役目を終える前に

「あの……ごめんなさい」

「どうしてあなたが謝るんだい?」


 その声が腕の中からしたことで、未だシャーロットを抱きしめていた事に気づいた王太子はそっと腕をほどき、シャーロットから少しだけ離れつつ聞く。


「だって、結局殿下の手を煩わせることになってしまいましたわ。それに本当ならもっと穏便にお断りするはずだったのに、今後のシェリル王国との関係にも影響するかもしれまんわ」

「そんなことを気にしていたのか。あなたは充分役割を果たしてくれた。もともと突然身代わりをお願いしているのだからあなたの力だけに頼ろうとは考えていない」


 いつになくしおらしいシャーロットに調子をやや崩されつつ王太子は「それに」と続ける。


「シェリル王国との関係には特に問題ない。何なら感謝されるかもしれないぐらいだ」

「感謝ですか?」

「そう、あなたも感じたとおり、テオドール王子は少々問題児でね、話が進んでしまった以上、どうしようもなかったようだが、内心では彼がここで何かしでかさないかヒヤヒヤしていたようだ。そう考えると、少しおいたをして追い出された、程度で済んだのなら御の字だと考えるだろう。エルドランド、という大国でやらかしたという事実は今以上似似彼の行動を制限する理由にもなるしね」


 そう話す王太子に、とりあえず作戦は失敗しなかったことを知り、シャーロットは胸をなでおろす。


「むしろ、怖い思いをさせてすまなかった。王子がこちらへ向かったのは知っていたが、多少ふたりきりになるくらいなら、むしろこちらが有利に話を進めれるか、と思って……、正直あの王子の頭の悪さを見誤ったよ」

「いえ、私も油断していましたわ。それにすぐに助けに来てくれましたもの」


 そう言って笑顔を返シャーロットに微笑みを返した王太子はまた、少しだけ距離を詰め彼女の手を取った。


「さあ、作戦は無事成功だ。これであなたの役目は御免なのだが、その前に少しプレゼントがあるんだ。こちらへおいで」




 そう言って広間の方へ彼女を導く王太子。腕を惹かれるがままに進むと、そのまま広間を出て会場の外で待機していた侍女たちにその身を渡される。


「じゃあ、予定通りでお願いするよ」

「おまかせくださいませ」


 王太子の声に応えた侍女たちによって近くに確保されていたらしい客間の一つに連れられた彼女はそこでドレスを脱がされ、また新しいドレスに着替えさせられる。


「さぁ、シャーロット様、出来ましたよ」


 そう言うミスキャセルに促され、部屋に用意された大きな鏡の前に立つ。いつの間にか魔法が解かれていたのだろう。そこにいたのは先程までの鮮烈な赤いドレスとは打って変わって、淡いミントグリーンのドレスを纏い、困惑げな顔を浮かべるシャーロットの姿だった。


「あの……これは?」

「シャーロット様が頑張りに対する殿下からのプレゼントだそうです。さ、とてもお似合いですから笑ってください 、部屋の外で殿下がお待ちですよ」


 そう言ってミスキャセルにドアを開けてもらうとそこには王太子が立っていた。彼は着替えたシャーロットの姿をじっと見てから一つ頷く。


「よく似合っている。シャーロット嬢にはやはり淡い色が会おうようだな」

「ありがとうございます、殿下。でもこれはどういうことなのでしょうか?」


 自分の役割は終わったのでは?そう疑問を飛ばすシャーロットに王太子は微笑む。


「ご褒美だと言っただろう? こういった場に来れることなどないだろうから、せっかくならシャーロットの姿でも舞踏会に参加してくれればと思って。ドレスはそなたに上げるから、大切にしまっておくと良い」


 そなたは「願い」とは別に王家が用意した恩給も褒美も辞退したそうだからな、とやや呆れたように王太子は笑う。


「さあ、時間がない、会場に戻ろう」




 今の彼女はブラニカ姫ではなくシャーロット、それでも良いのか? という疑問をぶつける暇もなく王太子は彼女を優雅に、しかし引きずるようにエスコートして会場へ戻った。


 会場から出るときに感じたちょっとしたざわめきは落ちついたらしい。もうすぐ舞踏会もお開きが近づいているらしく、人々はやや近い距離でダンスを踊る。最後の一曲のタイミングでその中央に彼女を誘導した王子は、音楽が切り替わると、シャーロットに腕を差し出した。


「さ、シャーロット嬢。最後の役目だ。今宵一曲お願い出来ませんか」


 懇願の呈を取るものの、王太子の誘いなどという名誉をここで断って恥をかかせる訳にもいかない。それ以上にこの夢のような時間を一時だけでも味わいたかった彼女は周囲の視線は見ないことにしてその腕を取る。


「えぇ、光栄ですわ」


 淡く微笑むシャーロットの瞳を見つめながら、ゆっくり動き出した王太子に合わせシャーロットもフロアを回りだす。彼に支えられ、音楽に乗りながらシャーロットは思わず笑みをこぼした。


「ダンスってこんなに楽しいものだったのですね」

「そう思ってもらえたなら良かった。第二王子と踊っているときはあまり楽しそうではなかったからな」

「そ、そうなのですか」


 自分としてはしっかり笑っていたつもりだったシャーロットの顔がひきつるが、殿下は「気にするな」と笑う。


「作法とステップは間違いなかったし、むしろ気は進まないが、もてなしのために頑張っている、という感じが出ていて良かった。あまりシェリルの人間に気があっている、と思われても厄介だったから、むしろこちらの指示通りだ」


 そんな王太子の言葉に少し安心しつつ、シャーロットは周囲に少し目をやる。輝くシャンデリア、大理石の床、そして色とりどりのドレス。明らかに場違いな場所にシャーロットの緊張は収まらないが、それでも王太子の言う通り先程のダンスよりずっと、ダンスが楽しいと思えた。


「実は……」

「どうしたんだい?」

「実際に男の人と踊るのはテオドール殿下が初めてで、少しだけ期待していたのですが、正直あまり楽しくなかったのです」


 テオドール殿下が初めて、という言葉にピクッと眉を動かした王太子だが、続く言葉に表情を戻す。


「きっと絵本とかで読んで期待していただけでこんなものなんだ、と思っていたのですが、殿下と踊ってわかりました。誰と踊るかが大事なのですね」


 そう言ってから、恥ずかしくなり、目線を王太子から外すシャーロット。しかし結局また彼の瞳にその視線は戻っていった。


「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあもう少しだけ難しいステップを踏もうか」


 そう言うと、右足を踏み出し、シャーロットを導く王太子。これまでの基本のステップではなく、練習したことのなかったステップだが、それでも彼女を気遣い、「大丈夫?」と尋ねるように導くステップは第二王子のリードよりずっと踊りやすい。


 やがて、このステップにも慣れてきたシャーロットはかねてから気になっていた疑問を口にした。


「そう言えば私、こんな広間の真ん中で堂々と踊って良いのでしょうか?シャーロットは殿下に保護された謎の客人、ということになっていますよね」


 その言葉に王太子は、微笑んで周囲に視線を巡らす。


「確かに、そういう設定だね、じゃあ周りを少し見てご覧。皆『誰だ? この子は』という目をしている? わきまえろという目をしている?」

「いえ、むしろ皆さん優しい目をしてらっしゃいます。なんだか私達に場所を開けてくださっているような気もします」


 最初は目の前の王太子に遠慮しているのか、と思ったが、もし自分が嫌がられていたら、ここまで踊りやすくはないだろう。


 そんな彼女の疑問を浮かべるうような表情に、王太子は答えを教える。


「今回はこんなことがあったから、舞踏会の出席者は王族と高位貴族を中心にしている。彼らはもしかすると自分の娘がシャーロットの役をする羽目になっていたかもしれないことを承知しているから、君の今日の頑張りにはとても感謝している。それにあなたの振る舞いの凄さは王宮ではちょっとした話題になっているしね」


 だから、もしこの世界で生きたければ何も躊躇することはない。そう小さく付け足した王太子の言葉にシャーロットはどういう意味だろう? と思いつつ、疑問は解消された。


「そんな、私は『お願い』と引き換えに役割を果たしただけですわ。私の特技が活かせて良かったです』


 そう笑うシャーロットに少しだけ何かを考えるような顔をした王太子はしかしすぐに笑顔をに戻り、シャーロットを導いた。


 夢のような時間はあっという間に過ぎ、ワルツの最後の一音が流れると、ダンスに興じていた人々の輪が解け始める。




 王太子もまたその波に乗って、シャーロットを会場の外へ送ってくれるのか、と思った彼女だったが、その予想は外れ、王太子はその場から動こうとしない。どうしたのだろうか? と首をかしげるシャーロットだが、王太子にその腕を少し腕を強く惹かれたことでその思考は中断された。


「もうっ、危ないですわ」

「すまない。そなたを送る前に一つ話しておきたいことがあってな」

「でしたらそう言ってくれたら逃げませんわ」


 そういうシャーロットだが、それでも王太子は腕を離さない。どんな話だろうか、と少し緊張してきたシャーロットは王太子の言葉を待つ。


「テオドール王子との縁談を断れたことでシャーロットは無事お役御免だ。すでに聞いているとは思うがそなたの『願い』はローレル公が引き受けてくれることとなった。随分長い間王族と血縁がない家だが、れっきとした公爵家だし、慈善事業への関心も深い信頼できる男だ」

「えぇ、お聞きしております。役目が上手く行けば、という条件だったのにこんなに早く進めてくださって感謝しております」

「そなたが失敗するとは思わなかったからな。それでだ、そなたは明日にでも家に帰ることが出来る。ただ」

「ただ?」

「もしよければもう一つ頼みを聞いてくれないか?」

「中身によりますわ」


 まさかの新しい依頼に驚きつつ、表情は冷静に聞き返す。正直なところこんな日々がまた続くのは勘弁だが、王太子との縁がまだ続くと言うのならあるいは……とシャーロットは考える


 ところが次に王太子が発した言葉は予想の遥か上を言っていた。


「シャーロット嬢。どうかこのまま私とここで暮らして欲しい。あなたを妃として迎えさせてくれないか?」


 膝を付き、懇願の姿勢を取る王太子にシャーロットは大声を出しそうになってなんとかこらえる。ここは王宮。まだ自分も上流のように振る舞わなければならないのだ。


「私は、あなたのような素敵な方にはふさわしくはありませんわ」


 先程と同じお断りの言葉。しかしさっきは演技のためにたっぷりと感情を込めて言ったのに、本音で言うときには案外スラスラと言葉が出るらしい。


 しかし王太子はというと、その言葉は予想していた、とでも言うように不敵に笑った。

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