ミステリアスな君と僕

霜月朔

プロローグ

プロローグ


 薮坂家やぶさかけには、祖父が大切にしていた祖父自身の肖像画がある。

 それほど上手いとも言えない絵で、肖像画にしては色合いが明るすぎる気がする。 

 若い頃の祖父の姿だと言うのも、なにか妙な感じがしたものだ。

「お前は隔世遺伝だな。おじいちゃんの若い時によく似ている」

 幼い頃そう言われて、肖像画を見に書斎に走ったものだ。

 時には鏡を持ち出し、祖父の肖像画を見ながら自分の顔を鏡に映して見比べてみたが、言われるほどには似ていないと思ったことを覚えている。

 祖父の写真を持ち出し、肖像画と鏡に映る私の顔と写真を見比べたこともある。

 やがて小学校へ入学し、中学へ通う頃になると、肖像画のもとへ走ることもなくなっていった。両親や兄弟もお前は祖父に似ていると言わなくなり、ついにはそんなことを言った覚えなどないと言う顔をしていた。

 高校は闇雲にぎこちなく飛び去り、なんとか選んだ大学に合格すると、祖父の肖像画など現実の時間の隙間に押しこまれ、すっかり忘れ去られた。

 成長するにつれ見えてきたのは、祖父の人となりだった。親戚親兄弟が集まって話す祖父の伝記は、あまり口当たりのいいものではなかった。

 薮坂家の本家筋にあたる我が家は、夏の盂蘭盆会うらぼんえ(田舎は旧盆八月だった)の頃になると、伯父伯母、叔父叔母は言うに及ばず、誰と如何なる血脈に繋がれているのか皆目見当がつきかねる老夫人や老人達が、我が家の仏壇の前に参集してくるのだった。

 今思えば、大伯父、大伯母などだろうか。そして分家筋の年寄り達。

 その他に、大勢の従兄弟、従姉妹達が短くも激しく美しい夏の嵐を内包し、隊列を組み両親に引率いんそつされてやって来たものだった。

 その人々が二十畳の広間に陣取り、盃を酌み交わしながら底知れぬ歴史の深淵にむかって降りて行き、今昔物語の絵巻を紐解くのである。

 つまり、遠く源氏の白旌旗平家の赤旌旗から始まり、南北朝盛んなりし頃、京都の公家山科卿の近衛と言う古い系譜を辿り、如何に戦国時代を乗り越え、どのようにして江戸時代を生きながらえ、幕末の動乱を稀に見る才覚で切り抜けたかに至るまで、延々と続くのだ。

 酒に火照った人々があげる笑いや嬌声、恫喝どうかつに似た叫びは、子供心に、百鬼夜行(魑魅魍魎ちみもうりょうとは言うまい)が奏でるざわめきと宴のうたいのように眺められたものだった。

 宴が深まるにつれ、やがて話はひとつの方向に収束されていき、曾祖父と祖父の話題でひとしきり賑わうことになる。

 放蕩の限りを尽くし我が薮坂家の残り半分の財産を使い果たし、屋台骨を根こそぎ朽ち倒した祖父は、哀れと共に人々の口角に泡を吹かせる。

 残り半分と言うからには、後半分を併せて全財産と呼べる諸々のものがあったに違いないのだが、これは祖父の親父殿、つまり私の曾祖父が食い潰しているので既になく、祖父は先祖伝来の財産の半分を散じる身分に甘んじねばならなかった。

 しかして、祖父と祖父の親父殿は薮坂家を没落へと導いた、途方もなく出来損ないの当主として、薮坂家の歴史に暗黒の時代と拭い去れぬ汚点を撒き散らした、ならず者の汚名を残す事となった。

 曾祖父と祖父が二代に渡って惜しみなく巷間こうかんにばらまいた薮坂家の財産は、戦場の朝露のごとく、雑兵の天下取りの夢のごとく無残にも儚く潰え去ったのである。

 潰え去った後の時代、強者共の夢の後の夏草のど真ん中に、突然放り出された者達。父や伯父伯母、叔父叔母達は堪ったものではなかったと口々に賛美ともとれる念のいった悪態を、曾祖父と祖父に投げつけるのが常だった。

 しかしこれは生きとし生ける者の唯々無常の理として、諦めるより仕方がない。阿修羅の形相となろうが、悪鬼羅刹の暴虐の心となろうが、びた銭一文戻ってくるものではないのだ。

 その後の世代としては、父や伯父伯母、叔父叔母達にご愁傷様と、如来仏の如き慈愛をもって宴に連なる人々の話を拝聴し、これみ仏の無言の下化衆生のこの世に顕われたものとして、それぞれの人生に励むのみである。

 それでも、祖父の評判はそれ程悪いものではなかったようだ。毎年毎年、宴の終焉を告げる前の大団円に於いて、相変わらず祖父は誰にもその役回りを譲らず、人々の罵詈雑言の賛美を浴び続けたのだから。

 人々の話を聞いた後、三年に一度くらい、私、薮坂宗次郎はそっと宴を抜けて、薮坂家の暗黒時代を築いた無頼漢じいさまの肖像画をみる為に、書斎へ向かったものだ。そんなたしなみも、大学に入学して郷里を離れると、次第に思い出の堆積の中に埋もれてしまった。

 気づけば、薮坂宗次郎は三十五歳でまだ独身だった。

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