第7話 開かれた扉

 本殿の前に珠とハシルヒメは並んでいた。その横に箒を持ったハバキが待機している。


 本殿の扉には横長の大きな錠前がかけられていた。とても古い物のようで、緑色に錆びている。


「本殿は宮司でも、特別な理由がないと入っちゃいけないところなんだよ?」


 ハシルヒメは南京錠と同じように緑色に錆びた鍵を手に持っていたが、なかなかそれを差し込もうとしない。


「今更ごねないでよ。それとも、宮司が来るまで待てば入れてくれるの?」


「お、いいね。じゃあそれで」


「ただの先延ばしじゃん。どうせすぐ出勤してくるんでしょ?」


「うんにゃ。訳あってうちの神社には宮司はいないんだ。つまり、わたしの部屋が開けられることはない!」


 珠は無言でハシルヒメの足を手前に払った。


「のわっ」


 払われた右足が蹴り上げたようになり、ハシルヒメはバランスを崩して尻餅をついた。緩んだ手から鍵が無くなっている。その鍵は珠の手の中にあった。


 珠は鍵を錠前に刺しこんだ。


「あータイムタイム! まだ心の準備が……!」


「そんな準備いらないから」


 鍵は引っ掛かりなどなくスムーズに回り、錠前は簡単に床に落ちた。ハシルヒメはその錠前を両手で支えるように拾い、それに向かって叫んだ。


「もう少し抵抗しろよお前ー!」


「鍵使ってすんなり開いたんだから、優秀な錠前でしょ。褒めてあげなよ」


 観音開きになっている扉を引くと、少し開いただけで重たい空気が珠の顔を覆った。


「うわっ、臭っ……!」


 顔に貼り付いた空気は鼻の奥を刺激する油臭さとアルカリ臭と、喉奥が不快になる腐敗臭が混ざり合った強烈な香りがした。珠は顔をしかめたが、口や鼻を覆ったりはしない。


 ハバキが笑顔で箒を差し出してきたが「まだ早いから」といって下がらせる。


 ハシルヒメが珠の顔を覗き込んだ。


「あれ? 意外と大丈夫な感じ?」


「掃除屋やってたときはもっと吐き気のする臭いの場所で作業することもあったから。あと一応言っておくけど、我慢できるだけで大丈夫じゃない」


「お、じゃあ開けるのやめよう」


 珠はそれには答えずに扉を引いた。噴き出してきた空気を体全体に浴び、心なしか体が重くなったように感じる。


 あまりに強烈なにおいに、さすがの珠も頭が痛くなってきた。


「いや……なんでこの臭いが外に漏れてないの? 逆にすごいんだけど」


「神の力を舐めないで欲しいね。臭いくらい結界でお手の物だよ」


 そう言うハシルヒメの声は鼻声だった。しっかりと鼻をつまんでいるのだ。


「もっとまともな神の力の使い道はなかったの? えっと灯りは……」


 珠が見回すとハバキが嬉しそうに寄ってこようとしたので「灯りをつけてからね」といって一度戻らせる。


 入ってすぐの壁にスイッチがあり、触れると部屋の中央にぶら下げられた裸電球が点灯した。八畳ほどの部屋だったので、それだけで十分明るい。


 扉から入る光だけでうっすら見えていたが、部屋の左奥にゴミ袋が天井まで積まれていた。中は缶や瓶などのゴミのようだ。


 そして右側の壁に寄せるように机や椅子、タンスなどの家具類や、電子レンジや扇風機のような家電が積まれていた。タイヤや陶器のような物まである。


 珠はその部屋を見て、ビルの地下にあるゴミ集積場を思いだした。


「なにこれ? 思ってたのと違う」


 珠の予想では残飯や容器、洗濯物などが放置された、もっと生活感の溢れる部屋が待っていると思っていた。


 ハシルヒメは珠の前で両手を広げて、通せんぼをするように立った。


「ほら、ここは珠ちんがもっとレベルアップしてからでいいからさ。他のところを掃除して経験値を貯めようよ。ね?」


「いや、そんなレベルの話じゃないでしょ。これ、ハシルヒメが集めてきたの?」


 珠が周りのゴミを指さすと、ハシルヒメは今までで一番気まずそうに笑った。


「あーっとね。ここって大きな道のすぐそばで、それなりに茂ってるじゃん? かつ管理者がいないってなるとゴミを捨てていく人がいたりするんだよね。それを集めてたらこんなになっちった」


「なんでこの部屋に? 本殿って、神社で一番大切な部屋なんじゃないの?」


「わたしの力がまともに働く場所がここだけなんだ。臭いとか漏れると人が来なくなっちゃうし、ゴミがゴミを呼びそうだから外には置いておけないじゃん?」


 ハシルヒメは髪をいじりながら部屋を見回した。


「まぁでも『塵が積もって』でこうなっただけだし、ここは結界が機能してるから後でいいから。ね?」


「いや、とりあえずここを片そう。わたしはそんな気長にやる気はないの」


 珠がこぶしを握って気合を入れると、ハバキが寄り添うように横に立ってそっと箒を差し出してきた。珠はハバキの頭を撫でて「ごめんね」と下げさせる。


「とりあえず業者を呼んで。話はそれから」


「ぎょ、業者!? お金かかるじゃん! なんのために珠ちんに生き返ってもらったと思ってんの! ダメダメ!」


 ハシルヒメは両腕で大きくバッテンを作った。珠はため気をつきそうになったが、部屋の空気の悪さを思いだして思いとどまった。


「お金の都合で生き返ったなんて、聞いてないんだけど。ただケチなだけなのか、本当に厳しいのかは知らないよ? でも粗大ごみっぽいのもあるから、処分するのにどうしたってお金はかかるでしょ。それに――」


 珠は床に倒れているタイヤをつま先で蹴った。


「もしかしたら勝手に処分したらいけないものが混じってるかもしれないし、素人だけで片付けないほうがいいよ」


「ぐぬぬ……」


 ハシルヒメは周りのゴミを見回しながら、どこからともなく取り出したノートのページをペラペラとめくった。


「わ、わかった。でも業者は前から目を付けてたところを呼ぶからね」


「それは好きにして」


 こうして本殿の扉は、業者が来るまで閉じられることになった。

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