二章「本当に欲しかったもの」

第7話



 一歩……一歩……力強く、地を踏みしめて……

 顎を上げて、上を向いて歩く。

 上へ、上へと進んで行く。

 ――踊り場。そこで、彼は足を止めた。

 踊り場の壁を見つめる。そこに在る、上向きの矢印と27という数字。

 彼は肩で息をしながら、階段の続く先を眺めた。

 そこに見えるものは、二十七階の扉。

 まだ先は長い……彼が目指すのはこのビルの頂上、百二十階にあるオフィス。

 大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐く。

 そして彼は再び歩み出す……より高みを目指して。

 一歩……一歩……彼が足を踏み出すたびに、彼は空に近づいて行く。そして大地から遠のいて行く。

 ――ふと、頭の中に疑問が浮かぶ。何故こんなことをしなければならないのか?

 理由は簡単だった。それが決まりだからだ。

 このビルの頂上にある、IT企業――トリプレッタ。

 そこに勤める者に課せられた義務。月に一度、エレベーターを使うことなく、頂上にあるオフィスへと自分の足で上ること。

 それは創立当初から、彼――遠藤勇樹の父である社長の考え。上を目指す気持ちを忘れないためにと始められたもの。

 ――めんどくさい。勇樹は心からそう思う。

 だるい。めんどくさい。疲れた。そんなことを考えながら勇樹はより上を目指し進んでいく。

 もうこの辺で階段は止めて、エレベーターに乗ってしまおうか。そんな考えが頭を過ぎる。

「駄目だ……父さんにばれたらもっとめんどくさい」

 いつもそうだった。

 めんどくさい……

 いつもそれだけを考えていた。

 どうしたらめんどくさくないか? 何が一番めんどくさくないか?

 それが勇樹の行動の基準だった。

 いつからそんなことを考えていたのだろうか? 少なくとも中学に入る頃にはそのことばかり考えていた。

 中学のとき、勇樹はとても真面目な学生だった。

 宿題を忘れたことなどないし、遅刻も一度もない。テストの成績もいつも学年で五本の指には入っていた。

 理由は簡単だった。めんどくさいから。ただそれだけ。

 宿題を忘れて先生に怒られるより、真面目にやってきたほうが楽だった。

 遅刻して、注意されたり、運動場を走らされたりするより、朝早く起きるほうがずっと簡単なことだった。

 テストで悪い点をとって、厳しい父に説教されるくらいなら、真面目にテスト勉強をするほうがましだった。

 それがめんどくさくなかったわけではない。ただよりめんどくさいことから逃れるためにましなほうを選んだに過ぎない。

 そんなふうに、中学、高校、大学とめんどくさいことを避けて、真面目にただ父の引いてくれたレールの上を歩んできた。

 そしてそのレール真っ直ぐに進んできた結果、今は父親の会社の役員。いつかはこの会社を継ぐことになるだろう。

 だから……今は歩く。

 ただ、上へと向かって歩み、進んでいく。

 それが父の望むことなら逆らう必要はない。逆らうリスクを負って得るものなどない。

 父が自分のことを愛してくれているのは知っている。誰よりも自分のことを一番に考えてくれている。厳しくされるのもそのためだと分かっている。

 だから……迷う必要はない。

 ただ……上へ上へと父の引いてくれたレールの上を進んでいく。それだけでいい。そこに何の問題もない。

 それが一番めんどくさくなくて、楽な道であることは間違いないのだから。

 そして、勇樹は思う。

 自分は恵まれている。とても幸せなのだと……



☆☆


 このエピソードは私の他作品のエピソードと被る部分がありますが、実はこちらの作品の方が先に書いたものであるためそのままにしてあります。

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