応援コメント

予兆と現実」への応援コメント

  • ごきげんよう、いつもを求める、日常を求めることは誰もがすることですよね。
    ただそれが楽観に繋がって後々に影響するのはよくあることなのでしょう。
    でもこの惨状は人の手や自然界によるものではないのは一目瞭然。
    いったい何が起こっているのか、最後の慟哭の主が気になりますね。

    作者からの返信

    ごきげんようでございます!

    日常というものは、無意識のうちに出来上がるもので、実際自分も毎日過ごす当たり前のことが日常と思い過ごしております。
    ところが、当然ですが、長い時間を経ていればどこかで日常が終わるわけで、そこで初めて『あの頃は良かった』と振り返ることになるのです。人は病気になって健康のありがたみを知る。そんなものですね。

    桜自身も、三年前に家族で過ごしていた日常が一瞬にして壊されてしまった立場にあります。それでも三年間という時を経て、なんとか北城村での新たな日常を手に入れつつありました。その中での怪事件……
    今まで寒くて辛いと感じていた北城村の生活も、実は平穏な毎日であったと、事件が起きて初めて身に沁みるのです。
    慟哭の主は一体何なのか!? 北城村で一体何が起きているのか!?
    また、今後も桜を見守って頂ければと思います。感想ありがとうございました。