姉の心情
5月になり陽気な日も多くなってきた。
しかしながら依然として風は冷気を帯びており、日陰の方を見れば、今日も
足元にある木材で造られた床も
そんな様子を伺えばまだまだ暖かくなるのは先であると…… ベランダから遠くを見つめる女性はそう心の中で
福島県北部に北塩原村という小さな村がある。そんな村の中心から少し離れた場所に、一軒の温泉宿がひっそりと建っていた。
歴史も長いことからか決して綺麗な建物ではない。しかしながら露天風呂から美しい景色を堪能できることより、旅行通には密かな人気を博している宿でもあった。
そんな宿にあるベランダで風を受け、
髪を後ろで一つに縛り上げ、神秘的な眼差しを持つのが特徴的な女性だ。 その瞳はどこまでも吸い込まれるような、深い
この場所は透き通るような
零佳にとってそこはお気に入りとも言える場所であった。自然の美しさ、力強さそのものがはっきりと目に見える所であり、彼女の心を強く引き寄せて離さなかった。
山を見ていると自分自身の存在がとても小さく感じられる。世の
目の前で広がる美しい景色。長い時間見ていればつい忘れてしまいがちであるが、この国はつい5年ほど前まで同じ国の人間同士で争っていた過去があった。この場所は大きな被害を
中には火器すらも用いられ、死人すらも出てしまったことがあったようだ。
そんな人と人とが命を奪い合うような時代は来てほしくない…… そう思い零佳はそっと目を
今日あることに感謝をして今を生きる。それが零佳の持つ心掛けの一つであった。
ゆっくりと目を見開いて、再び顔を上げれば、視線の先に小鳥たちが
本当にここは「平和」だ。
今は3年前に起きた事件の影響で、とりわけ世の中が不安定なはずだ。今も国のどこかで揉め事や暴力といった事件が発生しているであろう。だが同じ国でそのような事が起こっているなんて、信じることができないくらいにここはとても
──いつか、桜や絆…… 他の妹達とも一緒にこの景色を見ることができたら……
また同じ場所に集まり、妹達と同じ時間を共有できたら……
そんなことを思うと、自然と脳裏に姉妹の顔が思い浮かんでしまう。
寒い地で力強く生きている二人の妹を……
零佳は胸元を探り、一枚の写真を取り出した。
「相変わらずね……」
写真に映る二人の妹の写真を見つめ、零佳は口元を緩ませた。この前仕送りをした時の返事として送られたものであった。
真っ白な長野の八方山を背景に、妹二人が横並びに立っている。左に立つ絆は元気な笑顔を見せており、厳しい寒さでも仲良く暮らしているのがすぐに見てとれた。
絆は見るたびに大きくなってきている。久々に会えば3年前の絆とは大きく変わって少し驚いてしまうかもしれない。だが、それも姉としては喜ばしいことだ。
そして零佳の視線は右側の妹へと移ってゆく。
本当…… あの人にそっくりだ。
写真の右側でぎこちない笑顔を浮かべる桜を見ると、零佳はいつもそう感じてしまう。本当にあの人に似てきた。体つきも、顔つきも……
特に目元はあの姉の持つものと殆ど同じかのように思えてしまう。小さい頃から似ているとは思っていたけど、ここまで似るなんて姉である零佳すらも、予想だにもしていなかった。
そんな桜本人も意識をしているのか、いつの日からか髪型が短くなっていた。あの姉の面影を出さないようにと思って変えたのだろう。
3年前はあの姉と同じような髪型であったのにと……そんな桜の幼い頃を思い出してしまう。
零佳と離れ離れになった妹二人は、友人の力を借りなんとか遠くの学校へ通えることができたようだ。あれから生活様式は一変したようだが、
桜…… 絆をお願いね。
写真を胸元に当てながら、心の中で祈念する。今の絆を守るのは桜しかいない。けれどあの子ならきっと大丈夫だ。夏希と同じ運命を辿るような子ではないと信じている。
3年前、姉…… 夏希が起こした事件をきっかけに零佳も追われる身となっていた。桜や絆以上に市民からは迫害され、酷い時は「共謀者」とまで根拠のない言われようを受けたことすらあった。
最終的には過激な団体による私刑を受けそうになったため、命からがら東京からここ、福島の北塩原村まで逃れてきたのだ。
そこで出会ったこの宿の女将に拾われ、零佳は今宿で働いている。ここの人達は皆優しく、分け
ここは本当に居心地がいい場所だ。澄んだ空気に美しい自然。食べ物も新鮮で美味しく、水も綺麗であり人々も穏やかだ。
そんな思いを抱きながら空を見上げれば晴天の青空が広がっていた。程よく暖かく布団を干すのには絶好の日となりそうだ。
布団を干して、洗濯した後に部屋を掃除して…… 昼頃になったら買い物にでも行こうかと見上げながら今日の予定を組み立てる。晴れの日でしか出来ないことがある為、仕事のことを考えればすぐに頭がいっぱいになってしまった。
けれどぽかぽかとした日差しが気持ち良く、中々ベランダから離れる気にはなれない。
優しい風が
首元に涼しい風が入り込みとても心地良い。
それに加えて穏やかな気候……
そろそろ仕事に戻らないといけないが、そんな気持ちが自然によって妨げられる。まるで自然が零佳を離さないかのようであった。
落ち着いた気分に浸っている中、背後から
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