姉の姿だ。 


 だが、夏希はどんな状況に陥ろうとも『あきらめる』人では無かった。常にその場で『出来る事』を考え可能性に賭けてきたのだ。


「お姉ちゃん!」


 絆の声が桜の目を醒まさせる。そして表情に力を込めあの・・眼差しを浮かび上がらせ、震えた手を静止するように強く振り払った。

 

 そうだ、まだ生きている。

 生きている限りは絆を守る。生きている限りは全ての可能性に賭ける。生きている限りは諦めるワケにはいかない。


「桜お姉ちゃん!!」 



 初めて自分の名を呼ばれた桜は目を見開き、絆の方へと振り返って目を合わせる。仄暗く、灯りのせいで緑色となっていた彼女の顔であるが、目を合わせた瞬間、ただ闇雲に桜を呼んでいたわけではないと理解した。

 

「絆……」 

 

 絆の両手には長い棒状のようなものが持たれていた。暗くて良く見えないが、それが何か直ぐに分かった。


 そして絆の目もまた諦めていなかった。最後の最後まで姉に命を預ける、戦い抜くという決意の表明すら感じられる。


 そう、絆はずっと桜へ合図を飛ばしていたのだ。

 これを渡す為に絆はずっと──


 

「お姉ちゃん! これを!」

 

 咄嗟に投げ渡され、桜は両手でそれを受け取った。

 ずしりとした感触が桜を高揚させ、身が震え出す。

 

 血がたぎる。

 

 そうだ、これこそが売木桜の成長を見守り続けた一本の刀。

 

 

「お、桜花爛漫おうからんまん……」 


 

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