僕は何色の瞳で君を見る?

相川巧

プロローグ

 十六歳になったばかりの夏の日、僕は恋に落ちた。


 汗ばむ熱気も感じなくなるくらい、僕の時間は彼女に支配されてしまった。


 予感さえさせずに僕の前に現れ、そして通り過ぎていった彼女。


 僕は自分でも意識しないまま、人混みをかき分けて彼女の後姿を追っていた。


 まるで一目惚れをしたかのようだ。けど、そうではない。


 僕は彼女のことを四ヶ月前から知っている。高校一年に上がったこの春から、彼女とは同じ教室で顔を合わせてきたクラスメイトだ。


 けれど今日見た彼女の顔は、ただのクラスメイトのものではない。この人と巡り逢うために僕は十六年間、生きてきたのだ。


 そう思わせるような出逢いだった。


 そう考えてしまうほど、彼女の笑顔に僕は魅入られていた。


 混み合う道を「すみません、すみません」と頭を下げながら、人と人との間を縫っていく。


 彼女が入っていった商店街のアーケードもまた大勢の人だかりで、どうにも追いつけそうにない。


 僕はあえてアーケードと垂直になっている道を南へと逸れた。


 ここは地元の商店街だ。地理には詳しい。


 それに彼女の行く先も分かっていた。


 僕は空いている道を通って、アーケードの出口まで先回りした。


 僕の目の前で一台のトラックが停まり、その脇を通って若い女性の集団が出てくる。


 その一団の中で一際僕の目を引く例の彼女。顔をほころばせて仲間たちと言葉を交わし合う姿。


 けれども、その笑顔は僕が恋したものではない。


 僕の目をとらえて離さなかった彼女の顔は、もっと輝いて見えた。


 灼熱の太陽に照らされながら、その光に負けないくらいの輝きを放っていた。


 その輝きに魅せられて、僕の心は真っ二つに裂けてしまうほど激しく高鳴った。


 古風な言い方をすれば、二つに裂けた心の半分は彼女に奪われてしまった。そして、残された半分も彼女にあげてしまった。


 彼女に魅入られた瞬間から、僕のものは全て彼女のものになってしまった。


 あの輝く笑顔を、もう一度この目で見たい。


 彼女が本当に、僕が待ち望んでいた人なのかを確かめたい。


 その時にまた胸が痛んでも構わない。僕の体がバラバラになるくらい、何度でも胸の高鳴りを感じたい。


 そう願い続けていると、ふいに彼女の視線が僕へと向いた。


 仲間たちとの談笑を止め、立ち止まって僕を見ている。


 その表情は驚いたようで、両目を大きく見開いている。


 それから両手を自分の胸へと持っていき、わずかにうつむく。


 僕と彼女の距離は、五歩も歩けば触れ合えるくらいの近さ。少し声を張れば、簡単に相手の耳へと届くだろう。


 だから視線を下げた彼女の表情も、僕にはよく分かった。


 はにかみながら何かを期待しているような。そう思わせる柔らかな微笑み。


 季節を遡って咲いた一輪の春の花。


 彼女の控え目な仕草を前にして、僕はまた時が止まっていた。


 真夏の日差しも気にならない。それなのに左胸だけは激しく騒いでいる。


 やがて彼女が上目遣いに僕を見てくる。


 その仕草は迷うことなく、僕に一つのことを期待させた。


 あぁ、彼女も僕と同じ気持ちなのかと。


 頭の中で僕は彼女に近付いて声を掛ける。彼女もそれに応える。


 二人の間で交わされる言葉の何て甘く心地良いことか。


 そんな妄想に包まれながら実際は、時間の止まった僕の足は一歩も前へと進もうとはしない。


 僕を見つめる彼女の瞳に、僕の心は完全に吸い込まれてしまっていた。


 こうして無言で見つめ合っているだけで夢心地だ。


 そんな風に考えていると、彼女の顔からふっと笑みが消えた。


 何かに気づいたように口を開け、目を泳がせている。


 急に散ってしまった一輪の花を前にして、僕もどうしたのだろうと立ち尽くす。


 やがて彼女の大きな瞳から涙が一筋、零れ落ちる。


 そして僕に背を向けてしまう。


 彼女の身に何が起きたのか、僕にはまるで分からなかった。


 彼女は周囲の仲間たちに促されて、その場を立ち去って行く。僕には一瞥もくれないで。


 僕には彼女の心の内側は分からない。僕を見て表情を変えた、その意図も。


 ただ一つだけ確かなことがある。


 それは僕が彼女に対して抱いた、ささやかな期待が勘違いだったということ。


 もしも彼女が僕と同じ気持ちであれば、涙を流したりなんかしないだろう。


 どのみち僕と彼女とでは釣り合わない。


 僕なんかが恋をするには彼女は高嶺の花だと、この四ヶ月で既に知っている。


 それでも僕の中に芽生えた恋の気持ちは消せそうにない。


 だから、これからはせめて空想の世界で彼女と逢おう。


 想いを告げる前に失恋した惨めな男の、せめてもの悪あがきとして。

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